見出し画像

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (5)

(5)


「宮田、3番の様子はどうだった?」
中村さんがノートパソコンに顔を向けたまま俺に訊いてきた。


「初華ちゃんですか? いつも通り可愛かったですけど。それが何か?」


「あのなあ、そうじゃなくて。あと、未決(未決拘禁者の略)を名前で呼ぶな。番号で呼べ」


 ため息まじりに中村さんが言った。そんなことはわかっている。軽いジョークのつもりだったのだが。かかとを揃え、直立不動の姿勢で軽く顎を引いて咳払いをし、喉の調子を整えてから、はきはきとした声で報告した。


「今朝の3番は心身共に異常は見られず、食事もすべて奇麗に平らげておりました! ちなみに朝食では味噌汁に飯を混ぜて食しておるようですが、如何いたしましょうか?」


 中村さんが呆れた顔をしているが、なにかおかしなことを言っただろうか。


「そうか、まあ、異常がないなら、いい。めしのことは好きにさせてやれ」


 中村さんはノートパソコンに向き直ると、作業の続きを始めた。両手を使ってキーボードを叩いているが、使っている指は人差し指と中指だけだ。背中を丸めてモニターと睨めっこしながら1個ずつキーを打っている。


「中村さん、パソコン教室に通っている割にあまり成果出てないんじゃないですか? もっと、カタカタカタって、もの凄いスピードでキーボードを打てるようになってるのかと思っていましたよ」


「馬鹿言え。おまえ、それブラインドタッチのことだろ? 俺が習ってるのはExcleとWordだぞ。ブラインドタッチなんて、別に出来なくてもいいんだよ」


 せわしない動きでキーボードとモニターを交互に見ながら中村さんが答える。今度、資格試験があると言っていたが、転職でもするつもりなのだろうか。


「どうせなら、ブラインドタッチもできた方が仕事ができる男みたいでカッコいいじゃないですか」


 もっとも、ごりごりの体育会系である中村さんが背筋を伸ばして、ごつい指で軽快にキーボードを叩いている姿なんて想像もできない。キーボードを叩くとしたら拳でだろう。


「宮田。何をにやにやしてるんだ? もしかしてお前、何か失礼な事考えてないか」


「いえ! 何も考えておりません!」


 慌てて姿勢を正した。思わず何も考えておりませんと言ってしまったが、それだと意味によってはまるで俺が馬鹿みたいじゃないか。すると、中村さんの隣のデスクから野太い笑い声が飛んできた。


「宮田、お前どうせ3番のことを考えていたんやろうが? 可愛いし、ボン、キュ、ボンやけんなぁ。この助平が」


 唐突なセクハラ発言は海老原さんだった。朝刊から顔を上げてこちらを覗く目はいやらしく歪み、新聞で隠れた口元は下品に笑っているのが容易に想像できる。というか、あんたにだけは「スケベ」と言われたくはない!
 海老原さんは、規律を遵守するタイプで、仕事に対しても基本的に真面目だが、こういうところがある。あんたの方こそ、初華ちゃんに親切にしている「フリ」をして下心があるんじゃないのか。なんてことは口が裂けても言えない。
 初華ちゃんがこの拘置所に入所したときに生活規則を指導したのは海老原さんらしいが、それにしても相手が可愛い女子高生とは言え、あそこまでデレデレした態度で接するというのは如何なものだろうか。いや、確かに彼女は可愛い。スタイルも素晴らしい。それは認める。異論は許さない。しかし、巡回中の海老原さんがなかなか戻ってこないことがあまりにも多かった。
 中村さんや杉浦さんは「まあ、いつものことだから」と笑ってはいたが、海老原さんは規律を遵守する割に、初華ちゃんに対してはだらしないところがあった。いや、わかるけども。彼女、美人だし。
 しかし、どう見ても下心丸出しなのは彼女と話をしている海老原さんの鼻の下を見ればすぐにわかった。彼女の目には「優しいおじさん」に映ったかもしれないが、俺から言わせればただの助平親父だ。

「やだなあ、海老原さん。確かに初華ちゃんは可愛いですけど、自分なんて相手にされませんよ。それに、ボン、キュ、ボンなんて、彼女、舎房着を着てるから体形がわからないじゃないですか。まさか、初華ちゃんの入浴の日にこっそり覗いたんですか?」


