見出し画像

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (6)

(6)


 読んでいた文庫本を閉じる。もう3回も読んだ本だ。元旗本の貧乏な素浪人が、迷い子を保護して母親を探すお話。剣の腕は随一で、悪党との剣戟も読み応えがある。
 でも、やっぱり「ねこまんま」のシーンが1番好きだ。麦飯に冷や汁。とても質素だし、おいしくなさそうなのに、読んでいると食欲が湧いてくるのはなぜだろうか。さっき朝食を食べ終えたばかりなのに、思い出したらお腹が空いてきた。
 宮田くんの勧めがなかったら、時代小説なんて一生読むこともなかった。まあ、それはともかくとして……。


「あー暇、暇、暇!」

 ぼやきながら枕に顔をうずめて足をばたばたさせた。毎日毎日やることがなさ過ぎて気が狂いそう。こんな狭い独居房の中で、他の人たちは何をして過ごしているのだろうか。わたし以外に人がいるかどうかわからないけど。
あんまりうるさくすると、中村さんに怒られるからこの辺りでやめておこう。
 仰向けになると、ヒビの入った天井が目に入る。
 壁も、天井も、白色で、冷たいコンクリート。まるで学校みたいだ。
 学校。学校か……。


「もう、戻れないんだろうな」


 声に出したら少し、鼻の奥がツンとした。
 本当だったら、今ごろわたしはどうしていたのだろうか。
 あの子と一緒にどこかの大学でキャンパスライフを満喫していたのだろうか。それとも別々の道を歩んでいた?


 何をいまさら、だ。終わってしまったことだ。それに、戻れたところであの子がいないんじゃ意味がない。やったことは後悔していないし、反省もしない。そう決めたんだから。ただ、それだけ。それだけなんだ。でも、やっぱり――。


 駄目だ。何か別の事を考えないと、「もやもや」に押しつぶされてしまいそうになる。
 ラジオ。そうだ、今流れているラジオに集中しよう。
 目を瞑って壁に埋め込まれているスピーカーに耳を傾ける。


〈それでは、今日のお贈りする曲のテーマは、今の寒い季節に因んで、冬です! ちなみに塩崎さんは冬にはどんなイメージを持たれていますか?〉


〈僕ですか? そうですね。冬って寒くて苦手なんですけど、空気は澄んでいる感じがして気持ちがいいし、何よりも鍋が美味しい季節ですよね〉


〈鍋もいいですよねぇ~。ちなみに塩崎さんご自身は、お料理とかされるんですか?〉

 優輝くーん、お腹が空いているときに鍋の話はやめてよう。
ちなみに、優輝くんというのは、イケメン人気俳優の塩崎優輝くんのことで、ドラマに舞台と引っ張りだこだ。わたしはあまり興味がないけど、クラスではいつも話題になっていた。

 腹の虫が盛大な音を立てる。鍋、食べたいな。辛くてあっつあつのチゲ鍋が食べたい。体があったまるだろうな……。そう考えていたら、またお腹の虫が鳴った。


「よお、でっかい腹の虫だなぁ」


頭上から声がして顔を上げると、視察窓から海老原さんが覗き込んでいた。お腹の音、聞かれたみたいだ。恥ずかしい……。


「海老原さん、いたのなら先に声かけてよ」
 わたしは体を起こしてジト目で海老原さんを睨んだ。


「声かけようと思ったら、ちょうどお前さんの腹の虫が聞こえたけん、しゃあないわ。あんな大きな腹の虫、聞かされたらなあ。やけど、残念ながら昼飯にはまだちょっと早いわなぁ」


 おじさんって生き物はデリカシーがないのかしら。海老原さんは優しいからまだいいけど。ただ、話している最中に視線が下がってくるのがマイナスポイントね。でも、そういうのは新体操の大会でもう慣れた。


