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すべてかひっくり返る感覚。

どん。

  

前段階のお話


 自分がこの場にいることが、とても、とても不思議だった。
その前に、なぜ今年のわたしが選ぶ「最重要試合」に札幌と横浜Fマリを
選んだのか、その根拠は去年夏の日本クラブユース選手権U-18の部グループリーグが同じ組で、よいベンチマークになるということ。

 ユースの結果は札幌に0-6、Fマリに1-2というなんか不完全燃焼。
こんな結果をトップもやらかしたら去年までのチーム・フロント・スタンドが積み重ねた努力はいったい何だったんだろう、と考えてしまう。
こういう不安を抱えながらふくやさんの招待事業で札幌戦のチケットに
応募するがうまくいかず、JFA招待事業で前週の九州ダービーを手に入れる。
結果は両方とも0‐0という良くもなく、悪くもないという
アジャストメントの途上なんだろうな、という感覚をもらった。

 それから自分も、蜂さんも数々の大波小波を乗り越えて、
自分は次がなかなか見つからないから、自分の特性について、
いつものようにわけのわからない怒りを垂れ流して、
自分で自分の始末をつけたいけれど怖くでできないという状態に。

 そういう状況になっているときほど、当たるものは当たるわけで。
ふくやさんの招待事業に応募していたFマリ戦の当選通知がメールで来た。
仕事の内定通知のほうがよかったのに、と半分いやになっている。

 そういう嫌な気持ちをそういえば、ミクスタのあるところって、
昔は船に乗る場所だったんだよね、小倉駅からストレスなく
船に乗ることができてよかった、という思い出話から不思議な感覚に
いつの間にか入り込んでいる。

 不思議な感覚のまま、南福岡駅まで歩いて、あともう少しで着くという
ところで手帳の原本を忘れたことに気が付き、戻ろうとするが
戻ったらろくなことにならない、ミライロがあるから何とかなるかなと
まっすぐ歩き、バス停から福岡空港行きの路線バスに乗る。
その車中でも、いつものように人が気にならなかった。
そして、チケットをふくや売店で取りに行き、スタンドに入って
ぼーっとして考える。

 そういえば、鳥栖スタジアムでの川崎鳥栖戦は17時開始で、
博多の森での福岡Fマリ戦は19時って、なんか変だよな。
ここから、不思議な感覚が強まってくる。
 19時開始ということはNHKBSでの全国中継がある、ということだよな。
NHKBSの全国中継といえば長いサイドの看板もLEDリボンになるのかな、
なんかバックスタンドの席を取るとこういう時は(以下略。
 さらに21年ぶりのなんだかんだという話を聞くと、脳味噌の奥底に
しまっていた記憶が不思議な感覚の力を借りてよみがえる。

わたしはどうして行かないことを選んだのだろう?

 21年前って、2001年だったよな、その時は自分以外の人間は
みんな敵、おんなじ空気を吸うのもいや、という感覚の下で
生きていた、福岡と福岡特有の感覚がさらに拍車をかけていて、
隙あれば離れたいと札幌の関東地区サポーターコミュニティに
お世話になっていた。

 その流れで2000年のJユース、札幌鹿島戦が好勝負だったよ、という
話を聞き、トップはどういう日程なんだと確かめてみると
ゴールデンウイーク直後の土曜日でいやな人間関係から逃げ出す
いい機会でまだホテル等は冬料金だ、そう思うと手配が早い。

 いったいどういう行事があったのかわからないが、ホテルが
その年の冬に泊まった中島公園のところにあるアートホテルが取れず、
すみれホテルというところしか取れなかった。
 そして肝心の札幌鹿島戦のチケット、一般前売り開始で
見やすい場所は年券と会員先行でなくなり、取れたのはメインスタンド
ホームベンチ裏最前列、いいのか悪いのか、よくわからない。

 土曜日、飛行機に乗る前にまだ有名になる前の博多通りもんを
搭乗ロビーに忘れてえらいことになったけれど、遅れず無事に着き、
試合を見て、ホテルの部屋に入り、テレビの電源を入れると、
博多の森での試合が中継されていた。
 それを他人事のように見ていると、もうサッポロビール園に行く時間、
遭難しながらビール園にたどり着き、ジンギスカンを食べ、
すすきのでなんだかんだして。質の違う暗闇に戸惑い遭難して、
ホテルについて、お風呂に入り、気を失うと外が明るく、
テレビがつけっぱなしという変な状況(以下略。

それからどんなことが起こったのか。

 福岡に帰ると、自分の特性である些細なことを考えすぎると
同じ場所で数人とかかわることがうまくいかなくて、
コミュニケーションが取れなくなることがよりひどくなった。
 勤務環境が窓のない、空気の通りがよくない場所だったことも
このひどさに拍車がかかっていたのかもしれない。
そうなってしまうと、わたしはわたし以外の人間を誤解するようになり、
わたし以外の人間もわたしを誤解してしまう、そうなるとよい関係性を作ることができない、それでも冷静な対応をしていたかもしれないが、
わたしの脳味噌は悲鳴を上げていた。

 そんな中で「自分はできる、もっとできる」ということを言いながら
元の状態に戻る努力をしてもうまくいかず、逆に恨みや憎しみをため込んで
どうしたらいいのかわからなくなっていた。

わかったこと。

 わたしは「誤解を生じやすい」人間関係や環境が子供のころからいやで、
「誤解が生じる」とその環境や人間関係で自分の力を尽くすことが
嫌になり、いろんな口実をつけて自分自身を守るためにストライキを
起こして、何もしなくなる。

 その行動がさらに誤解を招き、気が付くと修復が不可能に
なる状態にまで悪化する。
こういう現実に対して破壊的衝動に駆られてもひどいことにならないのは
自分の中にいる冷静な自分と出来事に対する振り返りを行う癖がついたことと、その振り返りを話すことができる人間関係を21年前より改良されている
状態に作り上げた、この良い人間関係に導いてもらった。

 この人間関係をこれから大切にして、その中にいる人を安心させたい、
ありがとうを言いたいと今のわたしは思う。

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