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「価値カチ山」の全社会議を終えて

今日は、以前書いた記事に関連して、わたしが勤める会社のお話を少し。


「あなたの価値はなんですか?」


会社でそう問われるようになって久しい。というか、そればかり問われます。問われれば問われるほど、「お前には価値がない」と言われているように感じるのは、きっとわたしの被害妄想(笑)。

先日行われた全社会議でも、長時間かけて「自分の価値を見つけるワークショップ」が開催されました。ワークショップを行うことについて、事前告知も資料配布もなかったので、目の前で出された課題に数分で考えて発表、という激烈ハードモード。すばやく理解して回答するスマッシュ&リターンが苦手なわたしは、ギブアップしてしまい上司に睨まれました……。

最初のワークは、「役に立つこと」「できること」「得意なこと」をピックアップして、それぞれの項目の中で重なるものがあればそれがあなたの価値だよ、というもの。なんでもありで書いていくと、意外といくらでも書き出せるんですよね。ちなみに、わたしの価値は「健康で丈夫」でした。サイコーですね。両親に大感謝です^^。でも、全社会議で言ったら猛烈に白けました。

「健康で丈夫」が不正解なら、わたしの「価値」ってなんなのか?

そもそも「価値」の定義が一人ひとり違いすぎるから、どれを言っても不正解にされてしまうのではなかろうか。

ある人にとって価値とは、「他人からお金を貰える特別な技術」であり、またある人にとっては、「自分だけの輝く個性」であり、またある人は、「他人の役に立つ特別な才能」だったりする。

おいおい。結局「価値」って、なんなんだ?会社が求める模範解答を、どうにか捻り出して自分の価値にしてないか?と、考え出したらますます何も答えられなくなりました^^;悪循環。

そしてわたしは、高くて深い「価値カチ山」に迷い込んだのです。誰にでも当たり前にあるはずの「価値」。自分で探すべきなのかもしれないけれど、自分だけで見つけられるなら、この世に他人がいる意味ってなんだ?という気もします。

わたしは誰かの価値に気づける人でありたいし、わたしの価値も誰かに気づいてほしい。甘っちょろい世界かもしれないけれど、お互いのよさを少しずつ分かり合いたいなあ、と思います。

わたしたちはそれぞれ違う存在で、違う価値を持ち寄って生きている。だから、誰かと関わるとき、人はより輝くはず。

「価値カチ山」に迷い込んだみなさま。その山は踏破してもしなくても、好きに選んでいい山です。どうか遭難しませんようお気をつけくださいませ。
わたしはもう少しだけ「価値カチ山」を観察して、おにぎりでも食べてから、ここを発とう思います。




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