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豊太郎の母は諌死した???

森鴎外の「舞姫」中の豊太郎の母親の死がどういう死であるかを想像できない高校生がいる、と嘆く高校の先生の声を聞いた。

その先生は、病死でないことは確かであると言った。その理由として、手紙を出したすぐあと病死することはあり得ないからだということだった。その理由、大丈夫ですか?

手紙を出したすぐ後に病死することは、果たして、あり得ないことだろうか?私にはそれが疑問である。

この作品を読むのに、母親の死がどういう死であるかを想像することは、たいして大事なことではない、と私は思う。ただ、死んだということが分かれば、それで十分だと私は思う。

もし私が、豊太郎の母親の死がどんな死であるかと問われたら、分からないと答えるしかない。

この作品のどこをどう読んでも、私には、豊太郎の母親の死がどんな死であるかを特定することができない。
事故死かもしれない。
病死かもしれない。
自殺かもしれない。
そのほかの死に方かもしれない。
ということまでは想像できるが、それ以上特定することはできない。

その話をしてくれた高校の先生の話によると、生徒の中には、自殺であろうと想像する生徒がいたそうである。しかし、とても少なかったそうである。その少ないことを、その先生に心配していた。

その死が自殺であることも、可能性としては否定できないが、そう理解することが素晴らしいとは、私には感じられない。

国語教育論者の中には、豊太郎の母の死が豊太郎を諫めるための諌死であるとまで読み取ることが望ましいと考えている人がいるようだ。そんな話題がインターネット上に出回っている。

母親の死が諌死であると理解する人もいるかもしれない。が、私は、そういう理解に共感も敬意も覚えない。そこまで限定するのは強引すぎると私は感じる。そう感じるのは私だけであろうか?

とは言え私は、そう理解する人がいてもいいと思う。なぜなら、どう読むかは読者の自由にゆだねられているからだ。私は、その自由までおかしたくはない。

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