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選挙についておもうこと

2021年僕が住むマチ【岐阜県各務原市】では、

市議会議員選挙、市長選挙

が行われ、

さらにその選挙の前には、岐阜県の知事選挙をおこなわれます。

選挙によって誰が当選するか?ということは、

公共空間で活動する自分にとって重要なことであり、

行政と連携していく中でもおおきな影響をおよぼします。


選挙も大事だが、選挙と行政における仕組みを変えることの方が大事ではないのか?とずっと感じている。

具体的にいうなら、

①選挙の仕組みと役職

②地方自治体の組織のありかた

③議員の定義

他にもいろいろあるが、この3つの項目と3つの関係性が、今の時代には限界がきているように感じています。

限界を感じる上での前提として、

・さらに税収が下がっていき、20年後には行政職員は半分になっていき(内閣府のレポートより)地域課題はより深刻になっていく。

・AI、ロボット、ネットワークの進化

・上記により地域はこれから統合していくことが予想される。

・SNSやyoutubeの普及、発達により個人のチカラ、影響が大きくなってきた。

・年度という単位ではなく、継続していく日常が大前提であり、地域では顔がみえるということが必須。

こんな前提を設定したうえで、選挙のことをだらだらと書いていきます。


①選挙のことを話す上で、勝ち馬に乗るというキーワードが気にかかっています。

勝ち馬に乗るためのいろんな方の思惑、牽制が交錯します。

当選する人によってその後おおきく変わる方もいるのはわかります。

ここで勝ち馬に乗る人を否定したいわけではなく、

注目したいのは負け馬になった人、負け馬に乗ってしまった人です。

選挙というのは残酷です。

わかりやすく数字ででてしまうからです。

負けた人には何も残りません。敗者はただ去るのみくらいの勢いです。

もちろん敗者から次当選されるかたもみえますが、

多くの選挙で敗者になった方は急に名前も行動も聞かなくなります。

選挙がはじまるときに急にこうしたい、あーしたい、マチの課題はこうだというまえに、マチには常に問題がいっぱいあります。

選挙に受かっても受からなくてもやれることはたくさんある。

それをシゴトにしてるヒトも、

シゴトにしてないヒトもです。

できれば選挙のはじまるずっとまえから責任、覚悟をもってアクションし、

そして、選挙に当選しても、当選しなくてもアクションしてほしい。

そうじゃないと自分がなりたいのは役職で、その役職じゃなかったらやりたくないというかんじにしかとれないのです。

これはきっとそんな役職になったことがないからいえるきれいごとなんでしょう。

僕のしらないいろんなものが動いていて選挙が行われているから、そんなきれいごとではいけないのはわかりますが、

ただでさえ大変な時代になってきたのに、さらにコロナで全く正解、答えのない時代になってきてる、そんなときに求められるのは、役職のヒトだけではないのです。

それぞれの価値観で動いていけるヒトが一人でも多くマチには必要なんです。

できれば敗者にもやれる要素を残したほうがよいのではないでしょうか?

ベタですけど、知事だったら、副知事を次点の方がやるとか、副知事として自分が敗れた方のやることを近くで見て、支え、その上で次の選挙に手をあげれるならそうすればよい。

選挙の時にどうしても候補者同士は敵対のような感じになってしまう。

敵対できるのは、選挙の後に一緒にやらない前提だからなのでは?

足の引っ張り合い、揚げ足の取り合い、そんなことよりももっと大きな戦うべき相手はほかにいるのでは?

言うだけは簡単なので無責任ではありますが、選挙の敗者、そして選挙に立候補する方の選挙の前後はすごく大事だし、いまの選挙の仕組みにはもったいなさと限界を感じております。


②地方自治体の組織、定義にもかなり限界を感じています。

これは行政に関わったことがあるヒトなら必ず感じることですが、

ビジョンなき人事。年度。公共性、公平性。

などがあげられます。

結局選挙の仕組み、議員さんの定義にもつながりますが行政職員に対して、首長、議員の関係性、立ち位置がもったいないように感じます。

僕は優秀で面白い行政職員をたくさんしっています。

そして行政職員ぽいなって方も知っています。

僕は行政と何かがやりたいのではなく、ヒトとやりたい。

そのヒトの顔と名前、そのヒトのコトバでシゴトしているのが、行政職員だったがいちばんいい。

話がつうじない誰かの、何かのせいにする行政職員とはあたらしいことはできません。

不正をしないように、いろんなことができる、知ってもらうための人事異動ももう無理があるのでは?

