言葉の育ちは探究的

言葉の育ちは探究的
 
幼児はまわりの人と交流しながら自分の言葉を育てていく。教えられて覚えるわけではない。
幼い子は、衣食住すべての面で周囲の人に助けられながら成長する。そこで必要になるのが、まわりの人とのコミュニケーションである。
乳飲み子は泣き声で母親の注意を引き付ける。幼い子は、表情や動作や声などで、要求・拒絶・肯定・否定・喜び・悲しみ・苦しさなどを、まわりの人に伝える。
その子がやがて、「ウマウマ」「マンマ」というような言い方で思いを伝えるようになる。いわゆる幼児語である。それは、大人が使う標準的な言葉ではないけれど通じる。通じるのは、聞く人が理解するからである。
子どもとかかわる人の範囲は、親から家族へ、家族から身近な人へと広がっていく。その過程で、子どもは、まわりの人々が使う言葉をまねて、自分流に言葉を使ってみる。使ってみて、通じなければ修正し、再度使ってみて、通じなければまた修正し、通じればその言葉を自分の言葉として定着させる。そういう試行錯誤を繰り返しながら、通じる言葉を増やしていく。
成長すれば交流範囲がさらに広がる。交流範囲が広がれば、それまで通じていた言葉が通じない場面が出てくる。理解できない言葉に遭遇したり、自分の言葉が通じない場面に遭遇したりする。そういう場合は、質問したり、言いかえたりして、なんとか通じるように試みる。そういう経験を重ねながら、子どもは、自分の言葉を発達させてゆく。
子どもが自らの言葉を獲得していくその姿は、まさに探究そのものである。
探究する力をもって子どもは生まれる。学校で行う「探究」指導は、それを生かすものでなければならない。
 
昨日、2月19日の午後、小学校の先生たちと、『国語を楽しく』第6章の第1節「幼児期の言葉の育ち」を輪読して、こんなことを考えた。
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