見出し画像

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (3)

(3)


 一桜が新体操に入部してから1か月が経った。入部して2週間がたったある日に豊嶋先生から注意を受けたわたしは、先生の指導のもと、みっちりと練習をさせられて、あれから一桜の練習を見るどころではなくなっていた。しかし、不思議なもので疲労困憊になるほど練習に明け暮れていると、そのあいだだけは一桜のことを忘れることができた。なんだかんだ言って、新体操が好きなんだ。わたしは。
 しかし、体の動きが止まると、無意識に一桜の姿を探していた。休憩中にスポーツドリンクを片手に視線を巡らせると、体育館の隅で一桜も休憩中なのか、心尊と何かを話していた。一桜が心尊たちと練習をしていたり、楽しそうに会話をしている姿を見るたびにわたしの心が軋んだ。
 そんなある日の休憩中、一桜がひとりになったのを見計らってわたしは声を掛けた。


「どう? 一桜。部活には慣れてきた?」


 体育座りをしていた一桜はわたしを見上げると、ぎこちない笑顔を返した。


「うん、楠田さんや、莉緒ちゃんや陽葵ちゃんもよくしてくれてるから」


「そう」と返すとそこで会話が終わってしまった。一桜は硬い表情で顔を前に向けている。


「そうだ」と言ってわたしがしゃがみ込むと、一桜はびくっとして顔を向けた。


「一桜の練習の成果、見せてもらおうかな。心尊たちが見てくれてたんでしょ?」


「うん、でも練習って言ってもまだ柔軟がメインだし、なにもできないよ?」


「いいよ。それで。一桜がどれくらい柔らかくなったのか見せて。最初の頃は一桜の背中、コンクリートみたいに硬かったから」


 そのときの様子を思い出してわたしが笑うと、一桜は「ぷぅ」っと頬を膨らませた。


「笑いごとじゃないよー。あれ、すごく痛かったんだからね」


「あはは、ごめんって」


 ぷんぷんと怒っている一桜をなだめて、開脚を見せてもらうことにした。


「さてさて、ガチガチの一桜ちゃんはどこまで脚が開くのかにゃー?」


「もーぅ、馬鹿にしてー」


 両手をついて、床にお尻をつけたまま、太腿を床にするように一桜は股を広げた。角度にして150度いくかいかないか。その程度の開き具合だった。 
 一桜は「どう?」と言わんばかりに腕まで組んで自信の笑みを浮かべていた。
 最初に比べてだいぶ柔らかくなっていた。でも、そんなの当たり前だ。一か月もやっていて何も変わらない方がおかしい。でも、……この程度なの?


「いやいや、もっと開くでしょ。しっかりやって」


 一桜は「え?」と困惑した反応を返してきた。


「え? じゃなくて……しっかりやってって言ってんの」


 すると、一桜はどぎまぎしながら両手をついて必死に広げようとしているが、一向に足は動かない。見ていてじれったくなったわたしは、一桜の正面に座った。


「……ほら」


 わたしが両手を伸ばすと、一桜は戸惑った様子で出された手を見つめるだけだった。


「ほら! 手を伸ばす!」


 そう言うと一桜は両手を伸ばしてきた。一桜の腕を掴んだわたしは自分の脚を伸ばすと一桜の太腿に足の裏をつけた。シューズは脱いでおいた。


「じゃ、いくよ?」


 呆気にとられた顔をする一桜を無視して、両腕を引き絞ると同時に全力で両足を突っ張った。


「――――!」


 声にならない声を上げて、一桜の顔が激痛に歪んだ。リズムをつけて腕を引っ張りながら突っ張った足に力を込めると一桜の顔はさらに苦悶の表情になった。数十秒ほどしてから力を緩めると一桜は大きく息をはいて、その顔は真っ赤になっていた。
 すぐさま一桜の肩が抜けるかと思うくらいの勢いで腕を引っ張った。一桜の首が坐っていない赤ちゃんみたいにがくんと揺れた。股間がみしみしと悲鳴を上げているのがわかったけど力は緩めない。激痛で一桜の顔が赤から紫になってきたところで体育館に響き渡るような声が一桜の背後から飛んできた。


「ちょっと、あんたなにやってんの!」


 トイレから戻ってきた心尊だった。ハンドタオルを床に叩きつけて駆け寄ってくると、うしろに倒れそうになった一桜の背中を支えた。あとから莉緒と日葵もやってきた。


「なにって、開脚のストレッチをしてただけだけど?」


 心尊は「大丈夫?」と一桜に声を掛けながらわたしを睨んできた。


「だからって、やり方ってモンがあるでしょうが。無理やりこんなことして、一桜にケガでもさせるつもり?」


「はあ? ケガって、大体、一か月もやってれば180度は開くようになってるはずだよ? それにキツイのは当たり前でしょ? これくらいすぐに出来るようにならないと、わたしみたいにはなれないよ。一桜だってそう思ってるよね?」


