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保守的な農耕民族の価値観を捨て、狩猟民族の価値観でイノベーションに挑むべし

日本はオールジャパンみたいな国産体制にこだわるほか、研究者と企業が完全に離れてしまっている。これは日本がワクチンを開発できなかった理由の一つだと考えています

日本人として博士1人育てるのに教育費や税金が1億円かかります。だから教育を日本で受けて、海外でやるのは日本にとってはマイナスなんです。僕は日本の教育のおかげで研究者になれたという意識がずっとあって、恩返しは絶対にしたい

日本でダメだった僕が、名門大学でラボを持つまで

農耕民族である日本人は、構造化された仕組みやルールが一度できるとそれを守ることに必死になる。目的よりも仕組みやルールが重要なのだ。

農業は、春に種を植え、夏に育ち、秋に収穫するという季節の流れとともにルーチン作業だ。このルーチンを徹底的に守ることが安定した収穫には必要となる。ちょっとでも違うことに挑戦して収穫量が激減すれば、命に直結するからルーチンを守ることに必死になる

収穫物を効率よく分配するために、権力構造が生まれ、法が整備され、政治が行われる。既得権益がそこに組み込まれることで、さらにルールを徹底的に守る力学が働く。

日本人が一度作ったルールや構造を壊すことに保守的で変化を恐れるのは、農耕民族としての恐怖がDNAに組み込まれているがゆえだ。

それは決して悪いことではない。作られた仕組みの上で、命の安全が保障されたがゆえ、日本文明は花開いた。江戸時代という長期に安定した政権が保たれ、戦争がなくなった600年間というのは、日本人の「道の追求」という民族性を強固なものにするには十分だったのだろう。

かくして日本人の「モノづくり」と「真面目さ」は世界で目を見張るものをもち、高度経済成長を実現しながら、システム思考によるルールメイクやプラットフォームにおいてアングロサクソンから遅れをとり、失われた30年へと突入したわけだ。

対して狩猟民族は、まさにイノベーションに適した性質を持つ。安定して獲物が取れるわけではない中で、常に挑戦と失敗と改善の繰り返しの中で生きてきた。安定することなく、日々挑戦を繰り返さなければ生きていけない

力を持つものが、より大きなリスクをとって、大きな成果をあげる。それが賞賛される。力なきものは、力のあるものに守られる必要があり、それによって役割分担が明確になっていく。

人に仕事がつくのではなく、役割に仕事がつく。成果をあげるための試行錯誤が前提であり、失敗に寛容である。リスクをとった博打に成功すれば、それまでの失敗はリカバリーされる。まさに狩猟民族の気質はイノベーションにおける行動とマインドそのものだ。

日本で権力を握るのは、農耕民族の気質を持ったまま高度経済成長を経験し、成功体験に縛られたものたちだ。それがいわゆる「老害」となってイノベーションの足を引っ張る。

しかしもはやイノベーションを成し得ることのできなかったその先に、僕らの未来はない。今の日本に「変革」を避けては未来はないはっきりと捨て去るべき価値観を認識し、変わるべき価値観を自覚すべきだ。

もちろん農耕民族が作り出した、安心と安定という素晴らしい社会を捨て去る必要はない。安定的に売り上げを稼いでいる既存事業で、挑戦をすることが必ずしも正しいわけではない。だから全員が変わる必要があるわけではないのだ。

まさに両利きの経営。農耕民族では異分子と見做され、排除されてきたような、リスクを厭わず未来に果敢にベットする狩猟民族に、イノベーションを任せる。その役割分担を両立させることこそ、今の日本には強く求められるのだ

日本人の研究者は抜群にいい。絶対にアメリカ人とかヨーロッパ人に負けない。にもかかわらず、産業化で負けるのは、本当にもったいない。正直、日本人を欲しいと言っている教授はたくさんいます。その動きももっと後押しして、また日本に帰っても活躍できる機運は盛り上げていきたい



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