【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (4)
(4)
「おーい、夕飯だぞ。って、寝てんのか」
遠くから聞こえてくるくぐもった声に目をあけると、目尻が濡れていた。
眠りながら泣いていたのだろうか。
「ごめん、もうそんな時間なんだね」
「よお。昼飯のときに吐いちまったらしいなあ。体調はどうよ?」
海老原さんがそう言った瞬間にお腹の虫が鳴った。
「どうやらお腹はすいてるみたい」
またお腹の虫を海老原さんに聞かれて恥ずかしくなった。
「食欲があるなら大丈夫だな。すまんな、ホントは胃袋に優しいお粥とかのほうがいいんやろうけど、メニューは変えられんけん」
「ううん、大丈夫。食べれるよ」
食事を受け取るとテーブルに置いた。それから「ねえ、海老原さん」とわたしがつぶやくと「うん?」と返してきた。
「自分がよかれと思ってやってることも、相手にとっては迷惑だったりすることって、あるのかな。なんだコイツうっとおしいなみたいな……」
すると、「そうだなぁ」と海老原さんは唸った。
「相手の気持ちを察してやることや、相手の立場に立って考えることが大事なんじゃないかなぁ。一方的に自分の気持ちをぶつけるだけじゃ、相手も疲れるけん。相手も言いたくても言い出せないことがあるかも知れんからなぁ」
「そっか。まあ、そうだよね……」
「俺も相手のことを考えずに好き勝手してた時期があってなあ。今思えばそれがどれくらい相手にとって酷いことをしていたのかと、今でも悔やんでるわ」
意外だった。優しくて真面目そうな海老原さんにも荒れていた時期があったのだろうか。
「真面目そうな海老原さんにも不良時代があったんだ」とわたしが意外そうに言うと、海老原さんは目を丸くして「まあな」と笑った。
「不良時代に喧嘩したその相手とは仲直りしたの?」
「いや、それっきりもう会ってもいないわ。たぶん、俺のことは今でも許してないんじゃないかなあ」
海老原さんは制帽のつばを摘まむと目深に被った。相変わらず長い袖のせいで指先しか見えなかった。
「最初はちょこっと、つつく程度でなぁ。相手も別に何とも思っていないみたいだし、もうちょっと小突いてもいけるか、どうだ? って調子にのってたら最後はそいつが爆発しちまってなぁ。それからは口さえ利いてくれなくなったわ。で、俺は逃げちまった」
「そうなんだ。でも仲直りしないままって、つらくない?」
「つらいけど、しょうがないけん。悪いのは全部俺だし、それにあの時の俺はまともじゃなかったからなあ」
いったいどれくらいヤバい不良だったのだろうか。もしかして、暴走族の親玉とか、ひょっとしてヤクザだったりするのだろうか。
「でもさ、時間が解決してくれるって言うじゃん。もしかして相手は、今はもう許してくれてるかも知れないよ? 昔の事だから忘れちゃってるかもしれないし」
海老原さんは目尻に皺を寄せて苦笑いを返した。
「時間が解決してくれる、かぁ。でも忘れられちまってるのなら、それはそれでつらいかもなぁ」
そう言って海老原さんはしゃがむと、視察窓から顔を覗かせた。
「なあ、3番。やっぱりつらいか」
「つらい?」
「もうすぐ、判決日だけん」
海老原さんの言葉に心臓が「どくん」と鳴った。
そうだ。5日後にわたしに判決が下される。
たぶん、死刑になるのだろう。人を5人も殺してるんだ。常識的に考えれば、死刑にならない方がどうかしてる。
それに、わたしが死刑になることを望んでいない人間なんて一人もいない。お母さんでさえわたしが死ぬことを望んでいるのだから。お父さんだって、一桜のおじさんだって、わたしに愛想を尽かしてしまったに違いない。道重先生だって……。
別に死刑になることは怖くない。そもそも「死ぬ」ということがどういうことなのかわからない。でも、以前とは何かが違っていた。宮田くんに怒られてからずーっと「もやもや」が心に貼り付いたままになっていた。この「もやもや」の正体がなんなのか、わからない。わからないから、すっきりしない。今までこんなことはなかったのに、昨日からなんだかヘンだ。
「海老原さんとちがって、わたしの場合は『時間が解決してくれる』ことは、もうないんだろうね……」
時間……
わたしの時間は「死刑」が決まると止まる。
時間が止まるということは、きっと「死ぬ」ってことなんだ。
死ぬ……死ぬ……死ぬって、どんな気持ちなんだろう。
「死ぬ」って「痛い」んだろうか。
莉緒と、陽葵は、死ぬときどんな気持ちだったんだろう。
やっぱり痛かったんだろうか。
K神社でわたしにシャベルで頭を殴られたときは、やっぱり痛かったんだろうか。
一桜が死んだ一か月後に、わたしはK神社に参拝にいこうと莉緒と日葵を誘った。
大会のまえは、この神社で必勝祈願のお参りをしていると事前にふたりに話をしていたけど、それは嘘だった。わたし自身はそんなことをしたことは一度もない。神頼みなんて信じていないし、力のないものがすることだと思っていた。
