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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (7)

(7)


 体中に煙の臭いが染みついていた。マスクをしているのに、鼻を衝く臭いがフィルターを突き抜けて鼻孔を刺激する。卸したてのスーツで現場に行ったのは失敗だった。
 今日の午後4時頃に木造2階建ての家から火が出ているのを買い物から帰宅した近隣の主婦が見つけ、消防に通報した。家の2階の一部を燃やしたが、駆け付けた消防によって1時間後に消し止められた。火事の原因は「放火」だった。
 この家の住人と思われる少女を現場付近で発見したため、火事について尋ねると、自分でカーテンに火をつけたと話した。その場で少女を現行犯逮捕して警察署に連行した。
 取り調べが終わり、坊主頭の刑事が取調室に入ってくると少女に逮捕状を見せて内容を読み上げた。


「午後9時13分、あなたを現住建造物等放火の容疑で逮捕します」


 細い手首に黒い手錠を嵌められ、腰縄を括りつけられた少女は、あおざめた顔で自分の手首を見つめていた。


「それでは、木島部長」
坊主頭の刑事が敬礼をした。


「はい。よろしくお願いします」


「被疑者通りまーす!」


 事務所じゅうに響き渡る声で告げると、少女を留置場へと連行していった。
 少女は肩を落とし、その足取りは重かった。まるで晒しものだ。可哀そうだが、暫くは留置場暮らしになるだろう。
 取り調べをしている時の彼女は目も虚ろで震えていた。とんでもないことをしてしまったと、家に火をつけたことを後悔している様子だった。
 今日の取り調べでは、なぜ放火をしたのか詳しい動機は訊き出せなかった。ただ、カーテンに火をつけてみたくなってやったと彼女は話した。明日以降の取り調べでより詳しい犯行動機を訊き出さなくてはならない。


 放火といえば、以前に逮捕した阿久津初華のことを思い出していた。彼女はおととしの7月6日と7日未明にかけて5人を殺害した。そのうちの3人は私立聖フィリア女学院の生徒で、阿久津初華と同じ新体操部の部員だった。
 1人は同級生で、あとの2人は2年生だった。そして、残る2人はその同級生の父親と母親だった。犯行の動機は「復讐」と彼女は取り調べで供述した。親友を自殺へ追い込んだ者たちへの復讐なのだと。


 自殺した友人の名前は、櫻木一桜(さくらぎちはる)。
 阿久津初華の同級生で、新体操部の部員だった。だが、櫻木一桜が入部したのは3年生になってからだった。そして、入部から1か月がすぎたある日、学校から家に帰る途中で行方不明となり、2日後にM渓谷の下流で彼女の遺体が発見された。
 M渓谷吊橋からの飛び降り自殺だった。原因は、部内での「いじめ」だった。
 そして、阿久津初華は櫻木一桜の怨みを晴らすために、いじめをした者たちへの報復殺人を企てた。
 阿久津初華の供述では、櫻木一桜に対していじめをしていた生徒は阿久津初華の同級生である、楠田心尊と部活の後輩の寺塚莉緒、そして望月陽葵の3人だった。
 櫻木一桜が自殺した1か月後に、寺塚莉緒と望月陽葵を自宅から5キロ離れた人気の無いK神社に呼び出してシャベルで殴打し、昏倒したところを予め掘っておいた穴に生き埋めにした。そして、その日の深夜に自宅から2キロ離れた楠田心尊の家を訪れて火をつけ、彼女を彼女の両親もろとも殺害した。
 寺塚莉緒と望月陽葵に連絡がつかず、いつまで経っても帰宅しないことに不安を覚えた家族は、その日のうちに警察に捜索願を出した。そして深夜の住宅火災。出火原因は放火だった。行方がわからなくなった2人の女子高生と、火事で死亡した楠田心尊。3人とも私立聖フィリア女学院の生徒であるという事から事件性があると見て、警察の捜査が開始された。


