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学生時代のヨーロッパ旅行(その一、イングランド)

僕は、大学3年次を修了したタイミングで一年間休学し、半年ヨーロッパ旅行に行ってきました。そのうち2か月はイギリスでのワーキングホリデー、残りの4か月をヨーロッパのバックパッカー旅行としました。
これは海外留学ということまでは考えていなかった僕にとっては、海外の生活を体験するというとても相応しいプログラムと考えて、やってみることにしました。


大学2年間の英会話レッスン

僕は大学1年生の時に、学校とは別の英会話教室に入っていました。大学キャンバスが大宮にあるのに、新宿にある英会話教室に行っていたので、100回受けられる会話のレッスンのうち、参加できたのは半分ほどでしたが、中学・高校と学んできた英語を実際に会話として話すことに初めてチャレンジしてみました。初めての英会話はなかなかうまくいかず、簡単には話せるようにはならないものだと考えていました。
覚えているのはHow are you?と聞かれて、I’m fine thank you.と答えたら、そんな同じことばかりでなく、自分の言葉で返事をしろと先生に言われたことですね。
そんな、まるきりの初心者としてスタートしました。

「海外アルバイトのススメ」

大学3年になると、英会話レッスンの期日も過ぎ、建築学科の課題に勤しむ日々でした。1年間で課題は6つ、住宅から自由設計まで、色々なテーマが与えられ、作品を提出することが求められます。この期間は建築の設計についてのトレーニングを集中的に行う時期でした。

そんな中、英会話レッスンのことを忘れられなかったのでしょう、新書で「海外アルバイトのススメ」といったタイトルの本を手にしました。
この本では、ヨーロッパやカナダ、イスラエルなどの国々に若年労働者として働きにいけるというプランが示されていました。アルバイトをしながら海外の生活を体験できるというわけです。本を書いていたのはそういうプログラムを組んで、実際に日本人を海外に送り込んでいる旅行会社でした。

読んでいるうちに、これは自分で実際に行ってみたいと考える様になり、具体的に計画を始めました。内容は次のとおりです。

1. 大学は四年生になる前に一年間休学する。
2. 半年間アルバイトをして旅費を稼ぐ。
3. 残りの半年をワーキングホリデーとヨーロッパの建築視察旅行にあてる。
4. 行先はイギリス、ティプトリーのインターナショナルファームキャンプとする。

この様に考え、両親を説得し、学校には休学の手続きをし、旅行会社にワーキングホリデーのプランを申し込みました。

この様な外国の農場で働くというプランは、フランスのブドウ農場、イスラエルのキブツなどいくつもの場所を紹介していました。僕の場合は英語を使える様にすることとヨーロッパで建築の視察をすることを目標にしたので、イギリスに行くことにしました。

ロンドンに到着

大学3年生を終え、翌4月と5月は大学の先輩の設計事務所を訪ねアルバイトをしました。このフルタイムでの2ヶ月のアルバイトというのも、建築設計の実務を学ぶという点でとても収穫の多いものでした。ヨーロッパから戻って来た時にも同じ設計事務所でアルバイトをしており、この先輩にはとても感謝しています。

学生時代の、時間は十分にある旅行でしたので、フライトは当時最安値だったパキスタンエアラインを使いました。これはロンドンに行くのに、途中香港 / バンコク / カラチと飛び、カラチで飛行機を乗り換え、その後イスタンブール / フランクフルト / ロンドンと都合五カ所の空港によるというフライトでした。カラチ空港には深夜到着し、早朝新たな飛行機で出発しました。早朝の空港の様子を眩しく見ていた記憶があります。

ということで、21歳のときの6月にロンドンに降り立ちました。まったく始めての海外旅行だったので、初日のホテルだけは旅行会社に手配してもらい、翌日ファームキャンプのあるティプトリーに向かうことにしました。
初めてのロンドンのホテルは、今思うと貧乏学生がバックパッカーとして泊まるには分不相応でしたね。とてもクラシカルな,品の良いホテルだった記憶があります。
2日目はユースホステルに移り、二泊しました。

ティプトリーへ

ティプトリーは、列車でロンドンから東に向かうので、リバプールストリート駅に向かいました。あまり乗客の多くない駅で、駅員さんに行き先を確認していると、後ろから同じ様なバックパッカーが来て同じ様にティプトリーへの行き先を確認し始めました。これは彼について行けば良いと、一緒に行動することにしました。
彼はイタリアから同じティプトリーのインターナショナルファームキャンプに参加しに来た、ジャンニ君と言いました。彼とは、ここイギリスで一緒だっただけでなく、後にイタリアまで訪ねることになり、その後FBが使える様になると彼が僕を探し出し,今でも連絡が続いています。40年になる付き合いが、リパプールストリート駅から始まっています。

ティプトリーは小さな村で鉄道路線から外れているので、駅はColchesterの一つ前、Kelvedomで降り、そこからバスを使ってティプトリーまで行きました。

この時農場に入った若者は合計4名、イタリア人男性1人、フィンランド人男性1人、日本人女性1人、そして僕です。その後、農場には毎週のように新たな若者が加わり、最終的には100名を超す大所帯になるのですが、初期はこの様な少ないメンバーだったので、皆すぐに仲良くなり、それは最後まで続きました。

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