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№1_はじめまして。

皆様、はじめまして!小野博也と申します。
そして、ようこそ!
こちらのアカウントに訪問いただきありがとうございます。まずは私の自己紹介からはじめます。

大学時代は美学を専攻

私は、関西学院大学で美学というものを学びました。哲学的に「美とはなんぞや」ということを面白おかしく、そして無茶苦茶に楽しく学びながら、大学四年間を過ごしました。

キリスト教関係の大学であったため、校舎の直ぐ裏には、メソジスト派米国人宣教師の、大学と中・高等部で英語を教えていた先生たちの住宅が10軒建っていました。私は、その8号館に住んでいた先生宅に下宿させて頂いていたお陰で、遠い実家の京都からは通うこともなく、大学までは、ほんの一分で登校できました。

誠に楽しい大学四年間を過ごしたことが、懐かしく、生涯の思い出になっております。

江戸時代からアメリカと縁があった家系

ここで我が祖先のお話をいたします。

我が先祖は、江戸末期に幕府の命により、姫路藩からヨーロッパに留学、更にその中でも選抜されアメリカに留学し、アメリカの学問の府であったニューヨーク州のトロイと云う所で勉強されたと、記録にも残っております。

しかし、残念なことに、選抜された3人の武士の方々は何故か現地で亡くなられ、帰国されることもなく、現在も謎のままになっています。3人のお墓は、ニュージャージーに凛々しく建っており、安らかに眠っておられるのであります。如何にかご無念のことであったでしょう。

その様な血を受け継いだ子孫である、我が兄弟姉妹の長女と次女は、アメリカの大学に留学をしました。長女はサンフランシスコに、次女はワシントンDCに住んだのでありました。当時の2人のスポンサーであり、身元引受人の方々は相当にご立派な人物の方と伺っております。今は、既にアメリカ人として帰化し、50年以上も現地で生活をし、今は立派な子供や孫達に囲まれて、余生を楽しんでおります。

幼少の頃に過ごした夙川(しゅくがわ)の我が家

又、私自身が幼少の頃から住んでいた夙川には、高級な洋館建ての住宅が多くあります。戦争に負けたときから、神戸にベースキャンプを張ったアメリカ軍の将校達が、この素晴らしい洋館建ての多くの住宅を接収し、住んでいました。その将校達の子供達とはよく遊んだものでありました。

この様に、我が家系と云いますか、生活体系と云いますか、アメリカとは、切っても切れない縁があるのであるのです。

興味があったファッション業界へ

よって、この様な恵まれた環境の中で育った私は、学生時代の最終章である四年生の時の就職活動は、全く行わず、平然としていました。その時にアメリカから次女が偶然にも帰国していて、私の就職先のことで心配をしてくれました。私がファッション関係のアパレルの企業に就職したい旨を伝えると、直ぐ様にアメリカ留学中に親しかった友人の御主人の父上が経営されていた、当時一世を風靡していたIVYのスラックスとスーツを千葉県松戸の立派な工場で生産していた企業に、大卒としては初めての企画マンとして、就職が決まったのでありました。

初回は、自己紹介ということで、この辺りで筆を置きます。

次回は、学生の頃を振り返りますので、ご期待ください。

関西学院大学で学んでいた学生時代の写真。1966(昭和41)年、就職のために撮影。22歳。


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