 そして、犯人は2週間後に逮捕された。逮捕の決め手となったのは、火災現場での消防隊員の記録映像だった。火事の現場付近を取り囲むように集まっている野次馬の中に一瞬だけ少女の姿が映っていたのだ。消防隊員が走っているせいでカメラの手ブレが酷かったが、人の肩と肩の間に隠れるように佇んでいたその少女は、見切れるその瞬間にカメラに映り込んだ。
 一時停止して確認すると、その少女は燃え盛る家を爛々とした目で見つめ、そして、静かに笑っていた。その様子は明らかに尋常ではなかった。
 深夜2時ともなれば、誰もが就寝している時間帯だ。記録映像を見る限りでは、野次馬の中で学生ほど若い女性は彼女1人だけだった。何よりも怪しかったのは、他の野次馬の服装が寝間着や部屋着なのに対して、彼女の服装は薄手のフード付きパーカーとデニムのミニスカートであるということだった。よく見ると、首にはアクセサリーも付けていた。つまり、外出着だということだ。
 不審に感じた警察がこの映像を現場付近の住民に見せ、映っている少女に見覚えはないかと尋ねたが、知っている人間は誰1人いなかった。そして、私立聖フィリア女学院の学校関係者に映像を見せたところ、この学校の生徒である阿久津初華であることがわかった。
 彼女を任意同行で署に連行し、火事についての取り調べを行ったが、彼女はしらを切った。しかし、楠田宅の火事の現場映像を見せ、映っている少女はどうみても阿久津初華本人であり、深夜にも関わらず2キロも離れた火災現場にいるのは明らかに不審であると問い詰めたところで彼女は観念し、白状した。
 行方不明になった2人についても言及すると、自分がやったとあっさり供述した。そして、阿久津初華をその場で緊急逮捕した。女子高生がその日と翌日未明のうちに5人も殺害するという、映画も小説も真っ青な連続殺人事件だった。

「まさか、また女子高生が家を放火するとはなあ」


 独り言ちて休憩室の自動販売機に100円硬貨を2枚投入すると、ホットコーヒーの購入ボタンを押した。カップコーヒーのくせに値段が高いだけあって、それなりに美味い。豆から挽くタイプの自販機で、つい最近設置された。「日々忙しく働く署員のためにせめて美味しいコーヒーで休息を」という上の粋な計らいらしいが、暇な幹部たちが美味いコーヒーを飲みたいがために設置したのではないかというのが専らの噂だった。本当に忙しい署員なら、出来上がるまでに120秒も要するコーヒーなんて飲まない。隣の90円のコーヒーを買うだろう。値段もリーズナブルだ。
 ゴリゴリと豆を挽く音が自販機からし出すと、小さな液晶パネルにコーヒーを煎れているイメージ映像が映し出された。


「お疲れ様です。お、今日は幹コーヒーですか。値段は高いけど美味いらしいですよね」


 先ほど、女子高生を留置課に連れて行った坊主頭の刑事が休憩室にやってきた。150円もする豆挽きコーヒーなんて幹部しか飲まないという皮肉を込めて、署員からは〝幹コーヒー〟と呼ばれている。知らない者は、カップのコーヒーなのになぜ缶コーヒーなのかと不思議に思うことだろう。

「真田さんもたまにはどうですか。幹部になった気分になれますよ」


「いやぁ、自分には高いコーヒーの味はわからんので、こっちで十分です」


 そう言うと真田さんは、隣の自販機で90円のアメリカンを購入した。彼の方がふたつ年上だが、僕の部下にあたる。細身だが強面でもあるし、威圧感もある。周りから見れば、彼の方が上司に見えるだろう。その彼が取り出し口からコーヒーを取り出して、二口飲んだところでようやく僕の〝幹コーヒー〟が出来上がった。
 一口飲む。豆から挽いているだけあって、やはり美味い。煎れたてのコーヒーを味わいながら真田さんに尋ねた。


「真田さん、女の子の様子はどうでした?」


「まあ、ショックは受けているみたいでしたね。後先考えずにやっちまったもんだから、逮捕されて、初めて自分の身に起きてることは現実なんだとわかったんでしょう。初犯らしい反応ですよ」


「そうでしょうね」


 コーヒーを啜りながら答えた。初犯は警察に捕まって初めて罪の意識が芽生えることが多い。自分の家に火を放った先ほどの少女もそうだろう。
 どんな人間でも「小さな罪」を積み重ねながら生きている。子供の頃の横断歩道の信号無視であったり、親の財布から小銭を抜き取ったり、人が見ていないところで煙草やシンナーを吸っていた子供もいただろう。悪いことをしているという認識はあっても、罪を犯しているという意識が薄いことが多いのだ。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉がある。むかし流行った言葉だが、現代においても揶揄するときにこの言葉が使われることがある。日本人特有の群集心理を皮肉った言葉ではあるが、同時に日本人の後ろ暗い性格をよく表している言葉だと思う。
「他の人間もやっているから大丈夫」「自分一人がやったところでバレないだろう」そうやって自分に言い聞かせ続け、罪の意識の感覚が麻痺していく。そして「小さな罪の積み重ね」がやがて「大きな罪を犯す」のだ。

