見出し画像

【明清交代人物録】フランソワ・カロン(その四)

このピーテル・ノイツとタイオワン問題について、カロンがどの様に関わっていったのかを説明してみます。カロンがオランダ東インド会社で頭角を現していくのは、この問題の処理をめぐっての彼の働きが評価されたからなのだと考えています。


ノイツの江戸参府に同行

ノイツのミッションである江戸幕府への申し立てに、カロンは通訳官として同行しています。
平戸松浦藩主は、この時そのような申し立てを幕府に対してするべきではないとアドバイスをしています。しかしノイツはこの助言があったにも関わらず、幕府要人に対して今回の用向きは日本船のタイオワンへの渡航を禁止する陳情をするからであると言葉にしてしまいます。

タイオワン事件の対立する相手方は長崎で幕府の代官をしている末次平蔵であり、彼からの強い働きかけがあって、幕府内はオランダ人に対して排他的な態度になっていました。そもそも、長崎港を任されている末次平蔵と幕府の中央は利益共同体です。そんな中、幕府要人に顔を合わせることができたのは、松浦藩主の周旋があったからでしょう。しかし、その仲介の努力もノイツの判断で無に帰してしまいました。

このやりとりの中心にいたのは通訳官のカロンでした。彼は江戸幕府、平戸藩側の事情を十分に理解していたでしょう。それをノイツにも説明していたでしょう。もし、ここでこの要件のことを口にしなければ、カロンは徳川将軍に面会出来ていたかもしれません。
しかし、ノイツはカロンに彼の要件を告げる様に命じます。カロンはいたたまれない想いでこれを通訳したでしょう。そして将軍に面会するという扉は閉ざされてしまいます。ノイツは将軍に会えないまま、帰国の途に着くことになります。

タイオワンに通訳官として同行

平戸からタイオワンに戻るにあたり、ノイツはカロンを同行させます。タイオワンでのミッションは日本と中国の間の中継貿易を行うことであり、その業務に通じているカロンを自らの副官として抜擢したのでしょう。

タイオワン事件に遭遇

そして浜田弥兵衛によるノイツの拉致事件の際、カロンも一緒に捕まります。ということは、浜田弥兵衛の談判の際に、カロンは通訳のために一緒にいたのでしょう。
ノイツは交渉の末自分の身柄を解放する条件として、人質を5名預けるということに同意します。この人質の中にカロンも含まれており、ノイツの息子ローレンスと共に日本に送られてしまいます。

江戸幕府に指名され、バタヴィアに派遣される

しかし、送られた先でカロンの受けた処遇は、他の人質とは異なっていました。彼は江戸幕府と平戸藩から十二分に信頼されていたのでしょう。江戸幕府とタイオワンオランダ商館の間で起こったこの事件を、オランダ東インド会社の本部に伝えるための使者として選ばれます。この複雑な国と国の間での折衝ごとに、鎖国をしている国情から日本人を派遣するわけにもいかず、日本の事情に最も通じているカロンを送ることになったのでしょう。
江戸幕府からこの様な使命を仰せつかるということからも、彼がオランダ人としては格別の扱いを受けていることがわかります。

タイオワン事件の収拾を図る

幸いにも,この時のオランダ東インド会社の総督は、平戸で商館長を務めていたヤックス・スペックスでした。この人物がトップであったおかげで、江戸幕府の面子を立て、事態を収集する方策が定まりました。それは、ノイツにとっては不幸なことでしたが、会社の利益のためには致し方がなかったのだと思います。
オランダ東インド会社は、この事件の原因はピーテル・ノイツ個人にあるというストーリーにしてしまったのです。彼個人の無知,あるいは傲慢により引き起こされた事態であり、その責は彼個人に取らせる。罪人として江戸幕府に差し出す。しかしオランダ東インド会社と日本の交易は再開させてほしい。
このストーリーは、ノイツの傍らで一部始終を見ており、かつ江戸幕府の意向を充分に理解し、そして東インド会社の利益を最大化するためにはどうするかと考えたカロンの建策であったに違いありません。

このノイツが傲慢不遜であるというのは、日本人から見てそのように感じられていたことをカロンが理解していたことを示しています。一方で彼はノイツは実直にオランダ東インド会社の指示の通りのことを実行していただけだ、そうも考えていたでしょう。しかし、交渉の場面ではそのような見方は消されています。あくまでノイツを悪人に仕立てて事態の解決を図ることになります。

これにスペックスも同意し、この線で幕府との交渉を進めます。この交渉を行ったのもカロンでした。そして、ノイツを罪人として幕府に差し出し、平戸オランダ東インド会社の交易を再開する許可を得ます。1632年のことです。この問題の解決には4年という月日を要しています。

ノイツの開放

しかし、オランダ東インド会社はこの人身御供に差し出したノイツを救い出すべく最大限の努力をします。徳川幕府の好意を得るためには、非常に珍しい他では得ることのできない贈り物をすることが効果的であるとスペックスとカロンは判断していたのでしょう。そのために、過去献じたことのない巨大な燭台をオランダ本国に発注します。この贈物を徳川将軍に献上することで、事態を好転させノイツの赦免に結びつけたいと考えたのです。この方策はうまく運び、この燭台は徳川将軍の絶賛を得てカロンは釈放されるはこびになりました。

これらのストーリーは、オランダからの一方的な策略だったのではなく、徳川幕閣と合議済みで、どのようにして幕府方が怒りの拳を納め、ノイツという人質を解放するか,そういう段取りができていたのだろうと考えています。
長崎代官である末次平蔵が死亡したこと、この役職を長崎地元の有力者に任せるのではなく、幕府から派遣する役人に直接行わせることになったこと、そして鎖国政策が進み日本の朱印船貿易家は、海外貿易から皆脱落してしまったことなども影響しているでしょう。幕府ではオランダ東インド会社との関係を修復する機運が高まっていました。

このようにして、幽閉された身分から解放されたピーテル・ノイツは、新たな活躍を始めます。そのような機会が与えられたということは、彼は会社から無能者のレッテルを貼られていたのではないことを示しています。それなりに能力があったから、そのようなチャンスを与えられたのであろうし、それがために結果を残しているのだろうと僕は考えています。

この記事が参加している募集

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?