【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第四章~ (2)
(2)
制帽をデスクに置いて一息ついた。今日も冷え込んでいるはずなのに、脇の下はびっしょりと汗をかいていた。
「おう。随分と長い面会だったなぁ」
「ええ、まあ」
「ここまでお前の声が聞こえたぞ」
……やっぱり、聞こえていたか。俺は立ち上がって海老原さんに頭を下げた。
「すみません、海老原さん。3番に恫喝するような真似をしてしまって」
「まあ、そう気に病むな。生意気なガキに喝を入れてやっただけだろ? 最近のガキは怒られないと思って大人を舐めてやがるけんな。親が叱らないから、馬鹿なガキが増える一方だわ」
茶を啜りながら、海老原さんは笑って言った。
「はあ。まあ、そうかもしれませんが」
「3番は、ちぃとばかし調子に乗りすぎだからな。たまにはお灸も必要だろ」
海老原さんの言葉に苦笑いしか返せない。昨日から苦笑いばかりだ。
それで思い出した。
「そういえば海老原さん、昨晩はよくも嵌めてくれましたね」
海老原さんは、はあ? という声が洩れそうなほどに目を見開いた。
「嵌めたぁ? 人聞きの悪いこというな。お前らが勝手に集合場所を間違えたんやろが」
「いぃえ!『居酒屋の花華で19時に開始な!』って、俺、ハッキリと聞きましたよ!」
「え~そうだったかなあ」と明らかにしらばっくれている様子で耳を穿りだした。すると「でもよ」と興味津々な顔で海老原さんは続けた。
「ふたりきりになれてよかったろ? で? どうなったんだ? 居酒屋で飲んだあとはよ?」
「どうって、そのあとはカラオケに行って2時間ぐらい唄っただけですけど」
「ああ~? カラオケ~?」と海老原さんは落胆した顔をした。
「んなもん、ガキじゃねーんだからよぉ。男と女が飲んだら、その次はホテルだろうが」
「はあ? そんなわけないじゃないですか! だって相手はあの皆川さんですよ?」
やっぱり、海老原さんが期待していたのはそこだったか。彩花さんとホテルなんて、誘おうものなら何を言われるか。ましてや、酔ってるところを利用して「一晩過ごした」なんてことになったらどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。
「宮田、おまえ、ひょっとして」
「童貞じゃないですから」
速攻で返すと、海老原さんは「あ、そう」と言ってにやにやしていた。
「皆川さんに手を出したら、俺が殺されますよ」
「はあ? なんで?」
「だって、前に胸の話をしただけで物凄い眼で睨まれたんですよ? 彼女にそういう類の話はタブーなんじゃないんですかね。免疫ないんですよ。おそらく経験もね。今時、三十路の処女も珍しくないみたいですし」
海老原さんはぽかんと口を開けている。俺は腕を組んでうんうんと頷きながら続けた。
「きっと、男女のああいう行為は汚らわしい! とか、そういう風に考えているんじゃないんですか。皆川さん、ウブな感じもするし。あ、でもそれはそれで清純な感じで可愛いのかな。でも、本人の前で『可愛い』なんて言ったら、確実にぶっ殺されますよね」
頭を掻きながら海老原さんに目を向けると、黙ってお茶を啜っていた。すると、親指を立てて後ろに向かって二度指した。口のかたちが「い・る・ぞ」と動いたのがはっきりとわかった。俺の後ろに誰かいる? この間もそんなことがあったな。ああ、そうか。また中村さんか。
「はあ、何ですか? 中村さん。3番の面会のことなら――」
やれやれとため息をついて振り向いた瞬間に凍り付いた。
そこには、ニコニコという擬音が顔全体から溢れそうなくらいに満面の笑顔を浮かべた彩花さんが立っていた。
え? なんでアナタがそこにいるのですか?
呆然とする俺を無視した彩花さんは、笑顔のままで海老原さんに恐ろしいことを言った。
「海老原さん、ちょっと今からコイツぶっ殺しますけど、構いませんよね?」
目を閉じてお茶を啜っている海老原さんは「うむ」と頷いた。え? まじで?
