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昔好きだったもの

 時間を持てあます時というのが、人生には何度もある。そういう、退屈というのか、暇というのか、空白の時間。それはそれで大切なものだ。けど、そういうとき、何かもっと良い過ごし方はないかと、僕らは自分の身の回りを探してしまう。
 ふと、小さい頃を思い出した。最近はあまり観なくなっていたけど、子供のときは、アニメや漫画が大好きだった。今でも好きだと思う。でも、あのときのように、無邪気には楽しめなくなっていた。
 なにか観るときは、前評判や、それを観たときに得られるものを気にしてしまう。たとえばレビューで高評価の作品とか、誰かの紹介している映画一〇〇選とか。それはそれで悪くないんだけど、何だか無性に子供の頃が懐かしく思えてきた。あの頃は、自分の好きなものを、好きなだけ観て、好きなだけ読んで、母親から「いつまで観てるの!」と怒られたりしていたなぁと。その、怒られる、という行為も含めて、思い出に残っているんだろう。
 夕飯になって「ご飯よー!」と呼ばれるときのあの感じとか。そういうものを、もう一度味わうことはできないにせよ、子供のときのように、ただ無邪気に楽しむことはできるんじゃないか。そう思って、Netflixで久しぶりにアニメを観た。
 それも、くだらないアニメである。こう言ったら悪いけど、たいした教養もないし、作りも雑だし、甘ったるくて、都合の良い展開ばかりだ。登場人物にめっちゃ感情移入するってわけでもない。でも子供の頃は、どんなにつまらないものでも、実はけっこう最後まで観ていた。そういう感覚で、のんびりとアニメを観ながら、時間を過ごす。そのうち、あ、ここは面白いな、とか、あ~こんなのあるなぁ、とか。いろんな雑念が湧いてきて、その雑念と一緒にアニメを楽しんでいることに気づいた。
 僕らはなにも、全てを集中して過ごす必要があるわけじゃない。意義深くて、教養が深くて、観ること、読むことで何かタメになるような、すばらしい作品ばかりを摂取する必要があるわけじゃない。むしろくだらないものを、くだらないままに受け止めて、ただ笑ったり、ニヤついたり、ぼーっとしたりして、雑念と一緒に楽しんでもいい。それもまた、僕が昔好きだったものだったんだ、と気づいた。
 だってあの頃、僕らはレビューを見ていなかった。子供だったから、まともに雑誌を読んだりもしていなかったし、情報といえば、テレビや、学校の友達や、家族から教えてもらえるものだけだった。そこには世間的な評判はほとんどなかった。レンタルショップへ行ったときも、ただパッケージを見て、面白そう、と気になったものだけを観ていた。いま考えたら、すごくくだらない作品もいっぱいあった。でも、それがよかった。今でも思い出に残っているのは、恥ずかしくて、他人には勧められないような作品だ。そういう恥ずかしさに、当時は自覚がなかったのだ。
 僕はくだらないアニメを4話くらい観て、たぶん、それは何の役にも立っていない気がするけど、満足感があった。ただ楽しいだけの、雑念と一緒に過ごすあの時間を、子供のころの僕も送っていたんだろう。そして夜更かししたり、宿題をやらなかったりして、学校なんてはやく終わらないかな、と授業をだらだら受けて、早く家でアニメを観たり、漫画を読んだりすることだけを、楽しみにしていたんだろう。そういう時間を、また取り戻したい。そう思って、いつものスケジュールに、くだらないことをする時間を設けた。でもこれも、なんだか矛盾しているな。だって子供の頃の僕は、スケジュールなんてものを組んだり、明日のこと、明後日のこと、未来のことを憂いたり、考えたりはしていなかった。いつかそういうものとも、無縁になるだろうか。僕は淡い期待をしつつ、今日もまた、大人になってしまった今の一日を過ごしていく。

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hiroyuki
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