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尽くし過ぎて失敗した

夫婦や恋人の話じゃありません。仕事の話、お客様との関係性がテーマです。

以前、定期的にお仕事をいただける、ある公益法人がありました。世界共通の問題に取り組む、まじめな団体。ご縁ができた私は嬉しくて、冊子やポスター、チラシなど紙媒体のコピーを一生懸命に書き込みました。料金も自分のメニューの中では安く設定し、仕事の社会的価値を満喫していたと言えるでしょうか。

お客様からの評価もそれなりに高く、何かと言えば相談していただける、身内のような関係性ができていたように思えます。呼ばれて出かけていく時は、本当に楽しかった。

そんなある日、「次のプロジェクトも依頼したいが、どうしてもコンペにせざるを得ない」という相談を受けました。ひとつのセクションで個別に進めていたものを、団体として大きなキャンペーンにしたい。そうした経緯から、依頼先決定までの公平性や透明性を担保する必要がある、ということでした。その流れ自体は当然と言えるので、特に不満はありません。むしろ、背景までお話しいただいて感謝の気持ち。ここでも「身内感」を感じることができました。

私といつものデザイナーさんは、1チームとしてコンペに参加。正直、アイデア出しには苦戦しました。オリエンシートに書かれた「10箇条のルール」的な縛り、公益法人だから仕方ないのですが、これが厳しかった。デザイナーさんとの打合せも盛り上がらず、「これを言うと、こう否定されるよね」というシミュレーションばかりが先に立ちました。それでも、すべての条項と照らし合わせつつ、またこれまでの暗黙のルールもあてはめつつ、何とか3〜4案は出したでしょうか。

ちょっと説明調だな、でも仕方ないよな、これだけのルールをケアしないといけないのだから・・・作り手として言い訳込みの不完全燃焼ではありましたが、何とかやり切ってプレゼンの場へ。いつものメンバーを前にしての正式なプレゼンは、違和感と照れがいっぱい。お客様側も、妙な高揚感に包まれているようでした。

そして待つこと数日、朗報が入りました。私たちのチームが選ばれたのです。表現は断トツというわけではなかったが、いつもの安定感がものを言ったようでした。それでもまあ、勝ちは勝ちです。複雑な気持ちより、また新しいキャンペーンを担当できる嬉しさが勝りました。

そしてコンペ後の初ミーティング。「Web領域で選んだ会社と合同で、お互いの案を披露し合って欲しい」と言われました。そう、私たちは「紙領域」の勝者。並行して「Web領域」のコンペも進んでいたのです。その体制は私たちも知らされてはいましたし、そちらのチームとの摺り合わせも必要だということは容易に想像できます。私たちは自分たちのへの評価を微塵も疑わず、ミーティングの場所であるWeb制作会社へと向かいました。もちろんお客様の主要メンバーも同席されます。

結果から言えば、私がお客様と会ったのは、その日が最後になりました。このキャンペーンだけでなく、すべての案件から手を引いたのです。

さて、ミーティングの始まりです。お客様を真ん中に、私たち紙チームとWebチームが交互に案を説明します。それぞれがプレゼンの再現をしたわけです。そして私たちにとっての「事件」は起きました。

「今回は、Webチームのコンセプトを採用します」
「紙チームは、そのコンセプトを定着できるよう、表現を新たに考えてください」

お客様から信じられない指示が出ました。よくよく聞いてみると、Webチームのコンセプトは素晴らしいが、表現への定着はこれまでの経験や暗黙知への理解などが足りないので難しい。だから慣れている私たち紙チームが行いなさい、と。さらにWebチームへのオリエンには、あの私たちを悩ませて意気消沈させる元となった「10箇条のルール」など無かったとのことでした。

片方のチームにはフリーハンドでアイデアを出させ、私たちはルールや禁止事項でがんじがらめ。そもそもスタートが違うのに、私たちが同席しているところでWebチームを激賞し、その後始末をやれという。

「公の場で、ここまで私たちに恥をかかせる必要があるのだろうか。私たちには何を言っても大丈夫とタカをくくってしまったのだな」。

悲しさや悔しさという感情よりも、話の進め方そのものに落胆し、私はずっと黙っていました。一方でデザイナーは不満を何度も何度も口に出し、私にも何か言って欲しいと顔を向けました。

私はテーブルや窓など、そこにいた人以外に視線を合わせつつ「受けるか降りるかは、まだ判断付かない」と言葉を絞り出すのが精一杯でした。すでに場の雰囲気は最悪です。帰りがけには、すでにデザイナーは気持ちを切り替えていたようですが、私は頭が真っ白のまま、ふらふらと駅の方に歩いていきました。

その日は一睡もせず、翌朝を迎えました。まず私はデザイナーさんに電話をし、この団体のすべての仕事から手を引くと伝えました。怒りの感情はまだくすぶっていましたが、それよりも「このまま不信感を持ちながら仕事を進めたとしても、今までのような気持ちを込めた案は出せない。それはお互いに不幸なことだろう」・・・そんな冷静な思いがありました。

最低限、事前の根回しがあれば、不本意な役回りでも引き受けたことでしょう。そこは信じて欲しかった。でもおそらく、後始末を打診した時点で断られたくないために、引っ込みの付かない場所に引き出して私たちの退路を断とうとした。その可能性に気づいたとき、思いの糸がすべて切れてしまったのです。

それからもう何年もたちました。私の後任のコピーライターが作った広告がしばらく掲示され、さらにその後は制作チーム自体が刷新されて、新しい表現になっています。当時の責任者も団体を出て、違う企業で働いていると聞きました。

「一生懸命に尽くしても、それは単なる自己満足」
「相手の意表を突いてこそプレゼン」
「ルールはルール、表現は表現。真面目なだけでは何も生み出せない」

大きな学びになった、苦い経験でした。

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