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明清交代人物録

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台湾に関わりを持つようになってから、言葉の勉強を兼ねて中国語による台湾の歴史の本を読むようになりました。その中で特に興味を持ったのは歴史家曹永和氏の著作です。17世紀の台湾の歴史…
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#清朝

【明清交代人物録】洪承疇(その二十五)

弘光王朝が崩壊した段階で、ドルゴンは弟のドドを北に呼び戻し、中南部の覇権を完成させるため…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十四)

漢族による清朝に対する反抗の事例として2つの事件を取り上げます。これは、南明の王朝を立て…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十三)

ここで、第二の南明王朝に進む前に、ドルゴンの選んだ政治的にハイリスクな政策、"剃髪令"につ…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十二)

南明の最初の政権、弘光朝はこの様な王朝でした。組織的に、既にまともに清朝に対応することは…

【明清交代人物録】洪承疇(その十七)

山海關を落とした後、順軍との戦いは洪承疇の予言した通りに進みました。李自成は逃げ足早く北…

【明清交代人物録】洪承疇(その十六)

呉三桂は、急変した自分の立場が、究極の選択を迫られていることを十分に把握することができず…

【明清交代人物録】洪承疇(その十五)

明朝から清朝に王朝が交代する際、山海關における吳三桂の動向が戦況に大きな影響を与えます。この吳三桂の決断には、陳圓圓という芸妓が大きな影響を与えているというのが、巷でよく言われているストーリーです。しかし、事態の推移を見ていると、李自成の順軍が人心を得ることに対して十分な配慮をしていなかった。それに比して清朝はその点に細心の注意を払って中原への進攻を行っていた。それが故に、李自成が吳三桂への対応を誤ったのだと、その様に見えます。 順軍による北京攻略 李自成の農民反乱軍は、

【明清交代人物録】洪承疇(その十四)

洪承疇は、清朝に帰順することを決断しました。ホンタイジは、その洪承疇をすぐに戦場に送るこ…

【明清交代人物録】洪承疇(その十三)

今回、洪承疇がどの様にして明朝への忠誠心を翻し、清朝の元で働くことを決断したのかという、…

【明清交代人物録】洪承疇(その十二)

ここで、清朝に降った一人の明の文官のことを説明します。名を范文程と言います。彼は三国志で…

【明清交代人物録】洪承疇(その十)

明朝の戦い方は、城を盾にした防御戦では強みを発揮し負けない。一方野戦に持ち込まれると、清…

【明清交代人物録】洪承疇(その八)

明朝と後金軍の戦いは、新しいフェーズに入っていきます。明朝の皇帝は崇禎皇帝、ラストエンペ…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その十ニ)

鄭芝龍が北京に送られてから、最後に処刑されてしまうまでの様子を紹介してエピローグとします…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その十一)

鄭芝龍は、北京に送られて実に15年にも及ぶ軟禁生活を送ることになります。これは、福建における鄭家軍が一向に清朝の支配下に入ることをよしとしないからです。順治帝の時代この状態は続きましたが、康熙帝の時代になるとこの福建の反乱軍に対する態度が変わってしまい、鄭芝龍は殺されてしまうことになります。 この人生の最後の段階で鄭芝龍の犯した判断ミスは何なのか、それを自分なりに考えたことがあるのでここで紹介してみます。 息子の反乱 鄭成功は、中国の伝統的な文人教育を受けて王朝の官僚とな