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部活動批判と膨大事務批判

最近は部活動批判が盛んである。僕も部活動はそれほど好きではないので、基本的には良いことであるように感じている。

ただ、部活動が教材研究の時間を奪い、教師本来の仕事に集中できない環境をつくっているという論調には反対である。同じく事務仕事が膨大で本来業務を圧迫しているという論調にも反対だ。

僕はそういう人に問いたいのだ。

では、事務仕事と部活動がなくなったら、あなたはどの程度の授業とどの程度の学級経営ができるのですか?と。ほんとうに学校事務と部活動がなくなることで浮いた時間を本来業務にあてるのですか?と。

屁理屈をこねないで、労働時間が長すぎる。休む権利を保障すべきだ。そういうふうに、単に労働条件の問題として主張すべきなのではないか。

ただし、事務負担が軽減され、部活動が強制でなくなり、労働時間が短縮されて本来業務にあてる時間を保障されたら、実は現在のような生半可な授業や生半可な学級経営では批判の対象にされてしまう……という教師にとって負の機能も及ぼすことをしっかりと認識しなければならないと思う。ただ楽になるなんてことはあり得ないのである。

本来業務の時間を保障せよと声高に主張する人たちは、このあたりのことを考えているのだろうか……。ちょっと疑問である。

実はいろんなことを抱えているからこそ、「まあ仕方ないな…」と許されていることって、世の中にはたくさんあるんじゃないだろうか。

例えば、事務仕事が軽減され、部活動がなくなったとしたら、授業参観での授業の失敗なんてのは許されなくならないか。授業づくりの時間がたっぷりあるはずなのに、この授業はなんだ!ということにならないのだろうか。そんなとき、授業は生き物だからこういうこともあるんです……と、これまでのように言えるだろうか。

例えば、事務仕事が軽減され、部活動がなくなったとしたら、教師よりも生活レベルの低い保護者から見たら、これだけ高額の報酬を税金から安定して支払われ、時間にまで余裕があるはずなのに、こんなトラブルも解決できないのか。給料分働けよ。これまで以上にそんな批判にさらされはしないか。僕が保護者ならそう感じるように思えてならない。

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