  
 インターネットが普及した現代では、その群集心理がさらに悪い現象を引き起こしている。芸能人が不倫をしたとか、何か不祥事をしでかしたなどのニュースがSNSやニュースサイトでまことしやかに取り上げられると、ここぞとばかりに叩く人間の多さには驚くばかりだ。
 ファンがその芸能人に失望したから怒りをぶつけると言うのならばまだわかる。しかし、その芸能人にさして興味もない人間が、その芸能人が起こした問題にのみならず人格をも否定したり、蔑むような発言をするのは如何なものだろうか。
 いわゆる誹謗中傷だ。テレビでしか見たことがない赤の他人が、その人のいったい何がわかるというのだろうか。そして、誹謗中傷をぶつける相手は問題を起こした有名人だけに留まらず、「なんとなく気に入らない」という理由だけで、一般人に対してまで、インターネットやSNSを通じて平然と言葉のナイフを突き立てる者もたくさんいる。
「匿名だからバレないだろうし、大丈夫だろう」という心理のもとで相手を批判し、見下し、傷つける。わざわざ「捨てアカ」まで作って満たしたい欲求とは、いったい何なのだろうか。
 相手からは自分の顔が見えないことをいいことに「死ね」だの「クズ」だのと強気で宣っているが、これらの誹謗中傷は、名誉棄損や侮辱罪にあたる場合がある。ましてや「殺してやる」などと言った日には脅迫罪が成立し、被害届を出されればもちろん、逮捕される。だが、やっている本人は逮捕されるまで自分がしていることは犯罪だとわからないのだ。
 いや、わかっていてもわからないフリをしているだけなのだ。口汚い誹謗中傷もネット上での「日常会話」くらいにしか考えていないのだろう。それを証拠に逮捕された者は口を揃えて皆こう言う。


 ――本当に逮捕されるとは思わなかった。
 ――書いただけで実行するつもりはなかった。
 ――日常にストレスを抱えていて、ついやってしまった。


 インターネットでは見るに堪えかねる暴言を吐いている人間も実際に会ってみると、どこにでもいそうな学生であったり、日中暇な専業主婦であったり、普通のサラリーマンだったりする。もちろん、前科も前歴もない。まさかこんなことで捕まるとは思わなかったと言わんばかりの反応をする者ばかりだ。だがそこが問題だ。「こんなこと」で深く傷ついている人間がいることを彼らはわかっているのだろうか。それが原因で自殺をした人間がいるということも。
 結局、「まさかこんな事で捕まるとは思わなかった」という発言が「まさかこんな事で自殺するとは思わなかった」という言葉に代わるだけではないのか。
「いじめているつもりはなかったと」いうのも同じだ。そこに罪の意識はない。仮に罪の意識があったとしても、それと向き合おうとはせずに、目を背ける人間が大半だ。いじめられた方はたまったものではない。
 日々の生活に対する不満やストレスが溜まり、鬱憤を晴らしたい気持ちはわかるが、だからと言って見知らぬ誰かを言葉で傷つけたり、罵っていいという理由にはならない。結局、彼らは日常生活で溜まった怒りをぶつけるところがないのだ。だから匿名性の高いインターネットやSNSを拠り所にしているのだろう。


 罪の意識の希薄さで言えば、阿久津初華はそれら以上だった。警察署に来た時も、事情聴取を受けている時も、彼女に動揺している様子はいっさい見られなかった。むしろ堂々としていた。人を殺した人間にまともなヤツなどいないと思われるかもしれないが、チンピラやヤクザ者と違って、どこにでもいる一般人と変わらないことが多い。もっとも、多くのそれは衝動的に人を殺してしまった人間の場合の話だ。
 5人もの人間を殺害しておきながら、動揺した様子も見せない彼女を見ていると、やはりどこか「普通の人間」とはちがう気がした。
 逮捕した翌日の朝、留置課に彼女の調べを行うことを連絡すると、程なくして彼女は看守に連れられてやって来た。看守から手錠の鍵を受け取り、彼女の身柄を預かった。


