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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (4)

(4)


「ごめんください」


 玄関から声がした。来客のようだが、一体誰だろうか。春子が玄関を見に行くと、ほどなくして「まあ。お久しぶりです」と挨拶を交わす声が聞こえてきた。


「あなた、お客さまですよ」


 客? 一体誰だろうかと思い玄関へ赴くと、スーツを着た背の高い男が深々とお辞儀をした。


「ああ、あなたでしたか。どうぞ、上がってください。大したおもてなしはできませんが」


「いえ、おかまいなく」と言って、切れ長な目を細めて男は爽やかにほほ笑んだ。


 男は線香を上げてからりんを鳴らすと、仏壇に手を合わせた。一分近くそうしていただろうか、顔を上げると正座をしたままこちらに向き直った。


「すみません、突然お邪魔してしまって」


「いいえ、大丈夫ですよ。カグラさん。どうせ私たちも暇を持て余していたものですから」


 カグラと呼ばれた男は、火事で死亡した心尊ちゃんのお母さんの弟さんだった。つまり、心尊ちゃんの叔父にあたる。


「お変わりはありませんか? と言っても、娘さんを亡くされてそれほど経っていませんから、もし今回の訪問で気を悪くしたのであれば謝ります」


 そう言うとカグラさんは深々と頭を下げた。


「いえいえそんな、滅相もない。お姉様と姪御さんを亡くされたカグラさんの方こそ、色々大変だったのではないですか? 亡くなられたのは、私の娘が亡くなった時期とそれほど変わりませんし」


「ええ、まあ」と言いながら顔を上げたカグラさんは首をさすった。


 お茶と芋羊羹が置かれると、カグラさんは春子に「ありがとうございます」と会釈をした。


「落ち着いてからあらためてご挨拶に伺いたいと常々考えておりました。姪の心尊が一桜ちゃんにお世話になっていたみたいで、あらためてお礼を言わせてください」


「そんなお礼だなんて。むしろ心尊ちゃんの方が一桜によくしてくれていたみたいですし」


 顔を上げたカグラさんが振り返ると、一桜が愛用していた青いボールペンが仏壇の上で寂しそうな光を湛えていた。


「なんというか、不幸というものは連鎖していくものなのですね」


 力のない笑みを浮かべながらカグラさんは口を開いた。確かに彼の言う通りだった。
 一桜の自殺を発端にして、多くの不幸が立て続きに起きた。しかも、その不幸の中心にいたのは初華ちゃんだった。その初華ちゃんは拘置所に収監されていて、次回の裁判で判決を言い渡されるのだという。毎日のように彼女のことがニュースで取り上げられていた。


「私どもより、カグラさんの方がおつらいのでしょうね」


 そう告げると、カグラさんは膝に置いたこぶしを固く握りしめた。


「そうですね。できるものならこの手で絞め殺してやりたいくらいですよ。姉夫婦と姪の命を奪った阿久津初華をね」


 カグラさんの殺意のこもった言葉に俺と春子は息を呑んだ。


「それは、まあ……」


 なんと声をかければいいのか、わからなかった。自殺をした一桜の恨みを晴らすために人を5人も殺害するなんて、常軌を逸していた。
 そんなことは一桜も絶対に望んではいなかったはずだ。それなのに、そんなことをした初華ちゃんに俺は、哀しみの情しか湧かなかった。


「死刑を求刑された瞬間をこの目で見られなかったのは残念です。仕事のタイミングが合えば、裁判所に出向くことが出来たのですが」


心底、悔しそうな顔で吐き捨てるようにカグラさんは言った。


「……こんな話を聞かされて嫌な気分になりましたか?」


 そんなことがあるはずがない。一度に姉も姪も亡くしたのだ。その怨みたるや相当なものだろう。しかも「求刑」されただけで「死刑」と決まったわけではない。俺としては、初華ちゃんに対しては複雑な気持ちしかなかった。一桜と心尊ちゃんの関係を知っているからなおさらだった。