「ありがとうございます。じゃあ」
彩花さんが俺に顔を戻すと、笑顔が一瞬にして般若の顔に変貌した。
「行こうか。宮田」
がしっと腕を掴まれる。痛い! 指が食い込んですっごく痛い!
「え、あの、ちょっと。海老原さん」
海老原さんに助けを求めるも、同情の眼差しをむけられるだけだった。
「宮田。死ぬなよ」
両手は合掌されていた。おい、おっさん――!
事務所のドアを蹴破るように開けると、危うく中村さんとぶつかりそうになった。
「おい、あぶねえだろが」と声を荒げる中村さんに彩花さんが「あ?」と凄むと「なんでもありません」と言って中村さんはすごすごと事務所に入っていった。
マジでおっかねぇ……。
ズルズルと引きずられるようにして廊下の突き当りまで連れていかれた。そして、とらばさみのように腕に食い込んだ手がようやく離れた。確実に痣になってるな。こりゃ。
「すみませんって、彩花さん。三十路の処女とか言ったりして――」
「バカッ! 違うわよ」
顔を赤くして「バカを」強調すると壁を叩いた。まさか俺の方が〝壁ドン〟をされるとは思わなかった。〝壁ドン〟の勢いが強すぎたのか、彩花さんは舌打ちをして手をぷらぷらと振っていた。
「あんた、3番に何を言ったの?」
俺を見つめる彩花さんの瞳に怒りがみえた。
「今日、洗濯日だからとりに行ったんだけど、あの子泣いてたわよ? あんたに叱られた、みたいなこと言って」
ああ――と、思った。
「叱った、というのは事実ですよ。面会に来てくださった方にあまりにも失礼な態度を取ったものですから」
俺は面会での出来事を彩花さんに説明した。
自殺した友人の父親に対して失礼な態度を取ったこと、それを厳しく叱責したこと。そして、彼女が誰にも話していないであろう心に秘めた想いに触れたことや、櫻木一桜のいじめや自殺について話をしたことも。
「初華ちゃんは、櫻木一桜はいじめられて自殺したと言っていましたけど、あれ、本当は違うんじゃないでしょうか」
「どういうこと? 自殺じゃなかったってこと?」
「いえ、自殺は自殺だとは思うんですけど、自殺した理由が別にあるんじゃないかと、そう思ったんです」
櫻木一桜は、新体操部の3人にいじめられていたと初華ちゃんは言っていたが、話を聞く限りではむしろその逆で3人と仲良くやっていたようにみえる。楠田心尊、寺塚莉緒、望月陽葵の3人と部活が終わったあとはよく一緒に下校をしていて、モグバーガーなどに寄ったり、遊びにいったりしていたようだった。
初華ちゃんは櫻木一桜のことを「親友」だと話していたが、櫻木一桜自身は、どう思っていたのだろうか。もしかして、初華ちゃんに対して窮屈な気持ちを抱いていたのではないのだろうか。しかしその一方で、楠田心尊ら3人と仲良くしていることを申し訳なく思っていたのではないだろうか。
初華ちゃんと楠田心尊は中学生時代からのライバルで、犬猿の仲だということも櫻木一桜は知っていたはずだ。そんな2人の間で板挟みになってしまった彼女は、心をすり減らして疲れ果ててしまい、自らの命を絶ってしまったのではないだろうか。
もしそうならば、櫻木一桜という女の子は真面目すぎたのではないかと思った。そして初華ちゃんは、異常なまでに櫻木一桜に執着しすぎた。初華ちゃんの束縛と、3人への「嫉妬」が櫻木一桜を殺してしまったのではないだろうか。
となると、楠田心尊、寺塚莉緒、望月陽葵を殺害した本当の理由もおのずとわかってくる。「櫻木一桜をいじめて自殺に追い込んだから殺した」のではなく「嫉妬に狂って3人を殺害した」というのが本当の理由なのではないだろうか。
「でもそれって、あの子がそう言ったの? 宮田の憶測でしょ?」
たしかに、俺の憶測だ。裁判のときもそうだったが、おそらく警察や検察にも初華ちゃんは「一桜はいじめられて自殺した。だから復讐した」の一点張りで供述しているはずだ。
