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蛭野行燈という人物について

私、蛭野行燈(ひるの・あんどん)。

俗に言う「ゆとり世代」のど真ん中で、社会人になった現在は人生の先輩方からこの境遇について言われることもしばしば。

幼い頃から周りの人が概ねやってきたこと、例えばサッカーとか野球とか、そういったことへの一切の興味を持たずして、自由帳に拙い絵や漫画を描いていた。かと言って、漫画が好き、というわけでもなく、物語とか空想だとか、のめり込むと大変なものに興味あり。

さて、私がこのnoteを始めた理由だが、それは生きづらさからである。このペンネームの由来は昼行灯(ぼーっとしてる人を指す言葉)で、ぼーっとしているような感覚にしょっちゅう襲われることがあるからそう名前にした(これについてはいつか話す)。

学生時代より発達障害の可能性を憂い、時折希死念慮に苛まれることがあり、最近になってそれが悪化してきている。このままだと本当に死んでしまうかも知れない。そんな一抹の不安ゆえ、書くことを始めた。いわば、処方箋である。


ご覧頂いてる皆さまからしたら、見るとマイナスな気持ちになってしまうかもしれない。でも、これは本当の思いや考えだ。


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