小説 熊野ポータラカ 【第8話】ブルース、マリーゴールド、マリファナ
バー「フーチー・クーチー・マン」には時々地元の友達が、飲みにきて、昔の話で盛り上がったりしたが、大概は山本とマコトが「ブルースがいかにイギリスの音楽に影響を与えたか」とか、「日本の大衆音楽はブルースもソウルもないからだめだ」とか、たわいもない音楽談義で盛り上がった。残りの時間のほとんどは、マコトがマリを賛美する話に終始した。マリの素晴らしさとは言っても、まだ二人は花屋のレジで立ち話をするだけの関係なのだから、大した話題はないのだが、マコトは微に入り細に入り、針小棒大に、マリのことを山本に熱く語るのだった。マリの一族がいかに危険な一族かは、たまに山本が話題にした。山本もブルースマンだから、あまり野暮なことは言わなかった。一度カウンターで二人の話を聞いていた地元の経営者が「お前がさっきから話しているマリって女、俺もやったことあるぜ。とんだビッチだよ」と言うのに腹を立てて、殴りかかったことがあった。山本が必死に止めて客を帰らせたから、大事には至らなかったが、マコトは自分にそんな怒りの衝動があると思わなかったから自分で自分の行動に驚いた。山本も驚いていた。
「お前、本当はやっべえやつだな」客が帰ったあと、山本は茶化すようにそう言った。
「悪い。そうらしい」そう言われてもマコトは悪い気はしなかった。
それからしばらくマコトは毎日「マリア・ヒメネス」でマリーゴールドを2本買い、毎晩「フーチー・クチー・マン」にでかけ、バーボンのソーダ割を飲み、古いブルースをききながら、四方山話をして過ごした。マリは、いつも店にいるわけはなかったが、それでもよかった。少しずつ会話もできるようになった。お店では、店員同士が大概スペイン語で話していて、マリもあまり、日本語は上手ではなかったが、日常会話には問題なかった。「マリア・ヒメネス」の客層は、普通の日本の花屋とは全く違った。スーツを着た商社マンのような身なりの客と昼間から酔って街をふらふらしているフーテンが半半くらいの割合で、女性客を見たことはあまりなかった。薔薇の花や大きな観葉植物はあったけれど、仏事に使うような菊の花や百合の花は相変わらず置いていなかった。マコトはマリがいる時は必ずマリーゴールドを買った。店長やマリの姉妹らしい女性にマコトの熱愛ぶりを何度か冷やかされたこともあったが気にしなかった。淡々と買い物をして店を出た。神倉の家はあっという間にマリーゴールドだらけになった。家にある花瓶では足りなくなり、「フーチー・クーチー・マン」から空のワインボトルをもらって生けた。冬になっても「マリア・ヒメネス」にマリーゴールドを売っていたのは不思議だが、奥に室内栽培できる部屋があって、冬でもマリーゴールドを栽培していたらしい。そして、そこにはなんと大麻も植えられていたというのが山本から聞いた噂だった。どうやらマリーゴールドと一緒に大麻が栽培されていたらしいのだ。栽培室の奥には、大麻を乾燥するための部屋と、小分けにするための部屋がある。大麻の栽培には光の調整が重要だから、お店の奥の窓は全て遮光カーテンで閉められたままになっている。一番奥は4トントラックが2台入れるくらいのガレージになっていて、時々、外に数台のトラックが止まっていた。
その日も、路上合わせて4台のトラックが止まっていた。作業服を着た外国人が忙しなく何かをトラックに運んでいた。「マリア・ヒメネス」の扉を開けるとマリがいた。会うのは久しぶりだった。アメリカの大学のロゴの入ったオリーブグリーンのフーデッドパーカーに、生成りのコーデュロイのレギンス、ローカットのバスケットボールシューズを履いていた。店には明らかにマリファナの匂いが漂っている。
「こんにちは。今日は寒いね」と僕は声をかけた。
「寒いね」マリは少し気分が悪そうに見えた。
「そのパーカー似合うね」と僕
「ありがとう。叔父さんのお土産なの」とマリは俯いたまま答えた。
「今日は店長テキーラ飲んでないの」と僕は冗談めかして言った。
「今日は朝からアメリカと電話している」とマリは苦笑いした。
「その髪の色とても似合うね」と僕はほめた。本当にそう思ったのだ。
「ありがとう。アッシュベージュにしてみた。あまり自信ない。似合うかな。」とマリはやっとマコトの方を向いた。
「めちゃくちゃ似合う」とマコトはマリの少し青みがかった目を覗き込んで力を込めて言った。マリはいつものような天使の微笑みを見せてくれた。