【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第四章~ (3)
(3)
昨日は飲みすぎた。ほんの少し飲んでからお暇するつもりだったのに、お喋りがはじまると止まらなくなってしまった。やっぱり、平日の仕事終わりに飲みに行くんじゃなかったと後悔した。しかし、仕事仲間の付き合いだから、断るわけにもいかなかった。
土曜日か日曜日に新年会をやろうという話もあったけれど、休日は休日で主婦というものは忙しい。だから、仕事が終わってから新年会をやろうという話になった。
どうせ飲みに行くのなら仲の良い須田さんや吉村さんと3人だけの方が私はよかった。
昨日は中谷さんが一緒だったから、終始彼女の「自慢話」に合いの手を送らねばならなかった。息子はどこぞの高校球児で4番のエースとか、旦那は大手紡績会社の社長だとか、聞いている皆がシラけるような話を何回もしていた。確か、一昨日もそんな話を聞いた気がする。そこにお酒が入っているのだからタチが悪いことこの上ない。
中谷さんの話した内容がすべて事実なら、みんなから尊敬され、羨望の眼差しを向けられることだろう。しかし、それらはすべて「嘘」だということがすぐにバレた。本人は気づいていない様子だけど。
そもそも旦那が社長ならばなぜ、本人は時給の安い青果センターのパートで働いているのだろうか。旦那の紡績会社をインターネットで検索してみたが、それらしいものは何一つヒットしなかった。彼女の息子が通っている学校は実在したが、その学校の野球部は無名だった。仮にもしエースだとしても、そんな野球部のエースにどれほどの価値があるものなのか。
息子といえば、昨日の新年会でトイレに立ったときにすれ違った青年を思い出した。
酔った恋人を介護するために女子トイレに入っていくところだったのだろう。通常であれば女子トイレに男性が入ってくるのは眉をひそめるところだけれど、飲みの席でもあるし、美人の彼女を支える彼氏という感じがして微笑ましかった。それに、なかなかの男前だった。
息子に少し似ている気がした。しかし、息子はあの好青年とは真逆のチンピラだ。そもそも髪の色から違う。昨日の青年は艶やかな黒髪だったが、息子は枯草のような金髪だった。それに、左腕になんの柄なのかわからないタトゥーを入れていた。昨日の青年は、当たり前だが捲られたシャツの下にタトゥーはなかった。
おそらく、息子はあの青年と同じくらいの歳ではあるだろうけれど、ろくな大人になっていないのでないかと思う。小さい頃はやんちゃではあったけど、まさかあんなどうしようもない不良に育ってしまうとは思わなかった。しかし、それも8年も前の話だ。遠い昔というほどではないけれど、思い出してもそれほど苦痛に感じなくなるくらいには平穏な日々を過ごしていた。
元夫についてはわからなかった。離婚届をおいて家を出てからすぐに街を離れたし、あれから一度も連絡をとっていなかった。連絡もつかず、なにも言わずに出て行ったから捜索願を出されるかもと思ったが、離婚を受け入れてくれたのか、それもなかった。何もかも忘れて一からやり直したかった私には、正直ありがたかった。
そして、別の土地で暮らしているときに営業の仕事をしていた今の亭主と結婚し、何の因果か、そのタイミングでこの街への転勤が決まった。正直、家を飛び出してきた身としては、この街に戻るのは気が重いどころの話ではなかった。
結婚をする前に私の身の上については、今の夫にすべてを話していた。当然、責められもした。妻として、親としての責任を放り出したのだから当然だった。その一方で、私の苦しみも理解してくれた。夫も私と同じバツイチだった。
再婚をして今は一児の母になった。四十代での高齢出産ではあったけど、夫のために子供をもう一度生み、育てることを決意した。今度こそ失敗しないために。
夫は無理をしなくてもいいと言ってくれたが、本音を言えば子供が欲しかったはずだ。それを証拠に娘が生まれると、目に入れても痛くないと言わんばかりに猫可愛がりしている。前妻と子供をもうけられなかったのが、夫の離婚の原因だった。
「ママおはよー」
「おはよう。穂香。ちゃんと歯は磨けた?」
「うん、磨いたー」
キッチンにきた娘の穂香は「いーっ」と歯並びのいい白い歯を見せると、ふたつのおさげを揺らしながらちょこんと椅子に飛び乗った。5歳になったばかりの娘の穂香は、可愛い盛りだった。
「パパ、まだ起きてこないねー」
焼きたてのパンケーキが乗った皿を穂香の前に置くと、穂香は「んーっ」と鼻を広げて息を吸い込むと、ほぅっとはいた。
「はあ、いい香りねぇ」
頬に手を当ててうっとりと大人びたような仕草をする穂香に思わず笑みがこぼれる。今度は誰の真似なのだろうか。壁の時計を見ると、起きなければ会社に遅れてしまう時間になっていた。
「穂香、パパの部屋に行って『ほのちゃんどーん』してきてくれる?」
そう言うと穂香はニカっと笑って「うん! わかった!」と階段を駆け上がっていった。あのきれいな白い歯をむき出した笑い方。そっくりだった。小さい頃の宗一郎に。
ややあって、キッチンの天井からくぐもった穂香の声で「ほのちゃん、どーん!」と元気な声が聴こえてきた。と同時に、「ぐふぉあ!」という夫のうめき声に笑いが止まらない。少ししてから、とてとてと穂香がキッチンに戻ってきて両手ハイタッチをした。
「ほのちゃんどーん」のお礼に湯煎したチョコレートスプレッドでパンケーキに猫の絵を描いたら、穂香は「わー! ネコさん!」と目を輝かせて喜んでいた。
やがて、頭をぽりぽりと搔きながら「おはよう」と言って寝ぼけ眼の夫がのそのそとキッチンに現れた。
