ちゃこ

妻です。母です。病院薬剤師やってます。娘はやめました。 しばしば〝超天然“と言われます…

ちゃこ

妻です。母です。病院薬剤師やってます。娘はやめました。 しばしば〝超天然“と言われます。〝半音ズレて“るとも言われます。が、いたって本人は〝まじめ“にやってます。のハズ、、、 よろしくお願いします。

最近の記事

  • 固定された記事

うつの夫と不登校の息子と認知症の父と私のはなし #はじめまして

私の家族の話です。主な登場人物は、私と夫、息子、そして私の亡くなった両親です。 はじめまして。 私は、薬剤師。私には、7歳年上の夫と、息子がいます。 夫も薬剤師。来年何とか無事に定年を迎えられそうです。 それから、息子、今年24歳。社会人一年生です。 私は一人っ子で、自分で言うのもなんですが、 “蝶よ花よ”と育てられた世間知らずでのお茶目な女の子でした。 そんな私が薬剤師になって、結婚して、、、 数々の波乱万丈な出来事がおこります。 ”いつか話せる日が来る、聞いてもら

    • #ACPって、、、父の話

      この間まで、暑い!暑い!と言ってましたが、涼しくなりました。朝晩は、ひんやりとして、少し寒いような感じもあります。すっかり秋ですね。秋といえば、“スポーツの秋”、“読書の秋”、“食欲の秋”、“芸術の秋”と、様々な秋がありますが、みなさまにとっての秋はどんな“秋”でしょうか。  私は、とても自然豊かな町で生まれ育ち、40年余り暮らしていました。小学校の図画の授業では、よく校舎の裏山に写生に行きました。春には、つくしや桜を題材に、秋には、赤や黄色の木々、さらには道端に落ちた

      • 超久しぶりです。記事は、忙しすぎて、何の更新も出来てないです。。ぼちぼちやります。 で、 今日は、コナコーヒーを入れて、ハムと野菜を乗せたオープンサンド食べました。もちろん、ガッチリ!見ながらです。笑笑

        • 「字てがみ」。出展する!と意気込んでたけど、母は亡くなり、その後コロナで延期。無事に開催されたそうで、ご厚意で母の写真をいただいた。どこまでも、不登校してた孫が気になっていたのかな。”お母さん、心配ばかりかけててごめん、ありがとう” https://www.instagram.com/jitegami_official/

        • 固定された記事

        うつの夫と不登校の息子と認知症の父と私のはなし #はじめまして

        • #ACPって、、、父の話

        • 超久しぶりです。記事は、忙しすぎて、何の更新も出来てないです。。ぼちぼちやります。 で、 今日は、コナコーヒーを入れて、ハムと野菜を乗せたオープンサンド食べました。もちろん、ガッチリ!見ながらです。笑笑

        • 「字てがみ」。出展する!と意気込んでたけど、母は亡くなり、その後コロナで延期。無事に開催されたそうで、ご厚意で母の写真をいただいた。どこまでも、不登校してた孫が気になっていたのかな。”お母さん、心配ばかりかけててごめん、ありがとう” https://www.instagram.com/jitegami_official/

          #父の作ったキーウィでジャムを作った

          今回も父の話。 私の父は「古き良き昭和の頑固なお父さん」だったと思う。 父はぶどう農家に生まれた話は以前にお話しした通り。 父が若いころは、一般的なデラウェアが主流だったのに、 贈答用の高級な品種であるマスカットやピオーネに目をつけて、 栽培品種のチェンジをした。 早生みかんや奥手みかんの栽培もしてたけど、 ネーブルのコーナーも増やして作っていたっけ。 母の生まれ育った町で偶然見つけたアンセイカンにもチャレンジすると意気込んで、苗を5本買ってきたことがあったと思い出した

          #父の作ったキーウィでジャムを作った

          #父の過ごした病院 薬剤師の私が感じたこと

          今回は、父の話。 父の誕生日だったから、父のことをぼんやりと考えていたら、 父が亡くなる頃のことが思い出されてきた。 父は、認知症で大腸がんだった。 私が勤めている病院で、物忘れ外来も循環器内科も受診していた。 そして、大腸がんの手術を受けた。 退院後は、定期受診をしながら、デイサービスに通いつつ、 それはそれなりに楽しく過ごしているようだったけど、 ある年の12月、腸閉塞を起こして、 私の勤める病院に入院することになった。 主治医から、最悪、年は越せないかもしれないと言わ

          #父の過ごした病院 薬剤師の私が感じたこと

          ”50の手習い”とはよく言ったもんです。サイト作ること習いました。参加の皆さんに遅れないようについていくのに必死でした。たかがですが、ワクワクドキドキです。アナログな私にとっては、すごい一歩だぁぁぁ。がんばったぁぁぁ。 https://sites.google.com/view/sorokatu/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

          ”50の手習い”とはよく言ったもんです。サイト作ること習いました。参加の皆さんに遅れないようについていくのに必死でした。たかがですが、ワクワクドキドキです。アナログな私にとっては、すごい一歩だぁぁぁ。がんばったぁぁぁ。 https://sites.google.com/view/sorokatu/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

          #私のツレもうつになりました

          今回の話は、私のツレ(夫)の話。 息子が小学3年生の時に、夫にとってとても良い話が舞い込んできた。 以前よりずっと夢見ていた部長の話。いわゆる栄転の話。 今だから言うわけじゃないけど、正直言って、私はあまり乗り気じゃなかった。今でいう”夫の転職を反対するドク妻”?? そういうわけじゃなくて、その時勤めていた職場がそれなりにあっているような気がしてたので、、、。 でも、本人は転職にとてもノリノリ。 4月になって、新しい職場に不安と期待と夢いっぱいの気持ちでスタートしたけれど

          #私のツレもうつになりました

          #”母のような働くお母さんになりたい”が始まり

          今回話したいのは、母のはなし。私の原点。 ”母のような働くお母さんになりたい”と、子供の私が思っていたことは、“とても難しいことだ”と大人になった私は知りました。 責任者になって、五十路を過ぎて、私がいま思うこと。。。 母は看護婦。でした。フルタイムで働いている働く女性でした。 当時にはまだ珍しい共働きの家庭で私は育ちました。 子供の頃、母の勤めている病院に何度も出かけたことがあります。 袖をまくりあげた白衣で動き回っている母の姿を単純に”かっこいい”と目で追っていたもの

          #”母のような働くお母さんになりたい”が始まり

          #“ぶどうの名産地“は父のはなし

          今回話したいのは、父のはなし。みなさんは、「ぶどうの名産地」という歌をご存じですか? 「すいかの名産地」の替え歌なんですが、私は子供の頃、 音楽の授業や子供会でよく歌ったものです。 ♪友達ができた、ぶどうの名産地〜 なかよしこよし、ぶどうの名産地〜♪ 私の生まれ育った町は、知る人のみぞ知る“ぶどうの名産地”です。 比較的雨が少なくぶどう栽培に向いた気候に加え、 日当たりと水はけの良い山間部の傾斜を利用した畑が数多くあるので、 とても甘くてみずみずしい美味しいぶどうが育ちます

          #“ぶどうの名産地“は父のはなし