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【台湾裏切者列伝】ル・ジャンドル

2021年に台湾でとても話題になったテレビドラマに「蘇卡羅」があります。1868年、屏東の墾丁沖に遭難したアメリカ船ローバー号の乗客が、この地方の原住民に皆殺しにされ、アメリカの軍事的な報復を受けるという事件を題材にしています。このドラマの主人公ル・ジャンドルは戦争を避けるべく交渉を重ねる平和主義者として描かれています。
しかし、これは後の彼の行動から考えると、そんな生やさしいものではない。台湾の原住民の信頼を全面的に裏切る、とんでもない行為であったと台湾の歴史家が説明しています。


テレビドラマ「蘇卡羅」

このドラマで、ル・ジャンドルはフランス系アメリカ人で駐厦門のアメリカ領事として、ドラマの主人公として描かれています。
彼は、ローバー号事件と呼ばれるアメリカの船が墾丁沖で座礁し、乗員が原住民に皆殺しにされるという事件を調査し、アメリカと台湾原住民との条約を締結します。ストーリーは、彼と原住民の間の通訳を務める客家系の女性、蝶妹を中心にして進みます。
ル・ジャンドルは清朝を相手にこの事件の捜査を依頼しますが、清朝からはこれは化外の地の事件であり、清朝は関知しないと協力を拒否されます。
そのためアメリカ海軍の軍事力を使って、武力行使を行いますがこれも失敗します。
最終的には自ら原住民の地に赴き、部族の頭目を相手に交渉に臨み、彼らとの約束事を文書にして取り交わします。それは、今後この様な遭難船が出た場合には、その乗員を救助し清朝の管轄する台南まで送り届けるという趣旨のものでした。

ドラマの中で、ル・ジャンドルは戦いになるのを望まず、蝶妹と共に平和に事件が解決されることを望む人物として描かれています。

チャールズ・ル・ジャンドル

このル・ジャンドルという人物は、後に日本政府の外交顧問となり、牡丹社事件が起きた際日本政府をリードして、台湾南部の地に日本軍を上陸させるという仕事をしています。
当時、日本に台湾に関する専門家はおらず、この牡丹社事件の経過がローバー号事件に類似していること、ル・ジャンドルには台湾南部に関する地理的、社会学的に知見が充分にあったことから、この外交的処理の背景には、ル・ジャンドルの考えがとても色濃く反映していると思われます。

「台湾を裏切った漢」

上記の2つのことは、ル・ジャンドルについて知っていたのですが、これを総合的に見て、ル・ジャンドルの事をとても批判的に評価している台湾の歴史家の見解を知りました。ラジオ番組、98新聞台で楊渡氏がパーソナリティーを務めている「楊渡時間」です。ここで彼はル・ジャンドルについて一回の番組を使って解説しています。中国語でのタイトルは「賣台第一人-李仙得」「台湾を売った漢、ル・ジャンドル」です。

楊渡の見解は、このル・ジャンドルのローバー号事件での行動は、そもそもアメリカ政府を代表しているものではない。アメリカが外国と条約を締結する場合、議会での承認を得る必要があるが、その様な手続きは踏まれていない。ここで締結されたアメリカと原住民の間の条約というのは、ル・ジャンドルの個人的な覚書程度の意味しか持たない、というものです。ですので、台湾の原住民がアメリカ政府と条約を結んだというのは、事実を大袈裟に捉え過ぎているとしています。
また、ル・ジャンドルの動機についても次の様に説明しています。19世紀後半のこの時代、世界の外交では帝国主義的な考え方、先進的な軍事的強国が文化的に遅れた地域を植民地として支配下におくのはごく普通の思考で、ル・ジャンドルもその様な考えのもとに行動をしている。
そうであったならば、彼は原住民と対等な立場で条約を結ぼうとは考えていなかったであろう。彼の目的は、この蘇卡羅の種族の生活している場所に足を運び、その地の地図を作成すること。そして、原住民側の軍事的実力を客観的に調べることにあったのであろうと説明しています。
ル・ジャンドルはローバー号事件の直後とその2年後に恆春半島に足を運び、詳細な現地の地図を作成し、原住民諸民族の状況について知見を蓄えています。

1871年、牡丹社事件が起こり、今度は宮古島から中国に向かう進貢船が墾丁沖に座礁、今回はいきなり皆殺しということにはなりませんでしたが、誤解からやはり少なからずの乗員が殺されてしまいます。

1872年、ル・ジャンドルがアメリカに帰国の際、日本政府に対して台湾に軍事的圧力をかけるよう提言しました。当時の外務卿副島種臣はその考え方を共有していたので、ル・ジャンドルを日本の外交顧問に招聘しています。これは、抽象的に台湾に打って出ようと考えていた日本の政府に対し、現地の詳細な軍事情報を与えることになってしまいます。ですので、それが理由でル・ジャンドルは日本の外交顧問になったのでしょう。
この挙を台湾側から見ると、原住民はある程度ル・ジャンドルのことを信頼して自らの土地での交渉を許したのであろうし、条約的なものを結んでいる。それに対して、この条約はアメリカの国にとってあまり意味を持たないものであり、ル・ジャンドルの作った地図は日本政府に持ち込まれ、日本の軍事行動を促す結果になっている。これは、台湾側にとっては裏切り行為と言うしかないと、とても批判的に捉えています。

楊渡

下記のYouTubeのリンクがその事を詳しく述べている中国語の番組です。(ただし、画像の説明はありません。)中国語の分かる方は直接この音声番組から、楊渡さんの説明を聞いてみてください。

また、この内容は楊氏の「有溫度的台灣史」という本にも一章を設けて説明されています。こちらを読んでみても同様の記載があります。


有溫度的台灣史

近代の台日関係に深く影響した人物

明治初期のこの時代、日本国が大きく外交方針を変え、対外的に拡張しようとしていた時代、多くの事件や人物は韓国や中国大陸の方を見ています。それに対して、牡丹社事件に発する南洋に対する拡張政策が具体的に行動に移るにあたり、このル・ジャンドルの存在はとても大きな意味を持っていたのではないかと思います。
清朝は、台湾の地を全て統治しているわけではないこと。恆春半島の原住民の軍事規模の具体的な様子。これらの外交的、軍事的情報を日本に与え、ル・ジャンドルは、かつて自分が発動して失敗した軍事作戦の報復を日本軍の力を使って行おうとしたのかもしれません。

副島種臣を代表とする、日本の外交首脳は台湾に侵攻するという様な意見を持っていたにしろ、それを具体化する情報を持ってはいなかった。そこにこのル・ジャンドルの情報が舞い込み、それにより台湾への武力行使を図った。
こう考えると、このル・ジャンドルの行った台湾への裏切り行為は、日本の外交の方針に大きな影響を与え、ひいてはそれが日本政府による台湾の領有へのきっかけとなっている。ル・ジャンドルの行動は、台湾と日本の関係史にとても大きな影響をを与えた出来事であったろうと、楊渡氏は語っています。

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