俺はいつもの「軽口」で海老原さんににやにやしながら言った。先輩に対して失礼千万にもほどがある。


「へっ、皆川のやつが目を光らせてるから、覗きなんてしたくても出来ねえよ。それに、舎房着を着ててもあれだけ立派なんだ。腹だって出てねぇって」


 海老原さんは笑いながら言った。皆川さんがいなかったら覗くのか。この助平親父は。皆川さんというのは、女性刑務官の皆川彩花(みながわあやか)さんのことだ。
 初華ちゃんの洗濯物を回収しにくる日や、入浴の時にだけ拘置所にやって来る女性刑務官で、普段はI女子刑務所に勤めていると聞いたことがある。
 年齢は29歳。細身で眼鏡をかけていて髪は耳に掛かるくらいのショートカットヘアで彼氏なし(だと思う)。美人だが、クールというか、彼女の冷たい雰囲気が俺は苦手だ。ジョークを言っても無視されるし。以前、皆川さんに胸の話をしたときは視線だけで殺されるかも知れないと震えあがったこともあった。


「遠くの薔薇よりも近くのたんぽぽやぞ。宮田。皆川はまだ独り身らしいからなぁ」


 海老原さんが鼻で笑いながら言った。なんだそれ。少なくとも皆川さんがたんぽぽというイメージは湧かない。どちらかと言うと、青いアジサイの間違いではないだろうか。


「俺に薔薇はふさわしくないから、たんぽぽで我慢しろってことですか? というか、皆川さんはたんぽぽってイメージでもないでしょ」


 俺が鼻で笑って肩をすくめると、海老原さんは朝刊をデスクに叩きつけるように置いた。その乾いた音に俺の背筋が思わず伸びる。


「おい、お調子者もほどほどにしておけよ。宮田。皆川に失礼やぞ」


 失言だったみたいだ。なにか気に障るようなことを言ったのだろうか。
鼻から怒気を洩らした海老原さんは朝刊に目を戻したが、さっきから一面しか読んでいないことに気が付いた。


「それに、人の手で刈られちまうのがわかってる儚い薔薇だ。やめとけ」


「それって、どういう……」
 言葉の途中で海老原さんの言っている意味を理解すると、頭にカッと血が昇った。


「海老原さん、それはさすがに言い過ぎなんじゃないですか」


「宮田」


 キーボードを打つ手を止めた中村さんが俺を制したが、無視した。


「言い過ぎも何も、本当のことやろうが」


……なんてデリカシーのない人なんだ。この人は。


「宮田よ。聞け。あの子は、5人の命を奪った殺人犯だ。あの若さで人の道を踏み外しちまったんだ。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、人が人を殺しちゃあいけん」


 俺を見据える海老原さんの眼は、少し充血していた。


「可哀そうになぁ。だけど、やっちまったもんには責任を取らなきゃいけん。あの子は5人の命と人生を無理やり奪ったんだ。残された遺族に一生消えない哀しみと苦しみを背負わせちまったんだ。だから、遺族の怒りと憎しみはあの子が背負わなきゃならん。背負って、1人で冥土に行かなきゃならん。俺らは、あの子が冥土に旅立つのを怖がらないように、少しでも死への不安を取り除けるように、あの子の生活の面倒を見てやることしか出来んのよ。わかるか。宮田」


 息を飲んだ俺は、返す言葉がなかった。
確かに、海老原さんの言う通りだった。だけど彼女だって人を殺したくて殺したわけじゃないはずだ。確かに、彼女がしたことは決して許されることじゃない。しかし、彼女に〝そうさせた〟のは〝そうさせた者たち〟にも原因があるのではないかと思うと、どうしても完全には納得できないし、やり切れない気持ちがある。
 人が人を殺しちゃいけん? じゃあ、死刑はどうなんだ? 死刑だって人が人を殺すんじゃないのか? 「刑」だから違うのか? 
「罪を憎んで人を憎まず」という諺(ことわざ)はどうだ。
 憎むべきは罪なのであって人じゃない。じゃあなんで死刑という制度があるんだ? 
 あなたのことは恨んでいない。悪いのは罪を犯したことです。ですから死んでくださいということなのか? それは矛盾しているんじゃないのか? 
 やっぱり、海老原さんの言っていることは納得できなかった。それに、まだ彼女が死刑と決まったわけじゃない。


「3番が死刑って、まだ決まったわけじゃないじゃないですか」
そう言って睨み返すのが精一杯だった。


「へっ。納得できねぇってツラだな。まあ、お前が言ってる事も確かにそのとおりだ。とにかく、あの子に変な期待はするな。あの子のためにもな」


「それによ」と言って海老原さんは続けた。
「今お前が腹ん中で思ったこと、そっくりそのまま被害者遺族の前で言える度胸はあるのか? 3番には3番の理由があって、だから殺したんです。仕方がなかったんですってよ」


