![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74456865/rectangle_large_type_2_718e9983f89bb1aee7f9127e39371802.jpeg?width=1200)
逃亡!絶望!がんばったー。
ぜッ・・・ハッ…ハァ……ハァッ……ぜっ、、、
研ぎ澄まされた冬の空気を切るように俺は走った。
眠れる太陽。沈む空。
脚が重い。視界がかすむ。
肺を引きずるように腕を振る。
目的などない。
ただ走る。逃げるように。ひた走るしかないのだ。
…………頬の冷たさで我に返る。
気付けば田んぼの畦道につっ伏していた。
つまずき転げたのだろう。
一体いつから俺の人生は地面の匂いになったのだろうか。
・・・
話は日の暮れたばかりにまで遡る。
仕事をサボって出かけた撮影。
納得の写真に上機嫌で帰宅した俺は冷蔵庫を開け手を伸ばす。
缶ビールである。
切り裂くような冷たさが指を伝う。間髪入れずプルタブを弾く。
プシュッ…ビールが一言。さながら一日のファンファーレ。
そう、俺の一日はこれから始まるのだ。
すっかり酔いの回った俺は冷蔵庫に佇むある一点に目が留まる。
プリンである。
言葉はいらない。
飾らずともプリンは最強なのである。
幸福とはプリンそのものなのである。
無論、幸せとは永遠ではない。
「幸」から一つを失うと途端に"それ"は「辛」となるのだ。
空の容器を見つめていると視線を感じた。
容器と目が合うわけもなく"それ"は確かに背後から。確かに感じる。振り返る。
嫁である。
愛する我が子を背負う嫁である。
雷雨のごとく泣きじゃくる我が子をあやす母である。
当然、母の機嫌も大荒れ。台風。はりけーん。
幸せとは永遠ではない。
「それ。」
それ……?
「プリン」
あぁ……
「わたしの」
あー、ね。
「うん」
嫁の右手にはバットが握られていた。
ぎゃああーーーー!幼子の鳴き声が肌を突き刺す。
振りかぶったバットの先を見るまでもなく、俺は家を飛び出した。
・・・
気付けば田んぼの畦道につっ伏していた。
このまま独りで土になろう。
───(きみは、ひとりじゃない…)
聞こえた。絶望のさなか、はっきり聞こえた。
目を凝らすと目の前に一匹。
……いや、二匹。
![](https://assets.st-note.com/img/1647253690877-qO8xuqZKvh.jpg?width=1200)
──オンブバッタ。
バッタ(直翅)目・オンブバッタ科に分類されるバッタの一種。
オスは2.5cm、メスは4cmほど。
春から晩秋までみられる。
メスの上にオスが乗っている姿は有名である。
おまえらってケンカしないのか?
イヤにならないのか?
返事はない。
しかしオスの、メスの背を掴んで離さない健気さ。
堂々たるメスの安心感。
二人三脚。いや、六脚。
返事はなくとも見ればわかる。
……帰るか。
ぽつぽつと明かりの消えた町を背に、チャイムを押した。
ただいま。
「なに」「帰ってきたの?」
子を背負った嫁が静かに問う。
さっきは悪かったよ。プリン勝手に食べちゃって。ほら、これで仲直り。
袋を見せると嫁は照れくさそうに微笑んだ。
「え……ありがと。」
おう。
「ちょうどこの子も寝てくれて。一緒に食べましょ」
背の子から、夢を見ているのか、グフッと笑い声が飛び出した。
見合った俺たちからも笑みがこぼれる。
はい。どうぞ。
「ふふっ、プリンかしら。」
袋を手渡す。開ける。中身を手に取る。
手に握られたのはオンブバッタ。
オンブ。バッター。
泣き出す背の子。
嫁の右手にはバットが握られていた。
1回表。攻撃は1番、センター。嫁。
バットを構えて……
(フィクションです。嫁がいなければ子供もいません。今の時期はオンブバッタもいません。なにもいません。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?