 一桜の顔を覗き込むと、薄目をあけて見つめ返すだけだった。


「は? え、あんた何言ってんの? どう考えたって無理でしょ。一桜は素人だし、3年生だよ?」


「そんなことないよー。一桜だって、わたしみたいになりたいって言ってたもんね? 新体操を好きになってくれたんだもんね?」


 わたしと一桜を遮るようにして莉緒と日葵が割って入ってきた。


「大丈夫ですか? 一桜先輩」


「ちょっとこれはヒドイんじゃないですか? 阿久津先輩」


 なんなの、こいつら。本当に鬱陶しい。心尊の腰巾着どもが。


「なにやってるの、あんたたち。休憩時間は終わりよ」


 豊嶋先生の声でわたしは一桜のそばを離れた。離れる間際に「今度また見てあげるからね」と言ったけれど、一桜は黙ったまま俯いていた。
「莉緒、陽葵、わたしも気を付けてはいるけど、一桜から目を離さないでいてあげて」と心尊が話しているのが耳に届いた。それはこっちのセリフだ。こんな連中に練習を見てもらっても、一桜はわたしのようには絶対になれない。わたしが面倒を見て「完璧」にしてあげなきゃ。短期間で「素人」の一桜に追い抜かれて驚愕する心尊の顔が目に浮かんだ。


 それからわたしは、自分の練習に打ち込みながらも時々一桜の練習を見ていた。
 豊嶋先生はわたしが一生懸命に練習をしているとわかったときは、一桜を見ることを黙認していた。やることをしっかりやってさえいれば文句は言わないということなのだろう。
 しかし、わたしが一桜の練習を見ようとすると、莉緒と日葵がすぐにとんできて邪魔をしてきた。「私たちが見ますから」とか「エースの阿久津先輩の手を煩わせるわけには」などと言って、わたしを一桜に近づけさせないようにしていた。せめて話だけもと思って休憩時間になって一桜に視線を向けると、今度は心尊が一桜のそばから離れなかった。
 他の部員はわたしと心尊の様子を見て気まずいと思っているのか、誰もわたしに声を掛けることはなくなっていた。休憩中にたまにアドバイスを求めてくる子はいたけれど、わたしが上の空だとわかると、話の途中でどこかへ行ってしまった。
 昼休みの時間になって食事を終えたわたしは一桜のクラスを訪れると、一桜はいつものようにスケッチブックにペンを走らせていた。


「よかった。一桜、今からちょっと体育館に行かない?」


 声を掛けると一桜は顔を上げた。窓際に座ってクラスメイトと話をしていた心尊がこっちを見ているのが視界の隅にはいった。


「今から? でも体育館で何をするの?」


「いいからいいから」


 一桜の手からペンとスケッチブックを引っ手繰ると机に置いた。
 ……邪魔だな。これ。 
 教室から出るときに心尊の声が聞こえた気がしたけど無視した。
 幸い体育館に生徒はおらず、わたしと一桜の上履きが床をグリップする音だけが体育館に響いていた。


「それで、いっちゃん。なにをするの?」


「今から練習しようか! 一桜」


 わたしは振り向きざまに笑顔で言った。


「え、練習……?」


「そう。だって、部活中は心尊たちが邪魔してくるしさ」


「でも、今お昼休みだよ?」


「だからだよ。部活中に見れないなら、お昼休みに見てあげようと思って。一桜もその方がいいでしょ?」


「え……でも」


「ほらほら遠慮しない! わたしは一桜の親友なんだから。でしょ?」


「うん……」


 一桜は遠慮がちにうなずいた。本当に一桜は内気な子だ。
 それから毎日のように昼休みは体育館で一桜と練習をした。その練習の甲斐あって、一桜はですぐに前方倒立回転ができるようになった。スマホで一桜が前方倒立回転をしている様子を動画撮影して見せてあげたら、一桜はすごく喜んでいた。喜んでいる一桜の顔を見てわたしも嬉しくなった。「カッコイイじゃん! 一桜~」と言って肩を抱き寄せると一桜は照れた微笑みを返した。


「一桜、わたしは厳しいかもしれないけどそれくらい真剣なの。一桜に新体操をやってもらうからには、新体操の本当の楽しさを知って欲しいから」


 わたしがそう言うと、一桜は大きな目をパチパチさせていた。


「心尊たちに練習を見てもらうのもいいけど、それじゃちっとも上達しないよ。三年生で残り短い期間だからこそ一桜には『濃い』体験をしてもらいたいの。わかってくれるよね?」


 一桜はわずかに目を伏せて床に視線を落とした。


「もし、つらい! ヤダ! って思ったら言って。わたしも夢中になって気がつかないことがあるから」


 わたしが笑顔でそう言うと、一桜はいつもの可愛い笑顔で「うん!」とうなずいてくれた。昼休み終了のチャイムが鳴って、わたしと一桜は教室に戻った。
よかった。いったんは「ゆずった」けどまた「戻って」きた。
きっともう大丈夫だろう。


初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (4)に続く


~第五章~ (3)の登場人物


阿久津初華(あくついちか)
聖フィリア女学院の生徒で新体操部のエース。中学校からの親友である櫻木一桜を新体操部に招き入れた。

櫻木一桜(さくらぎちはる)
背が低く、小さい頃から伸ばしてきた髪がチャームポイント。動物の絵を描くことが好き。友達付き合いが得意ではないが、初華とは中学校からの親友。

楠田心尊(くすだみこと)
初華を敵視している、一桜のクラスメイト。一桜とは仲が良く、お互いの家に遊びに行ったりもしている。

寺塚莉緒(てらづかりお)
聖フィリア女学院の二年生で、心尊が通っていた中学校の後輩。髪型はショートヘアで、快活。ボーイッシュ。

望月陽葵(もちづきひまり)
聖フィリア女学院の二年生で、心尊が通っていた中学校の後輩。莉緒とは対照的に、おっとりしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?