一流の病院、医者でさえ、全部ができないから、それぞれの科の専門でやっているのに、

病気やケガだらけの地域を、すべて治せる医者を育てていけるはずがない。

異動して一年目のその課の現状を知るというのも大事ですが、今は一年で大きく変化しているんですよ。

20年で行政職員が半分になるのにそんなのんびりしたことやってられないですよね。

病院のように、それぞれの科で専門でしっかりみながら、かかりつけ医のようにあの人がいるからなんとかしてくれるが、これからの行政のありかたに近いでのはないでしょうか?

そして今の病院は科の連携にすごくチカラをいれている。

なぜならそうしないと病気はなおせないからではないでしょうか?

ひとつの科からのアプローチではなくいろんな角度から病気をみつけ、それぞれの角度からアプローチして病気を治していく。

地域の病気、ケガを治すつもりがないなら、今のやりかたでいいとおもいます。グルグル変わっていく先生。そして自分で考えず患者のいうことを聞くことがシゴトになっている先生。患者ではなく医院長の顔色を伺うことがシゴトの先生。

首長が変わっても、マチ、地域に向き合っていくのは行政職員だと思います。首長と行政職員の関係も見直す時代がきていると思います。

首長も行政職員も任期中、今の課を乗り切ればそれでいいでは、ちょっと厳しい時代がきてしまいました。

行政職員のみなさんは本当に優秀で賢い方が多い!

ただ、そのスペックを変化しないように、責任をとらないようにするために使っているように見えてしまうのがとてももったいない。

役職が上へいけばいくほど戦うものも変わっていく。

この繰り返しでは、答えのない、正解のない世の中で、

それぞれの地域なりに答えをだしていくことはできないのでは?

首長、行政職員、議員でいうと行政職員が一番長い目で見ていかないといけないので、一番大事な公務員を再定義しなければいけないときが来ているような気がしております。


③議員というシゴトの定義

僕が仲良くしていただいてる議員さんは優秀で、面白く、いろんなことを知ってみえる方が多くあの方々を見ていると、

議員というシゴトを行政に対しての提案や質問的な間接的なものではなく、直接的にリーダーになってアクションをしていかねばもったいないと思っております。

ぞれぞれの地域の方の御用聞きも大事ですが、それぞれのプロジェクトに行政職員とタッグを組んでリーダーとして向かってみるというのはどうでしょう?

入札というシステムもリーダーが選んですすめていけば、謎の公共事業、やることがゴールのものももっと減るのではないでしょうか?

不正に関しては昔にくらべてバレてしまう時代ですから今ならこのやり方ができるはずです。

人口の多い市町村になればなるほど、議員さんの数は多いです。

そのヒトたちがそれぞれプロジェクトのリーダーとなり、地域の問題に最前線で向き合い、   

逆にいうとそれができないヒトは議員にならないほうがよいのでとさえ思います。

日本の学校の仕組みもそうですが、入るときはすごくハードルが高いのに、でるときはそこまで厳しくない。

議員になるときの公約に対して任期が終えるとき成績表的なものはなく、なにげなく次へはいっていき、また公約を掲げる。

きっと違うやり方にしたほうがいいのではないでしょうか?


三つの点からダラダラ書いてきましたが、

いままでのやり方が通用しなくなっているから、ニュースで地方のいろんなことが明るみにでるようになってきていませんか?

選挙だっていまなら敗者にもスポットが当てれる時代ではありませんか?

絶対的だったテレビのチカラ、新聞、マスコミのチカラが変わってきていませんか?

変わったものはいつか変わったものではなく、あたりまえになっていきます。

いまの仕組みのあたりまえでは、よい未来がイメージできません。

いまの仕組みだから繰り返しになってしまうのではないでしょうか?

経済屋さんと戦争屋を繰り返すどこかの国。

ビジョンを持ちすすめていくタイプといろんなヒトの意見をタイプの繰り返しになってしまったり。

しっかりとした代案もないし、変えれる立場にない僕がいろいろいうのは本当に無責任なハナシですし、こんな変えることができないことをピーピーいってもコロナの状況ではそれどころではない。

ただただ、もやもやしながら、

普段よくしていただいてる方たちが、選挙でそれぞれの立場もあるので、分かれて対立していく姿がつらい。

その対立より違うものと戦おうよ。

きっと僕だけではないと思う。

SNSで多くの方とつながっていく時代にこの選挙という仕組みはちょっと苦しいね。

それでも未来へむけて一票を投じていきたい!











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