「おはようございます。阿久津さん。昨晩は、よく眠れましたか?」と尋ねると、彼女は一瞬こちらを見てからすぐに視線を床に落とし、呟くように答えた。


「隣の部屋のおばさんのいびきがうるさくて眠れませんでした。廊下の電気、点いたままだし」


「それは大変でしたね。でも看守さんも場内を見回りしないといけないから、電気は消せないみたいなんですよ。いびきは……我慢してもらうしかありませんね」


「そうですか」と興味無さげに返事をする彼女を取調室に案内した。
 部屋に入ると彼女の手錠を外し、パイプ椅子に座らせた。外した手錠をパイプ椅子に嵌めて、腰縄の先端が邪魔にならないように椅子の後ろに垂らした。手錠と彼女の腰に括り付けられている腰縄は繋がっているので、こうしておけば彼女の動きが制限できる。ドラマや映画で取り調べを受けている被疑者の手錠がデスクに固定されているシーンがあると思うが、要するにそれだ。本当は、椅子も床に固定されている方が望ましいのだが。
 鞄から供述書を書くためのノートパソコンを取り出して電源を入れた。古いノートパソコンなので起動が完了するまでに時間がかかる。待っているあいだ、腕を組んで彼女を観察した。
 顔色は悪くないし、体調が優れないということもなさそうだった。パソコンの準備が整ったので、彼女に黙秘権について説明をしてから取り調べを開始した。


「さてと、それでは取り調べを始めますね。昨日と同じく、まずは阿久津さんのことについてお訊きしますので、合っているかどうか教えてください」


「はい」


「阿久津初華さん。年齢は18歳。生年月日は平成〇〇年〇月〇〇日。生まれはT県M市。住所も同じ。聖フィリア女学院の生徒で現在3年生。部活は新体操部。1年生でインターハイに出場し、成績は5位。家族構成は阿久津さんご本人を含め父と母の3人。全員実家暮らし」
彼女に視線を向ける。


「合っています」


「一年生でインターハイベスト8ってすごいですね」


「そうですか」


「スタイルも素晴らしいですし」
彼女の眉間がわずかに不快感を表したのがわかった。軽く咳ばらいをして、場をあらためてから続きを読み上げようとしたが、彼女の声がそれを遮った。


「刑事さん」


「ん、何でしょう」
いきなり呼ばれて思わず声が上擦った。


「言いたくないことは、言わなくてもいいんですよね?」


「ええ。さきほど申し上げた通り、被疑者には黙秘権がありますから」


「じゃあ、ずーっと黙っていてもいいってことですか?」


「それは、流石に困りますね。ずっとだんまりだといつまで経っても取り調べが終わりませんから。阿久津さんにも、ご協力いただけると助かります」


彼女は無言でじっとこちらを見つめていた。


「協力、していただけますか?」


少しの間をおいて、彼女はこくりと頷いた。
 まずは、リラックスさせるために雑談を交えて彼女自身の事について話を訊いた。
 私立聖フィリア女学院といえば、県内ではレベルが高い部類に入る高校で、新体操部の強豪校でもあることでも有名だった。もっとも、強いと噂されていたのは彼女が1年生のときに在籍していた3年生部員までの話であって、3年生の卒業後は、成績は思わしくないようだった。しかし、個人競技では阿久津初華一人だけが抜きんでていた。
 小学生の低学年から新体操を始め、全国中学校選手権大会では全種目、そして総合で1位を獲得している。当然、これだけの成績を収めているのであれば、スポーツ推薦で聖フィリア女学院への入学も十分に可能だったが、彼女はあえてそれをせず、通常通り入試テストを受け、そして見事に合格した。


 文武両道で容姿端麗。そして誰とでも分け隔てなく接することができて、明るく快活な性格。クラスでも人気者だったようだ。その阿久津初華が3年生の時に途中から新体操部に入部した生徒が1人いた。それが櫻木一桜だった。櫻木一桜の話をしているときの彼女は活き活きとしていた。


「一桜って、わたしと違って大人しい子なんだけど、中学校からの親友で彼女、転入生なんです。髪は長くて奇麗なストレートで。背も小さいし、お人形さんみたいなんですよ。あの髪型、お姫様カットっていうのかな? 一桜によく似合っていました。清純な女の子って感じで」


「でも」と、彼女は言葉を切った。


「でも、一桜はいつも目立たなくて隅っこにいるような感じの子でした。休み時間も一人でずっと絵を描いているし、あ、でも絵がすごく上手なんですよ!
ボールペンで描いているんですけどすっごくうまいの! 動物の絵なんだけど、何も見ずに描いているんです。しかも本物そっくりなんですよ? それでどうやったらそんな風に描けるの? って訊いたんです!」