この寂れた神社は、滅多に人が来ることがないと知っていたからここにふたりを呼び出したのが本当の理由だった。心尊も誘っていたが、何かを察したのか、あいつは来なかった。
お賽銭を投げ入れて、「インターハイに出場できますように」と手を合わせている莉緒を最初に殴った。倒れた莉緒に駆け寄った日葵が、わたしに向かって何かを叫んでいたが、五月蠅いと思ったわたしは、横向きにしていたシャベルを縦向きにして日葵の頭に思いきり振り下ろした。日葵の頭が柘榴みたいになった。
莉緒と日葵は、やっぱり凄く痛かったんだろうか。社殿の裏に掘っておいた穴に二人を埋めた。
その日の深夜に心尊の家に行った。神社に呼び出してもあいつは来なかった。だからわたしの方から出向いてやった。一番苦しい方法で殺してやろうと思った。だから心尊の家を燃やすことにした。灯油を霧吹きで吹いたら面白いほどに火が付いた。火を噴く大道芸人を思い出した。家をぐるっと一周して、まるでお花にお水を上げるように霧吹きで灯油をまいて火をつけた。
花壇があったから、お花に霧吹きをしたら一瞬で花が燃え落ちた。あっという間に心尊の家は燃え上がって、「火の華」が咲いた。空になった霧吹きは、燃えているところに投げ込んだ。心尊は窓ガラスに張り付いてすごい顔でわたしを睨みつけていた。やっぱり凄く痛かったんだろうか。それともすごく暑かったのかな?
心尊が何かを叫んでいるのが、くぐもった声で途切れ途切れに聞こえた。
『あ……で! る……はし……この……し!』
心尊が黒い煙に包まれると、真っ赤な炎しか見えなくなった。
わたしは「火の華」をじっと見つめていた。
あんたたちのせいだ。
あんたたちのせいで、一桜はああなった。
だから許しておけない。三人とも殺すしかなかった。
そう、殺すしか……。
一瞬、「もやもや」の中に何か「影」が浮かんだような気がした。
子供くらいの小さな影で、こっちに近づこうとしたけれど、踵を返して「もやもや」のなかに消えていってしまった。目を凝らしても、濃くなった「もやもや」の中を見ることはできなかった。
「どうした? やっぱり体調が悪いのか?」
海老原さんの声で顔をあげた。
「ううん、なんでもない。今晩はクラムチャウダーなんだね。いただきます」
「ゲロ吐いた後にゲロみたいなもんを食べるのはキツイかも知れんが、すまんな」
思わず噴き出しそうになった。
「ちょっと、海老原さん、食べてる最中にそういうこと言うのやめてくれる? 思いだしちゃうじゃない」
「そりゃ失敬」と言って敬礼をした海老原さんは、笑いながら廊下を歩いて行った。
なんだか、こういうやり取りが昔にもあったような気がする。
お父さん、怒ってるかなあ。やっぱり。面会でわたしがあんな態度を見せたから、きっと怒ってるよね。
食事をしているあいだ、「もやもや」の中の影がずっとこっちを覗き見ているような、そんな居心地の悪さを感じていた。口をもそもそと動かしながら、わたしは考え続けていた。
一桜は自殺した。あの三人のせいで。だからわたしは三人を殺した。許せなかったから、このまま生かしておいてはいけないと思った。殺さないと駄目だと思った。
殺さなければ……。
――見……カラ?
耳のすぐそばでくぐもった声が聞こえて、わたしは弾かれるように部屋を見まわした。
天井を見上げると、蛍光灯が弱弱しい光で仄かに明滅しながら部屋を照らしていた。
なんだかいつもより独居房の中が暗い気がした。
夕方から強くなった風が、がたがたと窓を揺さぶっていた。
古くなって建付けが悪くなった窓とサッシの間から入り込んだ隙間風が、警笛のような音をたてていた。
今の声は、なんだったのだろうか。隙間風を声と聞き間違えたのだろうか。
ふと、視線を横に向けると視察窓が開いたままになっていた。どうやら海老原さんが閉め忘れたようだった。
視察窓の向こうは真っ暗で、まるでそこに穴があいているみたいだった。
暗い、穴、穴……
不意に穴に吸い込まれるような錯覚をおぼえた。いや、違う。穴に吸い込まれたのはわたしじゃない。別の何かだった。別の何かが穴に吸い込まれて、消えて、やがて見えなくなった。吸い込まれたのが一体何なのか気になったわたしが「穴」を凝視していると、「ばたん」と大きな音がして穴が閉じられた。
ドアの窓に映った人影がわたしを一瞥すると、すっと消えた。暗くて誰なのかわからなかった。わたしは冷えた麦飯をもそもそと口に運んだ。
~第五章~ (4)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
心尊、莉緒、陽葵、そして心尊の両親を殺害して死刑を求刑された少女。
海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。四国訛りがある。
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