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【子育て・教育】学校以外の居場所。子どもたちの本音を聴く対話会@ココカラ

夜でもヒルタです。私は、「しあわせな+1時間を 岡崎市」を目指して活動しています。自分の使いたいように、自由に使える時間があることが「しあわせ」につながると信じています、家族との時間・学び直し・まちづくり活動・趣味や休息等。そうした時間を住民が毎日「+1時間」得られるまちをつくる。政治により生活を効率的に、豊かに楽しくすることで毎日1時間の余裕を生み出すことを目指しています。

私、晝田 浩一郎ひるた こういちろう)は、「ココカラ」が運営するこども食堂・こどもの居場所づくりの取り組みに参加させてもらいました。

2018年5月に月1回の子ども食堂としてスタートしたココカラ。2023年1月より、六名小学校北の座王公園北東側の一軒家に常設移転。
駄菓子屋を併設し、子ども若者を中心とした地域のサードプレイスに。

ココカラFacebook

子どもたちがおおはしゃぎ

訪問した時には数人、子どもたちが創作を楽しんでいました。ボランティアスタッフの方と一緒につくりあげる。

そうこうしていると、どんどんと子どもたちが増えてきておおはしゃぎの状態でした。それぞれが思い思いに楽しんでいる。

代表のまなみさん!

学校が終わって、いったん家に帰って、遊んでからのココカラに来るこどもたちがたくさん。17時を過ぎるとどんどんと子どもたちが増えてきました。すごいおおはしゃぎ!

どんどんと増える!

心理的安全性がある場

いろんなこども食堂やこどもの「居場所」のところで感じますが、子どもたちの「心理的安全性」が担保されていると感じます。

「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。
組織行動学を研究するエドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義しています。メンバー同士の関係性で「このチーム内では、メンバーの発言や指摘によって人間関係の悪化を招くことがないという安心感が共有されている」ことが重要なポイントです。

リクルートマネジメントソリューションズ公式サイト

心理的安全性があることとルールがないことは違います。お互いが過ごしやすい状態であること。無法地帯ではない。

ココカラも心理的安全性がある場だな、と感じました。思い思いに過ごしつつも、楽しんでいたり、自分たちがどう感じているか、どう考えているかを言ってくれました。

「学校は好き。だけど、行きたくない」本音

こどもたちにじっくりと話を聴かせてもらいました。対話をしながら、心理的安全性があるからこそ色んな本音を、こどもたちの想いを聴かせてもらいました。

「テストいやだーーー! めんどくさーーーい!」といった声もありつつ、自分の中学校時代と変わらないなと思ったり。通っている学校が全校生徒で1,000人規模のマンモス校で修学旅行での移動が大変だという声だったり。

とくに印象的だったのが「学校は好き。楽しいから。でも、行きたくない」という声でした。

どうして?

「友だちもいるし、友だちと話すのも楽しい。勉強もイヤじゃない。けど……学校の先生で良い先生もいるけど、私にだけあたりが強かったり、表裏がすごかったり…。気分の差が大きくてつらい

先生も人間だから調子が上がらないときもあるのはわかる。いつも機嫌が良いって難しい、人間だもの。しかし、「学校に行きたくない」って子どもが思ってしまう理由で先生の影響が大きいわけです。

大人でも一緒。
リクナビネクストによると「転職・退職理由」として、「人間関係」をあげる方が多い。

大人は転職すればいいけど、子どもは先生との相性が悪いからといって転校するのは難しい。学区の関係もあるし、友だちとの関係もある。

人と人だから、合う合わないはどうしても出てきてしまう。会った人と全員と友だちになれるコミュニケーションお化けの方は奇跡人材。同級生もそうだし、先生ともそう。

岡崎市だと「学校内のフリースクール・F組」があるけども、それでも学校というか担当の方の熱量さでだいぶ成果に差があるとの声を聞いています。

例えば、学校内転校みたいなかたちで、クラス移動が自由にできるとか。年度途中でクラス替えが行われるとかあれば、「学校は好きだけど、先生との相性が良くない」子どもたちが、学校に通い続けられるようになるのかもしれない。

「先生が悪いんだ! 先生の能力向上を!!」
って声もあるかもしれません。しかし、そうした能力向上や先生を糾弾したとしても仕方がない部分もある。時間がかかるものでもあるとおもうからです。

目の前の対策をどうしていくか、教育委員会としても「学校に行くことが唯一の正解」だけではなくフリースクール活用や年度内のクラス変更等も柔軟に行えると良いのかもと感じました。

ちょっと叱られただけで「あの先生やーーーだーーー!」といったものと今回の子どもの話はちょっと違うなと感じたので、子どものわがままをすべて優先すべきとは思っていません。しかし、子どもが感じていること。「ずっとイヤなんだ、それだけが……だから学校に行きたくない」はすごく大事な声だと感じました。

対話から始める教育改革

三宅町(奈良県)では、ちいさなまちだからこそかもしれませんが、教育委員会から変革がはじまろうとしています。

コミュニティ・スクールとして、学校と地域がつながりながら取り組みを進めていく。学校を「勉強する場所」「親に代わって躾をしてもらう場所」として捉えるのではなく、一緒になって、子どもを育んでいく場所であることを対話を通して教育改革を進めています。

子育てと教育がまちの未来を決める

5教科の点数が良い、偏差値教育も個人的には否定しません。まずは、基礎知識を得ることは大事だと信じているからです。

アウトプットするためには、それ以上のたくさんのインプットが必要だから。

一方で、偏差値教育に偏重したり、今の時代に合致しないやり方で学校があることや子どもたちを育むのは制度上の疲労がきています。わかりやすい例が「ブラック校則」です。

昔は、「ルールだからごちゃごちゃ言うな!! 靴下は白色!!」「なんかそっちのほうが良いから。昔からそうだし」という思考停止なことをせず、対話をしながら考え取り組んでいく必要があります。

見えない敵と戦わない。目の前の一人と対話する。

子ども食堂や子供の居場所にお伺いし、強く感じる部分です。「もし、こう言われたらどうしよう」ではなく「目の前の一人を、まずは、なんとかしよう」としている。

ブラック校則にもルールができた背景があったとおもいます。70年代、80年代の荒れていた先輩方が色々とあったからだという意見も聞きます。

40年、50年前の社会状況といまの社会状況をしっかりと鑑みる必要がある。こうした取り組みをしていかないと、20年、30年先のまちの未来はない。

岡崎市においても、いまは良いかもしれません。しかし、未来を考えた時にこのままで良いのか。少しずつ良くしていこうと動き出さないとどんどんと不登校の子どもが増えていき、もしかしたら、ありえた未来をつかめないかもしれない。

大人が子どもの可能性を羽ばたかせる。まわりの大人がサポートしあえる。「応援する大人がいる」ことで「しあわせな+1時間を」過ごすことにつながる。子どもだけではなく、大人も同じ。

もっと、よい岡崎市にできる可能性がまだまだある。

さぁ、共創だ!


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