「ところで、3番さんや。お前さんに差し入れだ」


 海老原さんが手に持っている茶封筒から取り出したのは五千円札だった。
これはありがたい。
 拘置所ではシャンプーもリンスもなくて、備え付けの石鹸で頭を洗うことになる(ホント、信じられない)。留置場のお風呂にはシャンプーがあったのに、拘置所では石鹸で頭を洗うしかないと聞いたときには耳を疑った。仕方がないから石鹸で洗うんだけど、髪が乾くとまるで針金のようにギシギシになってしまう。
 でも、お金があればシャンプーやリンスに清潔なタオルだって買うことができる。日用品は差し入れしてもらうか、現金で買うしかない。その差し入れも、差し入れできるものとできないものがある。シャンプーやリンスは中身が見えないから差し入れできないし、歯磨き粉も同様だ。でも、拘置所で購入するものはOKらしい。ちなみタオルは自殺防止のために規定サイズ以外は購入できないと説明された。手持ちの現金も残り少なかったけど、これで新しい日用品が買える。お菓子も買いたいけど、今回はガマン。


「うれしい。誰からの差し入れなの?」


 誰からの差し入れなのかはわかっていたけど、あえて海老原さんに訊いてみた。


「赤津(あかつ)って封筒に書いてあるな」


「赤津?」


「下の名前は、何て読むのかわかんねえな。漢字で猪に鹿に蔵って書いてある」


「猪鹿蔵(いかぞう)?」


「猪鹿蔵? これ、いかぞうって読むのか。へぇー」


「合っているかどうか、わからないけど」


 海老原さんは「そうなのか」と感嘆の声をもらした。そして、「変てこな名前だな」と言って笑った。それは私も思った。
 赤津猪鹿蔵(あかついかぞう)。
 まるでさっき読んだ時代小説に出てきそうなキャラクターの名前だ。
 そうか。いつもわたしへの差し入れを持ってきてくれるのは杉浦さんが多かったから、海老原さんははじめてこの名前を見たのか。それなら知らなくても無理はない。


「封筒はどうする?」


「いらないから、捨てても大丈夫」


「OK、じゃあ受取書に受け取りの名前を書いて指印を押してくれ」


 渡された受取書にボールペンで自分の名前を書いてから左手の人差し指で受取書に捺印した。現金の差し入れは自分で所持することができないので、刑務官に預ける決まりになっている。
 それから海老原さんと少し雑談をした。ここでの生活は慣れたかとか、少しでも困ったことがあれば何でも言えとか。
 海老原さんがわたしの胸を見ながら話をしているのが困るかなと伝えたら、「やや! こりゃ1本取られたわ!」と笑っておでこをぴしゃりと叩いた。


「おっと、いけん。あんまりくっちゃべってると、宮田のやつがうるさいからな」


「なにそれ。なんで宮田くんなの?」


「ほれ、あいつ、お前さんに惚れてるべ? 嫉妬するからよ」


「え。なにそれ、やめてよ、ちょっと。困るんだけど」
わたしは心底うんざりした顔を海老原さんに向けた。


「だよなぁ。でもまあ、あいつはおっちょこちょいだし、馬鹿だけど、いいヤツだ。イケメンかどうかは知らんけどな」


「馬鹿なのは確かにそう思う」とわたしが笑うと、海老原さんは「だべ」と笑いながら見回りに戻っていった。
 ラジオに耳を傾けると、先ほどの番組はすでに終わっていて、いまは通販番組に変わっていた。つまらない通販番組を聞き流しながら何気なしに視線を巡らせていると、私物棚に置いてある1冊の文庫本に目が留まった。以前、赤津猪鹿蔵から差し入れされた文庫本だ。
 表紙には長いおさげの少女と、まるで針金のように手足の長い紳士のイラストが描かれている。この本こそ、何回読んだかわからない。
 わたしは立ち上がってその文庫本を手に取ると、中に何も詰まっていない「ぺったんこ」の敷布団に腰を下ろして最初のページを開いた。


初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (7)へ続く


~第一章~ (6)の登場人物


阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。裁判の閉廷間際に騒ぎを起こした。
聖フィリア女学院の生徒で新体操部のエースだった。Y拘置所に収監されている。退屈な毎日に飽き飽きしている。

海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。四国訛りがある。業務に対して忠実ではあるが、下ネタ好き。美人でスタイル抜群の初華がお気に入り。

赤津猪鹿蔵(あかついかぞう)
???

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?