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#私のツレもうつになりました

今回の話は、私のツレ(夫)の話。
息子が小学3年生の時に、夫にとってとても良い話が舞い込んできた。
以前よりずっと夢見ていた部長の話。いわゆる栄転の話。

今だから言うわけじゃないけど、正直言って、私はあまり乗り気じゃなかった。今でいう”夫の転職を反対するドク妻”??
そういうわけじゃなくて、その時勤めていた職場がそれなりにあっているような気がしてたので、、、。
でも、本人は転職にとてもノリノリ。

4月になって、新しい職場に不安と期待と夢いっぱいの気持ちでスタートしたけれど、外様の部長に部員の理解が得られることはなく、とても厳しいスタート。
慣れない仕事に慣れない環境。
何もかもが新しい中で何よりも受け入れてもらえないaway な空気感、、、
(そんなこと始めから想定範囲じゃんと思う私、、、)
うつと病気がどういうものかと言う事は分かっていたはずなのに、こんなに身近に起こるなんて思いもしなかったから、夫の元気のない様子は転職による疲れだと判断してしまっていた。
GWが明けて、毎日きちんと決まった時間に疲れた顔して仕事に出て行っている夫を見て、“慣れるまでの辛抱だから“と言うような安易な気持ちで“行ってらっしゃい“と送り出してた。
“少しずつでも慣れてきたらいいなぁ“なんて思っていたけど梅雨になったころには笑顔が無くなり、口数も減っていった。
“調子悪いんじゃないの?“と尋ねても、“ちょっと疲れているだけ、大丈夫“と、すぐに寝室に入っていく。。。
当時を振り返れば、もっと早くに受診を進めるべきだったと思う。
坂道を転がり落ちるように日に日に体調が悪くなっていった。
表情は、能面みたいにもう固まってしまって、歩き方もゆっくりとなってしまって、あっという間という感じだった。
本当にみるみる悪くなっていった。

こんな状態で仕事なんてムリと思い、心療内科に受診を勧めても夫は体裁を気にして”疲れているだけだから”と言って受診に応じてくれない。
私は、心配をかけたくなくて、両親にも相談できず、どうしたらいいか分からずひとり思い悩んでた。
それでも毎日、夫は鉛のような身体を起こして出勤する。。
このままだと息子にも良くないと思って、何とか説得をして、ようやく受診することになった。
カウンセリングをしてもらって、睡眠薬や安定剤などをもらって様子を見ることに、、、。
睡眠導入剤、三環系、四環系抗うつ薬や当時発売した新しいタイプのSNRIと呼ばれる精神科用剤も処方された。
SNRIは効果が出てくるまでに2〜3週間は飲まないといけないことぐらい薬剤師ならわかっているはずなのに、副作用がどうだとか、効き目がないなどと言ってきちんと服用できない。
そんな飲み方で、効くわけないじゃん、、、と心で思っても、言えるような状況でもなく、、、。
診断書も出て、しばらく休職することになったけど、転職して間もないのに休んだら、ますます職場で浮いてしまうと落ち込んでいく、、、。
少し休暇を取らせてもらったものの、余計に落ち込んでいく。

“もう、僕はダメ。生きていく自信がない“
”もう無理…”


休職続けるか、思い切って退職か、、、。
どっちが正解なんだろ。
毎日、何度も何度も、自問自答した。


私の出した答えは、、、

思い切って、仕事辞めようよ。
私仕事してるし、生活はなんとかする。一度ゆっくりしよう。
休憩しよう、ひと休みしよう。

話し合った結果、というか、半ば強引に、退職。
合ってるかどうかわからないけれど、進もう。

私が帰宅すると、電気も点けずにパジャマのままベッドで横になっている日も多くなる。
机にはメモが、、、
“仕事もなくなって、ダメな人間…”
”生きている価値がない人間…“
食事も砂の味がすると言って、進まない。
退職は失敗だったかなと後悔、、、。

充分に考え抜いて選んだ選択だった。
いつも思うこと。
人生は選択の連続だ。しっかりと考えて選んだことは、きっと正しいハズ、、、と。

起きてしまったことは、変わらない。
簡単に受け入れるのは難しいけど、事実は決して変わることはない。
でも、起きたことをどう捉えるか、どう考えるかは、私次第。

そう思ってみても、先の見えないトンネル、、、
どうしたらいいのかわからない、、、
いつまで続くのかわからない、、、

クリニックでは対応しきれないと判断して、心療内科のある病院にも受診して、短期入院も視野に入れて先生に相談をした。
私も毎日不安で不安で怖かったから、安心して仕事に行けるように入院をしてもらうことにした。
両親にも打ち明けて、たくさんのサポートをしてもらった。
友人も私の話を聞いて、心軽くしてくれた。たくさんの応援してもらった。

いつかきっと、トンネルから抜ける日は来る。
今の私を、将来の私が褒めてくれる日がくると信じていこう。

私まで、倒れるわけにはいかない。


何度かの短期入院を繰り返しての毎日。。。長い長い日々が続いた。
長かった、本当に長かった、、、(そう感じてた)

半年ほど経過して、少しずつ働いてみたいという気持ちが出てきて、リハビリ兼ね時間数を制限して働くことを決めた。
夫も私もとても不安だったけど、条件の合いそうな仕事からリスタート。
年月をかけて、少しずつステップアップしていった。

お世話になっている昔の上司から、またお話をいただけるまでに回復した。
とてもありがたいお話だけど、お受けするかしないか、、、
こわい、せっかくここまできたのに、、、


”あの時失敗したのは、自分に部長としてのビジョンが足りなかったからだ”と言った。
とても印象的だった。
しっかり考えて、迷って、、、悩む夫の背中を押す形となった。


あれから月日が流れ、おかげさまで定年退職を迎えさせてもらえそう。(不安がゼロになったわけじゃないけど、、、)
いろいろな職場を経験させて頂いたことが、思わぬ経験として活かされることもあって、人生に無駄はないと再認識した。
本当に皆様に感謝、感謝。

今の時代(今だけでは決してないのだろうけど、、、)を生きていくしんどさを知った。
悩んで、苦しんで、もがいてもがいて、時にやり過ごし、自分自身の気持ちをコントロールすることの難しさを知った。
夫もつらかったと思う、もちろん本人が一番つらいのかもしれないけど、でも、支えている家族だって無茶苦茶つらい。。。
言えば楽になることだったあるけど、言えないことだってある。
でも、やっぱり、がんばって

“助けて”って言うことは大事だと思う。

SOSを出す勇気を持てたら、ちゃんと助けてくれる手は差し伸べられると思う。

私の”助けての手”を握って助けてくれたたくさんの手に心から感謝。
本当にありがとう。
こんな私だからできることがある。

私は”助けての手”を握れる人になりたい。

読んでくださった方の少しでも参考になれたら、、、。

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