「名言との対話」6月16日。大倉喜七郎「成功者はおやじの喜八郎さ、おれは息子でひとつ足りないから喜七郎てんだ」
大倉 喜七郎(おおくら きしちろう、1882年〈明治15年〉6月16日 - 1963年〈昭和38年〉2月2日)は、大倉財閥2代目総帥。
大倉喜八郎が築いた財閥の御曹司として生まれる。18歳で英国のケンブリッジ大学に留学し、7年を過ごす。ボートやスキー、自動車、そして美術、音楽などの文化にも造詣を深めた。「バロン(男爵)・オークラ」とも呼ばれていた。父は91歳まで家督を譲らなかったため、部屋住みの期間がながかった。大倉財閥は直系15社に加え、大倉鉱業、大倉商事、日本無線、東海