【明清交代人物録】洪承疇(その十)
明朝の戦い方は、城を盾にした防御戦では強みを発揮し負けない。一方野戦に持ち込まれると、清朝側が騎馬戦の強みを発揮して優位に立つというのが、明清の戦闘の大まかな成り行きです。そうした時に、山海関を出て錦州城の救出に向かうというのは、明の軍隊は自ら危険の中に身を晒すというリスクを冒すことになります。
清の軍隊は、遠く瀋陽からこの地にやってきており、そのために義州に補給の拠点を確保して持久戦に備えています。この軍備と食糧の備蓄という点では明朝の方に一日の長があったはずです。戦いが長引けば長引くほど、明にとっては有利な状態になります。清の軍隊はこの地に長く留まることに限界がある。そうであれば、陣地の中に籠り清の軍備が消耗していくのを待つ。洪承疇と祖大壽の2人は、当初そもそもその様な戦略を立てています。
しかし、その様な状況下であっても、兵部尚書陳新甲は積極的な救援策を唱えます。そして、北京の皇帝からは錦州城を救え、すぐに兵を出せとの指示が来てしまいます。崇禎14年洪承疇はやむなく山海関を離れました。
錦州救出作戦
この時の洪承疇の戦いは、サルフの戦いの二の轍は踏まないと、全軍を終結させ清の軍隊を蹴散らして進むというものでした。軍団を分けることで個別に撃破されてしまうことを避け、一団となって戦うことで、数の優位性を発揮する。前進するにあたっては戦闘をできるだけ避け、守りを主体にして進む。そして、錦州に向けての突破口を開ける。これが洪承疇の立てた戦略です。
当初この作戦は有効に働き、清の前衛アジゲやドルゴンは、この明の軍隊には敵わないと戦略的撤退をホンタイジに対して具申しています。明の軍隊は個別の小戦闘で勝利を納め、ジリジリと錦州に向かって歩みを続けました。
この時、籠城側の将軍祖大壽も長年清との戦いを重ねていて、洪承疇と同じ認識を持っていました。清の軍隊は遠く瀋陽からこの錦州の地にまで来ているので、補給線が伸びきっている。この戦況が長引けば長引くほど、明の軍隊には有利に働くという認識です。この様な持久戦に持ち込むことで、清の軍隊を消耗させるというのが基本的戦略でした。
そして、洪承疇の軍隊に合流しようと錦州城から、清の軍隊を突破しようと試みます。しかし、清軍の包囲網は幾重にもなっていて、この内外呼応の突破作戦は失敗してしまいます。
しかし、この考えは明の将軍達全員の共通認識ではありませんでした。明の内部にも、速戦即決を主張する幹部達はおり、その意見を兵部尚書陳新甲も共有していたのです。陳新甲はこの主張を通すために、軍監に付いていた張若麟を使って崇禎帝に自らの判断が正しいと伝えさせます。そして、この報告が崇禎帝の判断を決めてしまうのです。
洪承疇は、自らの上司である陳新甲の強い意向と、崇禎帝からの指示に逆らうわけにはいかず、軍を分割し、一部を松山の地に進軍させることになりました。
松山の戦い
清側はこの洪承疇の援軍が松山に布陣した事態を見て、この軍を殲滅することが、この戦いを勝利に導くポイントであると判断します。この救援軍が錦州を助けることができなければ、その後明朝から大規模な援軍がこの地に派遣されることはないであろう。そうすれば錦州の籠城軍は自滅せざるを得なくなる。その様に考え、攻撃の矛先をこの松山の洪承疇の軍隊に集中させました。
この戦いは、膠着状態のまま事態が進みます。清の軍司令官であったドルゴンは、この状態では自軍の犠牲が多くなり、戦闘に勝つことは望めないと瀋陽のホンタイジに報告しています。明の軍隊はあまりに多すぎる。この大軍に向かうのは無謀だというのがドルゴンの判断でした。
この時、ホンタイジは瀋陽で病に伏せていたそうです。しかし、彼はこの戦いを清王朝が明に取って代わる天王山の戦いと認識しており、病を押して戦場に向かう決断をします。自らの命よりも大切な、清王朝にとっての運命の戦いと考えていたのでしょう。
8月19日、3000騎の親衛騎馬部隊を従えたホンタイジが松山に到着しました。清王朝の皇帝自らが督戦のために戦場の最前線に現れたわけです。そして、すぐに配下の満州族の部隊に、松山を包囲する様指示を出します。
この時、ホンタイジは敵である洪承疇の軍備を見て「洪将軍は敵ながら天晴れである。我々も彼の軍隊の指揮の仕方を学ばねばならぬ。」と配下の武将に伝えたそうです。そして、「しかし、この軍隊は長蛇の列になってしまっている。前陣は整っているが、後陣は乱れている。」と洪承疇の軍の弱点を見極めました。明の軍隊は急ごしらえのために充分な補給体制をもっておらず、それが後陣の乱れとなって現れていたのでしょう。ホンタイジは、自らの軍隊の弱点であった補給の問題を、敵の軍隊の中にも見出したのです。
この時、洪承疇の指揮下の明軍は13万という大軍だったそうです。しかし、この数は充分な補給のない状態では、すぐにガス欠になってしまう。その様な状態であることをホンタイジは見抜きました。明の救援軍が、計画通りに準備されたものではなく、途中の方針転換によって前線に派遣されていること、それがために補給が大きな問題になっているであろうことを、戦闘ではなく、戦争全体を指導していたホンタイジにはよく見えたのでしょう。
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