しかし、肝心の櫻木一桜がどのようないじめを受けていたのかという話になると、はっきりしないものばかりだった。初華ちゃんに質問をした裁判員のおばさんも疑問に感じているようだった。
俺は初華ちゃんに櫻木一桜は本当に3人にいじめられていたのかと問うた。彼女は「わからない」と答えた。それこそが、櫻木一桜はいじめを苦に自殺をしたのではないと言っているようなものではないのか。
気になるのは、いじめについて確たる証拠が何もないのになぜ、「一桜はいじめが原因で自殺した」と初華ちゃんが訴え続けているのかということだ。そもそも、櫻木一桜が本当に3人のいじめが原因で自殺したのならば、彼女の両親が警察に被害届を出すのではないのか。
彩花さんは、複雑な表情で俺の言葉に耳を傾けていた。
「それにしても、女の子が女の子に恋心ね……。まあ、今では『そういう関係』にも理解が得られるようになったと思うけど」
確かにそうだ。しかし、周りが「同性愛」に理解を示していても、当の本人が自分の気持ちを理解していないというケースもあるのではないだろうか。もしかしたら、そういう感情を抱くのは禁忌ではないかと、無意識に感じて心の奥底に封じ込めている可能性だってある。これは彼女にしかわからない、彼女が「自分と向き合わなければ」気づかないことなのではないだろうか。かつての俺のように。
「あたた……」といって彩花さんはこめかみを押さえると眉間に皺をよせた。
「大丈夫ですか? 昨日は結構、飲んでましたもんね」
昨晩の彩花さんは初っ端からハイペースで飲んで自爆していた。仕事中はクールで真面目な人だけど、普段は明るくて気さくな人なのだと、新しい一面を見ることができて楽しかった。カラオケが下手くそなのもかえって好印象だった。とはいえ、2時間もへたくそな歌を聞かされるのは勘弁して欲しかったが。
ふと、居酒屋で飲んでいるときに彩花さんが話していたことを思い出した。
『結局さ~長いこと一緒にいたって、所詮は自分自身じゃない、赤の他人ってことなのかもね』
『相手のことは相手にしかわからない。好きだと思っていても、それは自分がそう思っているだけで相手には全然そんな気はなかったのかも知れない』
『好きと伝えても実は本心じゃないかも知れない。自分ひとりが舞い上がっちゃってさ。向こうは馬鹿みたいと思っていたかも知れないじゃない? 実は俺には他に好きなひとがいるんですよ~ってさ――』
昨晩の彩花さんの言葉を口の中で反芻している俺をみて、彩花さんは怪訝な顔をした。
「宮田、どうしたの?」
外は雨が降り出したのか、雨粒がアスファルトを叩く音が拘置所内に響いていた。
廊下の蛍光灯は節電のために消されていて、夕方のように薄暗い。面会室に続く廊下はさらに暗くて、まるで灯りひとつない不気味なトンネルのようだった。
彼女の独居房はここの四階だが、万が一聞こえでもしたらという懸念から、さきほど喋っていた音量よりもボリュームはさらに絞られていた。これなら、事務所にだって聞こえはしない。それに強くなった雨脚がふたりの話し声をかき消してくれた。
「宮田。今話したことを彼女に絶対話しては駄目よ」
「ですが……」
「今話したことだって、全部宮田の憶測でしょ? それに私たちは刑務官であって警察官ではないわ。自分の仕事だけに集中しなさい。いいわね」
そう言った彩花さんは、いつものクールな表情に戻ると暗い廊下を歩いていった。
~第四章~ (2)の登場人物
宮田宗一郎(みやたそういちろう)
Y拘置所の新人刑務官。お調子者でイケメン。一桜の父親に失礼な態度をとった初華を叱責したことをちょっと後悔している。
皆川彩花
女性刑務官。初華の洗濯物を回収する日や、入浴日のときにだけY拘置所を訪れる。
海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。業務に忠実だが、下ネタ好き。
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