「パパおはよう!」
口いっぱいにチョコだらけにした穂香は手のひらを夫に向けると、夫はそれに右手を重ねた。
「おう、おはよう。穂香。おいおい、口の周りがカールおじさんみたいになってるぞ」
苦笑いしながら食器棚に置かれているティッシュを手に取ると、穂香の口の周りを丁寧に拭った。
「よしっと。それにしても『ほのちゃんどーん』の威力が日に日に看過できないものになってきたなぁ」
「子供って、すぐに大きくなるから」
くすくす笑いながら私も座ると、家族で食卓を囲んだ。夫がコーヒーカップに口をつけながらカレンダーを見た。ところどころ、日付が赤いマジックで丸く囲まれていて、今日の日付も赤い丸で囲まれている。
「今日も裁判所に行く日か」
「……ええ。ごめんなさいね。仕事もしないで、家を空けてばかりで」
「それは別にいいよ。それより大丈夫なのか? 裁判員。きついのなら、無理しないほうがいいと思うんだけど」
「え? ああ、大丈夫よ。座ってお喋りしているだけだし、体力的には仕事をするより楽ちん」
「いや、そうじゃなくてさ、女子高生の裁判なんだろ? 例の、阿久津初華だっけ?」
「……ええ、そうよ」
「本当は辛いんじゃないのか? 5人を殺したと言ってもまだ子供なわけだろう? 裁判員って、断ることもできたんじゃなかったのか? 何もお前が引き受けなくても」
「ええ。でも、誰かがやらないといけないことだから」
私あてに裁判員の召喚状が届いたときは驚いた。
確かに、夫の言う通り裁判員の辞退を願い出ることもできた。辞退できるならそうするべきだったのかもしれないけれど、裁判員の辞退は原則として認められないし、辞退をするにもそれ相応の理由が必要だった。
私の場合は勤めているとはいえ、パートタイムだから辞退を認める理由にはならない。
それに娘の穂香は保育園で18時まで預けることができたし、裁判の時間は長くても17時までだった。仮に17時に裁判が終わっても、そのあとの審議の時間が長引かなければ時間までに迎えに行くこともできるだろうから子供を理由にして辞退することもできなかった。勤め先で裁判員に選任されたことを伝えると、「国民の義務だからしっかりね」と会社は快く送り出してくれた。
召喚状に記述された指定日に裁判所を訪れて案内されると、広い部屋には想像していた以上に大勢の人が集まっていて驚いた。100人近くはいたような気がしたけれど、隣の部屋にもこの部屋と同じくらいの人たちがいるようだった。職員から今回の裁判についての説明がはじまると、室内はどよめいた。
時期を考えるともしやとは思っていたが、案の定、今回の裁判員裁判の対象となる被告人は、阿久津初華だった。今や日本中で知らないものはいないとさえ言われている、未成年の凶悪殺人犯だ。その裁判員として私は選出されたのだが、正直複雑な気持ちだった。
5人を殺害した凶悪犯とはいえ、裁かれるのは19歳の女の子だ。かつて家族を捨てた私に、他人の子供を裁く権利があるのだろうかと思った。
事件当時18歳という年齢に息子の宗一郎が重なった。あれから息子はどうしているのだろうか。相変わらずふらふらして悪さをしているのだろうか。
ふと、今回の裁判の被告人が宗一郎だったら、私は裁判員として息子を裁くことができるのだろうかと考えていた。しかし、そうなった場合は、私は裁判員ではなく宗一郎の親として証言台に立つことになるのだろう。果たして、5人も人を殺した息子に情状酌量を訴えることが私にできるだろうか。その場の勢いで「死んで償わせてやってください」と言ってしまうかもしれない。それに計画的に人を5人も殺したとなれば、未成年とはいえ死刑になる可能性は高い。
しかし、だからと言って親の口から「殺してくれ」というのは薄情でもあるし、責任の放棄ともとられるのではないだろうか。
息子を殺して全てを終わらせる? だが、息子を殺人鬼にしたのは、もとはと言えば親の責任ではないのか。すべての責任を息子だけに押しつけて親が被害者ぶるのというのも何か違う気がする。
そんなことを悶々と考えているうちに私は後悔し始めていた。やっぱり、私のような人間が裁判所に来るべきではなかった。どう考えても人を裁く資格など無い気がするし、私には荷が重すぎる。
「面接や抽選を行って215名の中から6名を選出します」と職員から説明されたときはほっと胸を撫で下ろした。これだけ大勢の中から六人を選出するとなると、私が当たる確率はかなり低いと思ったからだ。
しかし、安堵のため息を吐いた1時間後には小さな会議室へと案内された。
部屋の中心の円卓には8人の人間が座っていて、そのうちの3人は黒い法服を着用した裁判官だった。あとの5人はビジネススーツや、カジュアルな服装をした一般人だった。私がその部屋に入室した最後の一人だった。
「ママー?」
穂香の声にはっとして目を瞬かせると、穂香が小さな手をヒラヒラさせていた。
私がハイタッチのノリで穂香の手に触れると、穂香も「いえーい」と笑って手を押し返してきた。裁判員になってしまったことや、過去のことを振り返っても仕方がない。今はここが私の家であり、この2人が私の家族だ。
元夫や宗一郎が今どうしているのかはわからない。願わくば、私のことなど忘れて何事もなく平穏に暮らしていることを祈るばかりだ。
~第四章~ (3)の登場人物
涌田景子(わくたけいこ)
阿久津初華の裁判の裁判員に選出された主婦。宮田宗一郎の実母。
涌田穂香(わくたほのか)
再婚した夫との間に生まれた娘。
涌田晃(わくたあきら)
景子の再婚相手。
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