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ゲシュタルト Ⅰ

『宇宙で唯一無二の自分を生きるために』


Gestalt

掴めそうでなかなか掴めないゲシュタルト心理学は、人が物事を認識する時の癖だと捉えることで、さまざまな事を理解しやすくなると思います。
私は学者ではないので、ここでは私個人の主観から、いくつかの例を用いて説明してみようと思います。




この『ルビンの壺』という絵は、壺と、2つの横顔が一枚の絵にありますが、両方の形を同時に認識することはできません。
壺を認識すると、人の横顔は認識されず、顔を認識すると壺は認識することができません。図と背景、どちらか一つの形しか認識できないのです。

もし二重人格で例えるなら、表面に出てくる性格は、どちらか1人の性格しか表出しません。
人の性格は、笑っている時や泣いている時、普通の時など、同じ人間でも、その時の条件でさまざまな性格が現れますが、笑いながら怒るということはできません。怒っている自分に対して、冷静なもう一人の自分が「おいおい、そんなことで怒るなよ」と止めに入ることは難しく、気分が少し落ち着いてから平常心に変わるタイミングは何となくわかりますが、基本的にはどちらかの性格しか出現しないのです。
現れる性格は、その時の臨場感の高い感情によって、無意識に選ばれますが、ここで最も重要なことは、自分で意識的に選ぶことができず、無意識に、自動的に選ばれているということです。




空間 次元の認識

上の図を見ると、幾つもの多面体を認識することができますが、ルビンの壺のように、一つの形が見えると、他の形は背景になり捉えることができません。同時に2つの形を認識することはできないのです。
この多面体の一つを、一つの次元だと考えてみましょう。
この宇宙に並行して目に見えない他の次元があるとしたら、この図のように、存在はしているが自分には見えていない次元があって、それを認識するには、目の前に認識している現実を崩壊させることによって、認識することができるのでしょう。
電波などは見えていないのに機器が送受信できますし、日光は透明で、反射するものがない宇宙空間では光を捉えることができませんが、惑星などの物質に当たったときに光を反射して認識することができます。
したがって、少なくとも、光や電波という目に見えない領域はすでに確認されていますので、世界は図にあるような目に見えない次元が、見えている現実と同時に存在していることが考えられます。

さて、この論理を用いて考えますと、この地球上において、さまざまな人が活動をしていますが、その活動は多種多様で、同じ現実を見ているのに、その捉え方は全て異なっています。
その見えている世界は自分がつくりだしているのであって、それは自分が重要だと思い、選択したことの集合体によって自我が形成されています。

例えば、自分の憧れている人物がいて、その人のようになりたいと思っていたとしましょう。同じ国に住んでいれば、歩いて会いに行くこともできます。
もし、その人に出会い、横並びになって同じ景色を一緒に見たとします。
同じ目の前の世界を見ているのに、自分が憧れるような生活をしているその人と自分は何が違うのでしょうか?

それは重要だと思っていることが違うので視点が違い、その人には見えていても、自分には目の前にあっても気づいていない部分があるということになります。
人は自分が見たい部分しか見えておらず、自分の見ている世界は、自我がつくりだしたものを見ているのにすぎないのです。



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