海老原さんの言葉に俺は頭から冷や水をかぶせられた気分だった。


「宮田よ。俺らは俺らの仕事をするだけだ」
 海老原さんはそう言って朝刊を投げてよこすと、制帽を手に取って立ち上がった。


「ちょっと、回ってくるわ」


 事務所の扉の前まで行ったところで、海老原さんが立ち止まった。腕を組んで何かを考えるように無精ひげの生えた顎をさすっている。


「E寄りの、Dか。ふむ」


 やっぱり、ただの助平親父なんじゃなかろうか。少しでも海老原さんを感心したのが馬鹿らしくなってきた。すると、いきなり事務所のドアが開いてドアノブに手を伸ばしかけていた海老原さんは、あやうく頭をぶつけそうになっていた。おしい。


「あぶねえなぁ!」


「あ、海老原さん。すんません」


 ドアを開けたのは杉浦さんだった。手に長型4号の茶封筒を持っている。
「杉浦、それ、なんだ?」


「ああ、これですか。差し入れですよ。3番に」

 茶封筒の中から杉浦さんが取り出したのは5千円札紙幣だった。


「ちょうど今から回ってくっからよ。俺が3番に渡してくるわ」


「そうですか? それじゃあ、お願いします」


 杉浦さんは現金を封筒に戻すと海老原さんに渡した。受け取った海老原さんは、初華ちゃんに会う口実ができてホクホク顔だ。助平親父め……。


「あ、受取書もお願いします」


「おう」と言って紙を受け取った海老原さんは、鼻歌まじりに事務所を出て行った。
 見回りと言っても、ほとんど初華ちゃんに会いに行ってるようなものだ。どうせなら俺が初華ちゃんに差し入れを持っていきたかった。


「また、この間と同じ人からの差し入れですか?」
 気になった俺は杉浦さんに訊いてみた。


「ああ。そうみたいだな。まったく、世の中には物好きというか、奇特な人間がいるもんだな」


「奇特……確かに、そうかもしれませんね」


 杉浦さんの反応はもっともだった。拘留されている人間に差し入れをするのは、身内の人間か、もしくは関係者だ。しかし、初華ちゃんへ差し入れをしたのは、そのどちらでもなかった。以前、この差入人について尋ねたことがあったが、彼女は何も知らない様子だった。それに留置場にいたときは、この謎の人物は疎か、家族の差し入れすらなかったと話していた。
 その謎の人物からの差し入れも今日で7回目だ。もしかしたら、彼女の知人や関係者が偽名を使って差し入れをしているのかもと思ったが、そうする理由がわからない。


「まあ、差し入れされたものは本人に渡さないとな。別に怪しいものが入っている訳でもないし」


「あれって、本名じゃないですよね。たぶん」
 思ったことをそのまま口にすると杉浦さんは腕を組んで唸った。


「どうだろうな。変わった名前だが、偽名とは限らんぞ」


 まあ、それは確かに。


「もし仮に送り主が赤の他人だとして、彼女がこの拘置所にいることをどうやって知ったんだろうな?」


 それもそうだ。初華ちゃんがここに居ることを知らなければ、いきなり現金を郵送で差し入れるなんてことはしないはずだ。しかし、護送中に尾行されて所在がばれたということもなさそうだった。拘置所内の情報が外部に漏れるということもないと思うのだけれど。
 となると、やっぱり彼女の知人か、関係者なのだろうか。人を5人も殺害したとはいえ、未成年の女の子が拘置所に囚われているのを憐れんだ何者かが差し入れた可能性はなきしにもあらずだけど、そこまで物好きな奴がいるというのも考えづらい。もしそうだとしても、なぜ彼女がここにいるのがわかったのかという考えに帰結する。


「なあ、やっぱりブラインドタッチできたほうがカッコイイと思うか?」


 頭を掻きながら中村さんがこっちを見た。
中村さんのどうでもいい一言がきっかけで謎の人物の話はそこで打ち切りとなった。


「まあ、今の時代どこでどう情報が洩れるかわからんよな」

 杉浦さんの言葉に俺は頷いた。


初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (6)に続く


~第一章~ (5)の登場人物


海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。四国訛りがある。業務に対して忠実ではあるが、下ネタ好き。

杉浦(すぎうら)
Y拘置所の刑務官。面会人の受付や、差入品の授受業務を担当している。

中村(なかむら)
Y拘置所の刑務官。体育会系でぶっきらぼう。最近、拘置所の事務仕事も担当することになり、パソコン教室に通い始めた。

宮田(みやた)
新人の刑務官。お調子者で明るい性格。イケメン。初華のことが気になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?