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明清交代人物録

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台湾に関わりを持つようになってから、言葉の勉強を兼ねて中国語による台湾の歴史の本を読むようになりました。その中で特に興味を持ったのは歴史家曹永和氏の著作です。17世紀の台湾の歴史…
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#鄭成功

【明清交代人物録】洪承疇(その十九)

ここから、清が明の残存勢力を倒し、中国全土の制覇を進めて行くフェーズに入って行きます。 …

【明清交代人物録】洪承疇(その十八)

ここで、僕がこの人物に興味を持つきっかけとなった、晉江の黃家が洪承疇にアプローチして、明…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その十)

コイエットは最大限の努力をしてゼーランデイア城攻防戦に臨みましたが、衆寡敵せず鄭家軍に降…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その九)

コイエットがゼーランディア城に籠って9か月を耐え忍べたのは、この城の構造に理由があると考…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その七)

長崎からバタヴィアに戻ったコイエットは、すぐにタイオワンに副長官として派遣されます。彼も…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その五)

1652年4月、コイエットは長崎オランダ商館長として再び任命されます。この時は、すでにタイオ…

【明清交代人物録】フレデリック・コイエット(その四)

1652年、オランダ東インド会社タイオワン商館における最大の漢民族反乱事件、郭懷一の乱がおこります。コイエットはこの時期長崎にいたと思われます。しかし、この事件はコイエットの運命に大きな影を落としていますので、その経過を説明しておきます。 漢人たちの反乱 17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ人の植民政府による華僑に対する弾圧事件は、継続的に起こっています。フィリピン、バタヴィア、そしてタイオワンにおいて多数発生してします。ですので、これはヨーロッパの植民政権と漢民族の

【明清交代人物録】鄭芝龍(その十ニ)

鄭芝龍が北京に送られてから、最後に処刑されてしまうまでの様子を紹介してエピローグとします…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その十一)

鄭芝龍は、北京に送られて実に15年にも及ぶ軟禁生活を送ることになります。これは、福建におけ…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その十)

1644年、明王朝は李自成の軍隊に北京を落とされ崩壊します。そして、その直後李自成の軍隊は清…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その九)

ここでは、台湾にとっての鄭芝龍の関わりを見てみます。作家の湯錦台氏は、"開啟台灣第一人"と…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その六)

オランダの配下であることをやめて、独自の勢力となってからの鄭芝龍について触れます。彼はま…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その三)

オランダとスペインの抗争  オランダと福建商人が手を結んだ背景には、オランダとスペインの…

【明清交代人物録】鄭芝龍(その二)

「平戸」という地 『開啓臺灣第一人鄭芝龍』の第一章は「一件歷史公案」と題され、王直の事績が紹介されています。この人物は明朝末期の倭寇の時代を引き起こしたきっかけになる人物です。この王直という人物は、日本史と深くかかわっており、ポルトガル人と一緒に鉄砲を日本に伝えたとか、長崎県の平戸を拠点に日中貿易を営んだとかいう事績が有名です。この経過は、後の鄭芝龍の行ったこととよく似ており、作者は王直と鄭芝龍を共に日中の交易の歴史の中に位置づけようしているのでしょう。 倭寇の時代のこと