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J-JUN 日本事務所変更に伴う成功への道筋

4月30日に行われたハニホリのイベント内にて、ジェジュン本人より、日本活動提携先事務所の変更が語られました。業務提携先がケイダッシュから変更されるということについてです。
ケイダッシュという大手事務所から離れることに関して予想される日本ファンの不安を察知し、「何も心配することはない」と明言した彼の言動は、14年前のSM事務所退所に伴って現れたファン社会の混乱を2度と繰り返さないという経験値に基づいた発言だったと思います。
新しい提携先についての発表は後々行われるとのことですから、それを待つことにし、今回は、そもそも日本活動をするには、なぜ、日本の事務所との提携が必要なのかということの歴史的背景や、提携先が変更されることについて予想され得るメリットとデメリットなど、現在のJ-POP界の実情や、多くのアーティストの連載を書いている中で知り得た情報と、関係者から知り得た情報などを元に、記事を作成しました。
日本でアーティストとして成功していく為の1つの法則について、どこにも書かれていない情報を含みますので、記事は1万文字以上のものになりました。
冒頭部分は無料で公開します。


日本活動において必須の業務提携

まず最初に、なぜ、ジェジュンが(ジェジュンのみならず、韓国など外国のアーティスト)日本で活動する為には、日本の事務所との契約が必要なのか、という視点で考えてみたいと思います。

2004年デビューの東方神起以降、日本には多くのK-POPアイドルグループが存在してきました。
東方神起の日本デビューは2005年。(来年は日本活動20周年)
分裂してから14年。
未だに日本では東方神起という名前の持つネームバリューというものを感じることがあります。
すなわち、東方神起と言えば、世代を問わず、何となく誰もが知っている、ということです。
東方神起は、SM事務所の所属です。
このSMの日本活動の進め方というものが、東方神起以降のK-POPアイドルグループの1つのロールモデルになってきたのは確かなことです。
東方神起の日本活動を進めるのに、SMはそれ以前に成功したBoAの現地化政策というものを取りました。
現地化、即ち、日本の土壌に根付いた活動の仕方を言います。
日本語を話し、日本語の歌を歌い、日本の芸能人と変わらない活動の仕方をする。
これが現地化政策です。
この方法でBoAは見事にJ-POP界のダンスナンバーのトップアイドルに上り詰めました。
その頃、J-POP界は、小室哲哉から始まったダンスミュージックの全盛期の終期で、SPEEDというアイドルグループがトップの座を占めていましたが、突然の解散により、その穴を埋める女性アーティストがいない状態でした。
その空白部分にBoAが見事に嵌ったのです。
流暢な日本語を話し、レベルの高いダンスパフォーマンスや歌唱力は、一気に日本の市場に浸透していきました。彼女が韓国人であることを忘れるほどに、日本の一般市場に馴染んでいったのです。
その成功例に倣って、SMは、東方神起が日本デビューする時も現地化政策を取りました。
しかし、東方神起の現地化政策は、BoAのように順調ではなかったのは周知の事実です。
その理由は、彼らが、日本のボーイズアイドルグループの草分けである旧ジャニーズのコンセプトと全く被ってしまったからです。
BoAのように空席に座ったのではなく、最初から席がない場所に戦いを挑んだ形になりました。なぜなら、日本のボーイズアイドル市場は、旧ジャニーズの独占場だったからです。多くの日本の他の会社も同じように戦いを挑んでいましたが、太刀打ちが出来ない状況でした。
ですから、東方神起は、アイドルグループの市場を捨て、本格的なボーカルグループとしてのコンセプトに変えたのです。
それが結局は彼らの成功に繋がりました。コンセプトを変えるだけの実力を持っていたからです。
日本のアイドルグループとは違い、韓国の厳しい練習生制度の中で鍛え上げられた彼らは、実力派のボーカルグループとして日本にはない存在になりました。
そのコンセプトが、その後のK-POPのコンセプトになったのです。
彼らの日本での成功が、同じように日本で活動するK-POPアイドルグループのモデリングになりました。

彼らが成功した理由は2つあります。
①現地化政策
②日本事務所との正式な業務提携

これらの2つのキーワードによって成功したのです。

日本の芸能界で活動するには、どこかの事務所に所属する、というのが大前提になります。
現代のように、YouTubeでアマチュアでも優秀な人材であればスカウトされ、メジャーからいきなりデビュー出来るのとは違って、当時は、必ず、どこかの事務所に所属しなければ、メジャーデビュー出来ない状況でした。
いわゆるメジャーデビュー。
オリコンランキングやBillboardにランキングされるには、インディーズレーベルでは難しいのです。
日本で正式に活動を行う、ということは、テレビなどの放送媒体に出演する、CDをレコード会社からだす、ライブツアーを行う、ということです。
これらの分野は、全て、日本の事務所と制作会社によって成立している分野で、素人が手を出せる状況にはなく、ましてや、韓国の事務所が参入出来る場所でもなかったのです。
ですから、日本で芸能活動を行うには、必ず、どこかの事務所に所属する必要がありました。
しかし、東方神起は、あくまでも韓国のグループで、SMという事務所に所属しているグループです。その権利関係を明確にする為にも、日本の事務所に所属させるという形ではなく、あくまでも”業務提携”という形にしたのです。即ち、”レンタル”という形です。
このことによって、東方神起の活動は、avexに一任されることになりました。SMがavexと業務提携を結んだからです。

avexは、いわゆる日本の新人アーティストと同じ形式で彼らを扱いました。しかし、売り出すこと、何とかヒットさせることに力を入れていたことは間違いありません。
それは、彼らの才能を早くから見抜いていたからです。彼らが周知されれば、必ず、日本にはない存在としてブレイクする、ということを見抜いていたからと言えます。
その後の彼らの活躍は誰もが知ることです。
彼らの成功によって、日本で韓国のグループが活動するには、どこかの芸能事務所と業務提携する、ということが必須になりました。
最近では、事務所に限らず、レコード会社との業務提携も行われていますが、いかんせん、どうしてもメディア露出、という部分では、レコード会社では非力な部分があります。
バラエティ番組や情報番組など、メディア全般に出演するには、やはり芸能事務所の力を借りなければ難しい、という状況になっていると言えるでしょう。
これらの経験が、ジェジュンの日本活動再開をするにあたって、彼の頭の中にあったことは確かなことでしょう。

ジェジュンとケイダッシュの関係

ジェジュンが日本活動を再開する時、どこかの事務所に所属、または、業務提携するのは、必須だったことが、以上のことからわかると思います。
彼は、常日頃から、「以前のように日本で活動したい」と話していました。

「以前のような活動」というのは、バラエティ番組や音楽番組、さらには情報番組などのメディアに出演する、ということと、全国でライブツアーを行う、という日本の当たり前の活動の仕方を指していると言えます。
これらの活動をするには、正式にどこかの事務所と契約しなければ、到底実現することは不可能なのです。
即ち、彼が7年前に日本に復帰できたのは…

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