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旅立つには最高の日


一粒万倍の日だった。
貴重な午前中のひととき、どんな時間を過ごそうかと
ヨガマットを敷いて
アロマを焚いて
3冊ほど本を脇に置いて
しばし眺めてから、すでに読み始めていた本を開いた。


この本はエッセイ15編がおさめられ旅の記録や記憶が書かれている。
そのときも1編読んで、胸がいっぱいになって、
ヨガをすることにした。アサナ、いくつかのポーズをとって
たっぷり汗をかいて、たっぷりと休息もとった。
上々の午前中となった。

そう、一粒万倍の日だったのだ。
暦、天体の動きなど、古くからある知恵を、生活に取り入れ参考にしたり
だからこうしよう、ああしようと、デザインするひとつの軸にする。
でも、それさえも外側の影響という視点も、忘れたくないと思う。
繋がっている、だからこそ、わたしたちは
自分がマスターであるということに、一番意識的でありたい。

今日が良い日なのは、
自分が、手足を動かして、意図を働かせ、そう、したからだ。
どうしても条件のちからも借りる必要があるなら
目を閉じて、その条件の日に、アクセスしたらいい。
そこから始めるという意図をもてば、できる。
これは、ヨガの師が教えてくれたマジック。
それは旅だなと、ふと思ったし、すごく腑に落ちていた。

**

田中真知さんに出会ったのは
確か12~3年前、ギャラリー冊という場所であった
シュタイナーに関連するイベントだった。
2日間にわけてあったのか、1日に凝縮していたのか覚えてないが
ゲストのトークを聞く時間とはべつに、
シュタイナーのパステル画法のWSの時間があって
そこでぐうぜん同席したことが出会いだった。

数人ずつでテーブルを囲み
花瓶に生けられた一輪のバラを、それぞれが絵にするのだった。

この頃の私は、
シュタイナーも
ゲーテも
ユングもほとんど触れておらず(今でもあまり変わりないけど)
たしか、アールブリュットの本を読んだ衝撃と、興味から
その日その場にいたはずだった。

ヨガもはじめていたろうか
宮沢賢治の名前がついていたという、ほぼそれだけの理由で
鳥山敏子さんの『賢治の学校』は読んで胸を熱くしていたが
それとシュタイナーが自分の中で結びついていたか
記憶に怪しい。
人は自分に都合のいいように本を読み、記憶に刻むものだ。
理解を超えるものは、簡単に見えないところへと追いやっていた。
でも、ヨガで出会った仲間に、まさにその東京賢治のシュタイナー学校
で、当時現役で勤めていた方に出会い、学校も訪ねる機会を得、
自分の中で散らばっていた点と点が結ばれ始めていった
時期ではあった、まちがいなく。

今思うとそれもまた、なんとも旅の軌跡であったろうと、思う。

***

バラとむきあい、捉えた何かを
ポストカードサイズの白い紙に、パステルの色彩にして落としていく。

バラの形は描こうとせずに
それが放つ、醸し出す何かを、描く。
そんな体験は初めてだったし、おもしろかった。

そして描いた作品を互いに見せ合う時間で、
真知さんはわたしのバラを「絵本みたい」だと言ってくれた。
絵本のページに出てきそうだという風に。

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何もまだ自己紹介も、仕事や趣味や夢についてなども話していなかった。
自分は絵描きではない、でも絵本なのだ、
というところが自分では説明ができない。
しがみついているだけだったようなときだ。
ふしぎで、でも、肯定されたような、うれしさがあったことを覚えている。

バラの放つ何かを捉えるという意識は
自分の心臓の音に耳を傾けるようだった。
それはわたしにとって、苦痛に近い、一種の恐ろしさがあるものだ。

ヨガを続けて、今、その恐ろしいとか苦手という感覚が
もうほんの一部にしか残っていないことに気がついたが

バラに向き合おうという時間は、
内側で体温が上昇したし、そのむこうでふっと楽になるような
そんな体験をした。

それは自分を深く見つめる、内省する
はじめての体験だったかもしれない。

あのバラの絵は、自分自身の投影だったろう。
そこから絵本というキーワードを真知さんが感じ取ったのは
もしかしたら、自然だったのかもしれないけれど、
・・・やっぱりわたしには、不思議で、おどろきだった。

その後、名刺交換をさせていただき、
真知さんが作家であることも知り、すぐに著作を読んだ。
孤独な鳥はやさしく歌う
すばらしい本だった。

真知さんも、わたしの『tuck chick born』を図書館で借りて
読みましたとメールかなにかで伝えて下さり、
「あれも旅の本ですね」という言葉をいただいた。

わたしは嬉しくも、内心とまどいもした。

日々を旅と捉える視点は、もちろん、わたしにもあった。
確かにあったからこそ、tuck chick bornは存在した。
でも、真知さんの本を読み終えたばかりのわたしは
その広さを前に、しり込みをしたようになっていたし
旅とは、過酷なものであるべしという変な思い込みや
遠慮、コンプレックスが、きっと、もう強くあった。

tuck chick bornの活動にも自信がもてなくなっていた。
出版直後、版元は倒産。
コンクールで念願かなって入賞を二度果たすも、
出版は簡単ではなく、途方に暮れることばかりだった。
それこそ、こだわりを強くすることでしか、いられなかった。
先にすすめなかった。
わたしは、絵本作家になる。絵を描かないのに。
だからこそ、過酷な旅をして、
重みのある本を文を、書けるようにならなければならない。

自分にはあらゆる経験が不足していると思え、
当時は20代という年齢さえもがコンプレックスだった。
眼には「人と比べる」フィルターがつねにかかっていて
全方向それを通して見ていた。

過酷とか、重みとか
いったいわたしは、誰とそれを、何とどうして、はかろうとしていた?

真知さんの本にそれを感じたのではない。
むしろ真逆だ。
真知さんの本は、その当時の、
どこへも旅に出られないような私を、
置いていきやしない本だった。
遠い異国の風景に、一番身近な自分の身体の内側で、深く共鳴した。
なんども、涙があふれた。

そのころが、12年前として、
言ってみたらそこから、
わたしは自分の望み通りのある種の「過酷さ」を選んだ。
そうであるべしという、不足感を埋めるように、選んだ。
というか、不足感を前提に苦しむことを、選んだんだ。
その望み通りというのか、今、ここまでの日々を、旅だと思えて、
その12年前それ以前の日々もやっとフラットな目で見渡して
旅だと、思える。

旅は、やさしくてもいい。
幸せでいいんだ。

有限の中で、何をするか、どこへいくか
この一瞬一瞬が、永遠でも当たり前でもないことを知りながら
だからこそ、当たり前に埋もれそうな
退屈で、冴えない今日も、愛おしいと知っている。

テレビやネットやすすんで感じてしまう風潮やら
それはそれで、どこ吹く風だ。
星の動きも月の満ち欠けがどうであれ、
さぁ今日わたしはどこへいこう。

お迎えと買い物で終わったとしても
こころは、意識は、何でも選べる。繋がれる。

それは決して大それたことじゃなくていい。
不機嫌でもご機嫌でも、どっちだってかまわない。
旅の一日一日は、おもしろい。
ただそれだけなのだから。

不機嫌で過ごした旅の一日なんて、過ぎれば懐かしい光のなかだ。
それこそ、最高の旅の一日だ。
15編の読書体験のさいごに
こんなにも温かい光で満ちた気持ちに連れてきてくれた
『旅立つには最高の日』
全身全霊でおすすめします。

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この記事には、長い前置き投稿があります。
この記事は、podcastでも聴けます。

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