「娘さんは、本当にいじめが原因で自殺をしたとお思いですか?」


 カグラさんの暗い声に弾かれるようにして顔を上げた。


「それは……なんともわかりません」


「以前にも申し上げましたが」と言ってカグラさんは姿勢を正した。


「心尊が一桜ちゃんに嫌がらせや、いじめをしていたということは断じてありません。他のお二人についても同様です」


 それはそうだと俺も信じたい。一桜は心尊ちゃんの家によく遊びに行っていたようだし、我が家にもよく心尊ちゃんを連れてきていた。まるで姉妹のように仲がいい2人を見て、心尊ちゃんが一桜をいじめていたなんて信じられないと思う方が当たり前なのかもしれない。ほかの2人というのは初華ちゃんに殺害された新体操部の2年生のことだろう。そのふたりも、練習をよく見てくれていたと一桜から聞いている。
 しかし、真実はわからない。もしかして本当は3人にいじめられていたのかも知れないし、カグラさんは嘘をついているのかもしれない。学校に話を訊いても一桜のいじめについては確認できなかったが、聖フィリア女学院は名門校だ。名前に傷がつくのを恐れて学校側がいじめを隠蔽したという可能性もある。
 いじめが原因で一桜は自殺をしたと初華ちゃんは話していたが、それが真実なのかもわからない。もう誰を信じればいいのかわからなかった。
 いじめの事実もない、遺書もない、家庭内での問題で思い当たるものはなにもない。
 謎の自殺を遂げた娘にただひたすら涙を流すしかなかった。


「こうは考えられませんか。阿久津初華が一桜ちゃんを新体操部に入部させたせいで、一桜ちゃんはああなってしまったのだと。いや、そもそも阿久津初華の存在自体が一桜ちゃんに死をもたらしたのではないかと」


 その言葉に胃が縮む思いがした。


「いや、まあ、ですがそれを今言っても……」


 それを言っても仕方がない気がした。「たられば」を言って後悔したところで、娘が生き返るわけでもない。しかし、ふとしたきっかけで頭の片隅に思い浮かべてしまうことはあった。

 一桜が新体操部に入しなければ。

 一桜が聖フィリア女学院を受験しなければ。

 一桜が初華ちゃんと出会っていなければ。

 この街に引っ越してこなければ――。


 ふと、心尊ちゃんが一桜に話していたことを思い出した。


 ――一桜、やめなよ。新体操部に入部するなんて。


 ――でも、いっちゃんに申し訳ないし。


 ――申し訳ないって、一桜自身はどうなの? 本当に新体操やりたいの?


 心尊ちゃんに詰め寄られた一桜は、上目遣いで困ったような表情を浮かべていた。


 ――新体操をやってるときのいっちゃんはカッコイイし、わたしもああなってみたいかなぁ、なんて。


 一桜の言葉に心尊ちゃんは険しい顔をした。


 ――新体操って、一桜が思ってるのと違って厳しい世界だよ? 絶対後悔するにきまってる。それに、一桜が本当にやりたいことは別にあるんじゃないの?


 心尊ちゃんの言葉に俯いた一桜は、自分の手を見つめていた。


 ――一桜の絵、とっても上手だと思う。わたしも教えて欲しいくらい。ねえ、一桜。やりたいことがあるのに興味がないことを始めてもきっと続かないよ。それにさ、もう3年生だよ? 今から始めたってしょうがないよ。だったらさ、残りの時間でやりたいことをとことんやったほうがいいんじゃないかな。勉強して、受験して、大学へ進学するのかどうするのか知らないけど、画家やイラストレーターになるっていうのも、わたし、いいと思うよ。


 心尊ちゃんの言葉は、俺が娘に対して思っていた内容とまったく同じだった。一桜は絵が上手だ。しかし、それが「その世界」でどれほど通用するのかは、わからない。わからないが、娘がその道を歩みたいと言うのなら、応援するつもりだった。運動が苦手な一桜が新体操部に入部するよりも、絵を描いているほうがよっぽど現実的だと思ったからだ。


 ――でも、私はいっちゃんの親友だから。それに一生懸命顧問の先生にお願いしてくれているみたいだし、私が入部を断ったら、いっちゃん、きっと悲しむよ。


 ――初華が一体なんだっていうのよ。一桜の気持ちの方が大事なんじゃないの?