 まるで自分のことのように楽しそうに話をする彼女を見て、一桜という生徒と本当に親友だったんだなと思った。しかし、ひとしきり話し終えると、彼女は暗い表情で俯いた。


「一桜、いじめを受けていたみたいなんです」


「いじめ? それは、クラスでのいじめということですか?」


「それは……それもそうなんだけど、部活でのいじめです」


「なるほど。ちなみにクラスでのいじめというのは、具体的にどんな? 何か嫌がらせを受けたり、物を隠されたり? それともSNSでのいじめですか?」


そう尋ねると、彼女はどう伝えるべきか、言葉を探している様子だった。


「一桜はスマホは持っていたけど、SNSはほとんど使ってなかったみたいで、LINEもわたし以外には教えていなかったみたいなんです。でも、だからと言ってクラスの連中になにかされていたわけでもなくて、ただ無視されていたというか、一桜もわたし以外のクラスメイトとはあまり話したがらない感じだったし、誰も一桜にはあまり近づかなかったんです」


 彼女の話を聞きながら、腕を組んで目を細めた。
「それは……いじめなんですかね? 今ちょっと聞いた感じでは、櫻木さんもクラスメイトと接触するのはあまり好きではないようですし、でも、クラスメイトから何か嫌がらせをされた風でもない。阿久津さんは、どうして櫻木さんがいじめられていると思ったのですか?」


彼女は俯きながら目を泳がせていた。
「それは、いつも一桜は1人で絵を描いているし、わたし以外の誰かと話をしているのは見たことがないから。それもあって、一桜を新体操部に誘ったんです。一桜は運動が苦手だったけど、体を動かせば気持ちも前向きになるだろうし、それに新体操を好きになって欲しくて。同じ気持ちを共有したかったから」


 そこまで言って初華は弾かれたように顔を上げると、興奮気味に語りだした。


「それに、一桜がよく見に来てくれてたんです。わたしが新体操をしているところを。体育館の壁際で楽しそうに。『いっちゃんすごい! かっこいい!』って言ってくれたんです。わたしもう、嬉しくなっちゃって。誰かに褒められたり、応援されることには慣れてるんだけど、でもなぜか一桜のは特別だったんです」


「なるほど。阿久津さんにとって、櫻木さんは本当に大切なお友達だったんですね」


 彼女が櫻木一桜のことが好き(もちろん、同性の友人として)でたまらないというのは十分伝わってきた。親友というのも紛れもない事実なのだろう。だが、彼女が櫻木一桜の事を嬉々として話せば話すほど、何か違和感のようなものを感じる。この違和感は一体何なのだろうか。


「そうなんです。3年生になってから新体操部に、ましてや初心者が入部するなんて異例中の異例だったけど、わたしが一桜のことを面倒見るからって、先生や部長にお願いしたんです。
ほら、うちって新体操部に入部する人間は経験者じゃないとダメだったから。未経験者が入部したくてもできないんです。初心者の面倒を見る余裕はないんです。でもわたしは実力者で発言力もあるから。だから一桜を入部させることができたんです」


一気に喋り終えた彼女はまた暗い表情で視線を落とした。
「それなのに、あいつらが殺したんです。あいつらが。あたしの一桜を――」

 彼女の話では、例の部活仲間が櫻木一桜をいじめて自殺に追い込んだのだという。
 いじめを苦にしての自殺。いじめが原因で命を絶つ子供たちがいるのは、昔も今も変わらない――か。
 しかし、櫻木一桜が自殺した原因は本当にいじめなのだろうか。どうにも引っ掛かる。


「あっと、あんまりのんびりしてられないので自分、戻ります。まだやり残した仕事が残ってるんで。木島さんはごゆっくり」


 真田さんの声で現実に引き戻された。時計の針をみると十時を指している。


「いや、僕も今日の放火事件についての供述書をまとめないといけないので、これを飲んだらすぐに戻りますよ」


「今日も遅くなりそうですね」「いや、まったくですね」といつものやりとりを終えると真田さんはカップを垂直に傾け、一滴残らず啜ってからゴミ箱に捨てた。「それじゃ」と手を上げると真田さんは足早に事務所に戻っていった。
 休憩室の窓から夜の帳が落ちた街の明かりを眺める。今、彼女は拘置所でどうしているのだろうか。彼女の裁判を傍聴したかったが、叶わなかった。〝幹コーヒー〟を飲み干してからゴミ箱に捨て、仕事に戻った。長い夜はまだこれからだ。


初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (1)に続く


~第一章~ (7)の登場人物


木島祐一(きじまゆういち)
生活課から捜査第一課に転属した刑事。巡査部長。柔らかい物腰と物言いで、取り調べに定評がある。

真田(さなだ)
木島の部下。巡査長。年齢は木島よりも上。坊主頭で強面。ガサでは真っ先に切り込む陣頭指揮も行う。

阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、逮捕された少女。(7)では18歳。

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