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震災三部作を通じて考えたこと もつれたマントラ


【詩作について〜もつれたマントラ】

2022年から2024年にかけて、1年に1冊、3冊の詩集を出版した。2022年『ソラリスの襞』、2023年『キメラ/鮫鯨』、2024年『ピルグリム』である。それは、東日本大震災の被災者の弔いと神々の怒りを鎮めるために書かれた。2011年から遡ること1142年前、平安時代の貞観11年5月(869年7月)に、陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した貞観地震と三陸沖の大津波は、疫病の蔓延の中で起こり、多くの人の命を奪った。当時、それらは素戔嗚尊(牛頭天王)の怒りによってもたらされたと考えられた。神の怒りを鎮めるため66の国の数の鉾を立て厄払いをしたのが祇園祭のはじまりと言われている。同時期に、隕石の落下や富士山の噴火、海賊の来襲、干ばつや水害など幾多の大惨事に見舞われたようである。私の詩の中に、平安時代の話、京都のこと、素戔嗚尊あるいは、その化身が頻繁に現れるのは、東日本大震災を貞観地震に例えたからである。詩を書くことが神の怒りや行方不明者の魂を鎮めることにどれほど効果があるのかはわからないが、一人の表現者としてそこから逃げてはならないと真剣に考えてきた。

『ソラリスの襞』は得体の知れないものについて、『キメラ/鮫鯨』は巨大な力と怒りを、『ピルグリム』はそれを乗り越えようとする個人の生き方について表現した。3冊目が完成した瞬間、ある種の達成感を感じたが、次の瞬間には空虚感に苛まされた。これからしばらくは、このポッカリ空いた穴を埋めるために、これまで書いた詩についての詩、あるいは散文(詩論)を書くことにする。そのトートロジーとアナグラムにどんな可能性があるかわからないが、そうすべきであると誰かから言われているような気がする。詩はポエジーが前提としてあり、それは常に何らかの喪失と対であり、純粋な詩はトートロジーにならざるを得ない。私は当面の間、純粋な表現、つまりゼロ(死)に向かっていく。ピルグリム(巡礼)は終わっていないからだ。

感情や感覚は、内側から湧くだけではない。思いがけない外部からも突然訪れる。内と外から他者が同時に押し寄せると、人はそこから動けなくなる。二十代の頃、それはある小さな死を意味したが、私はその度に蘇った。そして「何かに生かされている」いつもそう感じていた。詩を書いていると突然、ある情報が飛びこんできて、表現の方向性を決定する場合がある。詩集をまとめているとその頻度が増える。テクノロジーはそれを加速する。インターネットの魔術性は疑いない。ネットは時間をシャッフルする。人は大抵無自覚にそれを受け入れる。私は詩作を通じ何度かある種の神秘体験をした。『ピルグリム』の中では、それを「円錐形のトンネル」と名付けた。パースペクティブが曲線になり、前方と後方がつながり、巨大な円盤のような形になる。私はその中心とその外側の両方に存在し、加えて円盤をとりかこむ外部に散開していく。宇宙に溶けていく。何者かが私を導いている。


最初にその詩人があらわれたのは 2020年だった。私は詩集を出してくれる出版社の当てもなく、個人的に出版を企画した伊藤公象の作品集を監修していただいた美術研究家のアドバイスに従って、足利市の美術館の学芸員に会いに出かけた。そしてその美術館で4年前にある現代詩人の展覧会を開いたことを知り、その詩人の足跡を訪ねて、街を歩き、あるカフェでその詩人のパフォーマンスの動画が記録されたDVDを手に入れた。処女詩集『ソラリスの襞』の詩を書く時、私は書斎でその動画を流し続けた。その時、同時に流していた映画がある。それは、ニューヨークの映像詩人が1960年代を撮影した実験的映画で、そこにはジョン・レノンや、アンディ・ウォーホールが写っていた。その詩人とは吉増剛造、その映像詩人はジョナス・メカス、のちにこの2人が友人であることを知って驚いた。こうして高校の教科書レベルでしか現代詩の歴史を知らなかった私にとって、吉増剛造は、現代詩そのものになり、彼が東日本大震災の被災者のために2019年から石巻に通って詩を書いていることを知った。そして、メカスがカメラで撮ったように言葉で日々の情景を表せばいいのだと思い込んだ。こうして私の詩作はスタートした。

ここまで書いてきて やはり何ものかに書かされている(憑依されている)という感覚を禁じ得ない。その感覚は早朝朝日の登る瞬間に、薄暮の中一人ワインに酔った時に、あるいは書斎にこもって大音量でデヴィッドボーイを聴いている時に唐突にやってくる。私はその場で詩を書き始める。それは数時間に及ぶこともある。書くために適切な場所というのはない。2019年吉増剛造が石巻市の鮎川という街にあるホテルの部屋で被災者の詩を書き続けたように。少し開いた窓から入ってくる霊気を頼りに言葉を導く。こうして気付けば3冊の詩集は出来上がっていた。3冊目の詩集『ピルグリム』が完成した後、3年間会おうと思っても会えなかった吉増氏と連続3回お会いして話をすることができた。そして私は3冊の詩集を彼に贈呈した。吉増氏は東日本大震災を正面から受け止めた。おそらく自分の人生の最終段階を東日本大震災の被災者の霊を弔うことに全て捧げることに決めたのだと思う。彼が自分で最後の詩集と言った真っ黒な表紙の詩集『Voix』は、難解というより読み方がわからなかった。しかし 彼のパフォーマンスを数回見て、それが除霊と鎮魂の儀式であり、一冊前の詩集『怪物君』と連作のマントラのようなものであると理解した。今回詩を書くために足跡を辿った西行法師が、歌を詠むことを真言(マントラ)を唱えることに喩えていたことを思い出す。

吉増氏の奥様は、ブラジリアンである。『ピルグリム』の最後の詩が、ブラジルに関する詩であり、今この文章を書きながら私はジョビンを聴いている。こうして私の円錐形のトンネルによって構成された巨大な円盤の外観がぼんやり見えてきている。これから先、大震災級の地震が日本を襲うこともあるだろう。近く戦争になるかも知れない。しかし、私たちはすでに弔われていたのだ。私たちはすでに何度も死んでいる。この国はそういう形をしているのだ。この国の詩はおそらく「もつれたマントラ」である。私にとって詩を書くことはそれを理解することである。


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