深夜労働・ロングワーク時代に過ごした日々と、収入、そして気づき
最近、「働きかたラボ」というnoteサークルを主催しつつ、仕事も私事もいい感じにできるといいよね的な発信をしている私ですが、昔は深夜労働当たり前&超ロングワーカーでした。特に20代後半から30代前半にかけてやってた、業務委託の制作ディレクター時代。今日はその頃の話を少々。
深夜労働当たり前時代
出社はだいたい昼間10時〜昼前とかだったかな。当時仕事をもらっていた会社のオフィスには私同様、業務委託制作マンの個別デスクを置いてくれていて、みんなそこへ出社して作業していたんです。いまみたいなリモートワーク、の発想はゼロでした。
そしてみんな朝は一様に遅かった、前日夜遅くまで作業することって珍しくなかったし。そもそも打ち合わせが夜の20時から、とかもよくあったこと。だから、晩ごはんは当たり前のようにオフィスから買い出しに行って、そのまま深夜まで作業。深夜0時とか、下手したら2時とか3時とか。
でもそこからさらに飲みに行くことも珍しくない。
家に帰るのは朝方、なんてぜんぜん珍しくない毎日でした。
月の報酬高いのも当たり前時代
当時の収入って、アベレージで手取り50〜80万とかだったかな。いい月だと手取りで100万超えてた時もあった。個人で食っていくには十分すぎるくらいの報酬がもらえていました。
だからかな、長時間労働は当たり前というか、これだけ稼ぐんだからこれくらい働いて当たり前、的な感覚があったように思います。
もひとつ、自分の中でロングワークを正当化していたのは、「ロングワークしてこそ、スキルが身につく」的発想。クライアントの課題を考え、営業とブレストし、ページの構成を企画し、キャッチコピーを考え、長文のボディコピーを書き上げる。
これを深夜までかかってもやりきることの積み重ねこそが、いいコピーライターに、いいクリエイターになれる、そう信じていました。
でも無理やりしていたわけでもなく、心底楽しくもあったんです。一言でいうなら「夢中」でやってた。コピー考えるのが楽しくて、自分の原稿でクライアントが、その先にいるカスタマーが喜んでくれたことを知るとたまらなく嬉しくなった。だから毎日、喜んで深夜労働してた。でもそれがふと、怖くなった瞬間があったんです。
「依存」していた自分
「私、この働き方を体力が落ちる50代になっても出来るのかな?」
「そもそも、50代でいまと同じお仕事がもらえるのかな?」
「この会社1社との契約でこれだけの報酬もらってるけど、この契約がなくなったら?何が自分に出来るのかな? 生活レベル下げられるのかな?」
「てか私、この仕事をホントに続けていきたいのかな?」
こんな思いが頭をよぎりだしたのは、30代半ば頃だったでしょうか。
20代の頃は仕事が楽しいあまりに、全然ほしいと思わなかった子ども。30代になって、いざ欲しいと思うとできなかった子ども。
どうするの?私。そもそもどう生きたいの?どんな50代になるの?どんなおばあちゃんになりたいの?いろんな思いが頭を巡った結果、ふと「依存」してる自分に気づかされました。
・1社の仕事に依存している私
・ロングワークすることに依存している私
・高収入に依存している私
自分の足で立っているつもりが、結構な度合いで依存していたなあと気づいた瞬間、「あぁ、依存しない生き方がしたいなあ」と思ったんです。
じゃあ動けるうちに動こう、若いまだ体力があるうちにほかの道へ進もう、生き方を見直そう。あの時、そう思って動き始めたことが、いまに繋がっています。
…ってカンタンにいいますけど、難しいですよね、「依存しない生き方」って笑。決意してからもう10年以上たつというのに、いまだに「依存しないこと」の難しさに四苦八苦しております。まだまだ当時、願ったような生き方には程遠いな、と。でも前に進むことを諦めたら、変化をとめたら、その瞬間から依存は始まるから、明日も動くとします。むしろ、変化を楽しみながら。
ではまた。
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