 思わず語気が強くなった心尊ちゃんは、気まずそうに俺を見た。


 ――まあ、一桜がどうしてもって言うのなら新体操をやってみるのも「経験」としていいんじゃないかな。でも、心尊ちゃんが言っていることも間違いじゃないと思う。だから今すぐ入部を決めるんじゃなくて、ちゃんと考えてからでも遅くはないんじゃないかな。


 俺が当たり障りのないことを言うと、一桜は曖昧に「うん」と小さく頷いた。今思えば、断固として反対するべきだったと後悔していた。新体操部に入部しなければ、きっといまごろ一桜は――。


 はっとして顔を上げると、俺の心を見透かしたようにカグラさんが目を細めていた。


「それを今言っても仕方ないんじゃないですかね。娘が生き返るわけでもありませんし」


 今考えていたことを打ち消すようにカグラさんに言った。


「それは確かにおっしゃる通りです」と言ったカグラさんは、狐のような目をさらに細めてぬるくなった緑茶を一気に飲み干した。


「櫻木さん。あの女は死刑になると思いますか」


 空になった湯飲み茶椀を覗きながらカグラさんはぼそりと言った。「よければおかわりを」と手を伸ばした春子に「いただきます」と言ってカグラさんは湯飲み茶碗を渡した。茶碗を受け取った春子は、俺に視線を寄越しながら台所へ消えていった。


「日本の素晴らしい司法は、19歳の少女を殺してくれると思いますか?」


 カグラさんは「素晴らしい」を嘲るように強調した。


「それは、なんとも……でも、人を5人も殺していますし」


「当然死刑になりますよね?」


 眼を剥いて声を荒げるカグラさんに一瞬たじろいだ。


「殺人に死体遺棄、それに放火までしているのだからどう考えても死刑になるはずなんですよ。成人だったらね。でもね、あの女、殺されない可能性もあるわけですよ! 人を5人も殺害しているのに。女だからって。20歳にも満たない未成年だからってね。これって立派な差別だと思いませんか」


 眉間に深い皺を作り、こめかみに青筋を立てながらカグラさんは膝を叩いた。


「まあ、そこは裁判に委ねるしかないんじゃないでしょうか」


 初華ちゃんが死刑を求刑されたとニュースで知ったときはショックだった。しかし、彼女自身がやってしまったことだし、俺は彼女になにもしてやれない。死んだ一桜も悲しんでいるだろうし、初華ちゃんのご両親もさぞつらい思いをしているんじゃないだろうか。


「私ね、待てないんですよ。仮にもし、あの女が死刑になったとしてもその場で絞首刑になるわけじゃないんですよ。おかしいですよね。死刑なのに。これが江戸時代だったらすぐに首を刎ね飛ばされるのにね。ヘンじゃありませんか? 10年も20年もタダ飯を食わせて生かすなんて。おかしいですよ」


 だんだん早口になっていくカグラさんにうすら寒いものを感じて宥めようとした瞬間だった。


「待てないので、あの女を即刻死刑にします」


 玄関先で見せた爽やかな笑顔でカグラさんははっきりとそう言った。その言葉に凍り付いた俺は、口が開いたままなにも言えなかった。
 おかわりのお茶を持ってきた春子に「そろそろお暇しますので結構です」とにこやかに断って立ち上がったカグラさんは、玄関へと足を向けた。春子があとに続こうとしたが、「見送りは結構」と手で制した。


「通報しますか? 警察に」


 靴ベラを革靴に差し込みながらカグラさんは俺に言った。
「それは」と言葉を濁している俺にカグラさんは「ありがとうございます」と言って靴ベラを返した。


「他の被害者遺族の方々も私と同じ想いのようでした」


 カグラさんはガラスの引き戸を開けると背中越しにこっちを振り返った。
狐のような細い目が笑っているように見えた。


「いずれ櫻木さんにもお見せしますよ。あの女の本性をね」


初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (5)に続く


~第三章~ (4)の登場人物


櫻木世吾(さくらぎせいご)
一桜の父親。仕事の都合で家族を連れて、初華が暮らす街に越してきた。

櫻木春子(さくらぎはるこ)
一桜の母親。

カグラ
楠田心尊の叔父。阿久津初華に姉夫婦と姪を殺され、彼女を殺したいほど憎んでいる。

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