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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (6)

(6)


 それにしても遅い。もう19時20分を回っている。
 中村さんと海老原さんに電話をしたけど、どちらも繋がらなかった。まさか、新年会の日にちを間違えたわけではないと思うけど。
 とりあえず腹が減ったので、お通しのきゅうりの一本漬けを戴いた。さすがに勝手に飲み始めるわけにはいかないよな。
 歯ごたえの良いきゅうりを味わっていると、聞きなれた声が耳に飛び込んだ。


「宮田?」


 顔を上げると、ベージュのロングコートを手にした女性が目の前に立っていた。
 黒のショートカットヘアにパフ袖のニットのトップス。白と黒のギンガムチェックのレギンス。それに黒のパンプス。一瞬、「誰?」 と言いそうになったがよく見ると見知った顔だった。見知った顔と言う表現は、本人に失礼か。


「皆川さん?」


 女性は皆川さんだった。初めて私服姿を見たせいもあったけど、今の彼女は眼鏡をしていなかった。それに薄くではあるが化粧もしている。正直、別人かと思うほどに見違えた。眼鏡と化粧でこうも印象が変わるんだな。


「なんで皆川さんがここに?」


 きゅうりを摘まんだまま尋ねると、皆川さんがそれをひったくって口に入れた。


「なんでって、誘われたからに決まってるじゃない。海老原さんに。ん、おいし」


「誘われたって……海老原さんに? 本当ですか?」


「ん」と頷きながら皆川さんは喉を鳴らした。


「皆川さんて女子刑務所から派遣されてるんですよね? 大丈夫なんですか? 部外者なのに」


 皆川さんは俺の皿に手を伸ばすともう一切れ頬張った。


「なに? あたしはY拘置所勤務の人間じゃないから飲み会に誘う必要はないって言いたいの?」


 俺は慌てて否定したが、皆川さんはいつもの冷たい眼差しを向けてくる。しかし、眼鏡をしていないせいかその威力は二割減に感じた。
 やっぱり美人だ。それに加えて花のイヤリングも、ネックレスも、彼女によく似合っている。


「遅れちゃったから急いできたつもりだけど、二人はまだきていないの?」


 店内を何気なく見渡してから皆川さんは言った。


「そうみたいなんスよ。もうすぐ30分になるのに……」


 俺もテーブルに肘をついて店内を見渡そうとしたら、ポケットのなかのスマホが震えていることに気が付いた。手に取って立ち上がると、皆川さんが怪訝な顔をした。


「どうしたの?」


「中村さんです。ちょっと出てきますね」


 居酒屋の店内では、周りがうるさくて声が聞き取りづらい。スマホを手にして出入口に向かった。外に出て空を見上げながら通話ボタンをタップした。空を覆っていた雲はすっかり晴れて、丸い月が澄んだ夜空を明るく照らしていた。


「宮田、ん、お前今どこにいる? 遅刻だぞ!」


 中村さんのげっぷをしながらの第一声がこれだった。もう勝手に始めてしまっているようだ。というか二人はいまどこにいるんだ?


「中村さんと海老原さんこそ、今どこにいるんスか?」


「どこってお前、花花に決まってるだろうが」


「え? 俺たちだって花華にいますよ?」


「は? いないだろ」


「いますって! 皆川さんもいるんスから」


 中村さんの話し声のうしろでは誰かカラオケを唄っているのか、声が聞き取りづらい。へたくそな歌声だ。しかし、聞いたことのある曲だった。確か卒業がテーマの。
 そんなことはどうでもいい。


「マジか、皆川もきてんのか」


 そう言うと中村さんの声が遠くなった。その瞬間、カラオケのへたくそな声が止んでメロディだけが聞こえてきた。


「海老原さんがどこの花花にいるんだって訊いてるぞ」


 中村さんが通話に戻るとまたへたくそな歌声が聞こえてきた。唄っているのは海老原さんだったのか。こんなへたくそに唄われたら、名曲も台無しだな……。


「どこって、焼き鳥居酒屋の花華ですけど? ここで19時に開始ですよね?」


「は? バッ! ちげぇーよお前、花花っていやぁ、スナック花花に決まってるだろうが!」


 はぁ? なんだそれ。というか何で一軒目からスナックなんだよ。普通、二軒目か三軒目じゃないのか。


「ええ……。だって海老原さんが居酒屋の花華で新年会やるって言ったんじゃないですか」


また中村さんの通話が途切れる。


「居酒屋とは言ってねえって海老原さん、言ってるぞ」


 んなアホな。俺が絶句していると中村さんのうしろで「かせ」という声が聞こえた。


「おう、宮田か。どうやら俺らは出会うことのない哀しい運命(さだめ)やったようやなぁ」


 すでに出来上がっているのか? このおやっさんは。一曲唄ってスッキリしたのか、上機嫌なご様子だ。


「そんなことよりどうするんスか」


 言いながら時計に目をやると二十五分を過ぎていた。電話の向こうで「んー」という声が十秒ほど続いた。


「こっちはもう始めてるし、今さら合流ってのもなぁ。ま、ええわ」


 何がいいんだ?


「こっちはこっちで勝手にやるけん。お前らは若者同士、仲良くやれや」


「は? え、ちょ、何言ってんすか!」


 皆川さんと二人きり……? いやいやいや!


「宮田ぁ」


 急に海老原さんの声がくぐもった。


「遠くの薔薇より、近くのタンポポやぞ」


 気持ちの悪い声で海老原さんが囁いた。まさか……。
 俺が気づいたのを察したのか、海老原さんは「健闘を祈る!」と確信犯丸出しの言葉を残して通話を切った。スマホを握る俺の手が震えていた。
あんのオヤジ……。まさか俺を嵌めたのか。
 いやいや、そんな風に考えたら皆川さんに失礼だ。
 むしろ、二人きりにさせて貰えて感謝するところか? いや、感謝も何も皆川さんからしてみれば、俺とふたりきりにされても迷惑なだけだろうしな……。
 店の入り口の前で行ったり来たりしながらぶつぶつ言っていると、店から出てきたカップルにじろじろと怪しい目で見られた。ほろ酔い気分で足取りも軽く、手を繋いで夜の街を歩いていく二人の背中を俺は物欲しそうな目で見送った。すると、そのカップルが俺と皆川さんにすり替わってダブって見えた気がした。
 我に返った俺は、頭を振って妄想をかき消した。
俺と皆川さんが恋人同士に? ないない。
それにしても、二人はこないとなると皆川さんと二人きりか。


「皆川さん、怒るだろうなあ」


 俺はスマホをズボンのポケットに突っ込んでから、重い足取りで騒がしい店内へと戻った。


初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (7)に続く


~第三章~ (6)の登場人物


宮田宗一郎(みやたそういちろう)
Y拘置所の新人刑務官。お調子者でイケメン。先輩刑務官の皆川が苦手。

皆川彩花(みながわあやか)
三十路手前の女性刑務官。宮田のことが気になっている(後輩として)

海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。下ネタ好き。

中村(なかむら)
Y拘置所の刑務官。体育会系。

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