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時代の残党になるもならないも、私次第。

14歳の頃、windows95 というものが発売された。当時中学2年生だった。

さらに私の父はその少し前ぐらいから、MS-DOSやらパソコン通信、ワープロというものが好きで、そういった環境があってからか、私もパソコンにはとても興味があった。

1988年、当時7歳(小2)の頃にドラクエ3がファミコンで発売された頃にはもう、テレビゲームというものにはかなり慣れ親しんでいた。

いま私は、ノートパソコンに日々向かい合いながら、オンラインを駆使した講師ビジネスを運営している。

小さな頃からパソコンやインターネットが身の回りにあった私は、デジタルネイティブ世代として生き、そしてそれを生業としている。

そして今、また時代が変わろうとしている。


大きくなるにつれて、「パソコンが分からない」「ITって何?」みたいに言っている大人たちの発言の意味が分からないと思っていた。

こんなに簡単なもの、なんで分からないの??


それが今や私たちが「ブロックチェーンって何?」「仮想通貨って何?」「フィンテックって何だっけ?」みたいになり始めている。

初期のデジタルネイティブですらこの環境の変化についていけず、かつて私たちが「なんでパソコンできないの?」って思っていた大人たちと同じ状況になってきている。

ある人から聞いたところ、今の10代20代はスマホを片手に仮想通貨をまるでゲームのように取引し、「なんで仮想通貨のこと何も知らないの?」という不思議な表情でこちらを見つめ返すという。

IT革命が叫ばれた頃、大勢の時代の残党が生まれた。そして今、再び時代の残党たちが日本のあちこちで進化についていけず置いてけぼりを食っている。


人は、18歳までに作られた偏見の塊でその人にとっての常識が出来上がるとか、35歳までに起きた時代の変化がその人にとっての常識になるとか、なんだかそんな言葉を目にするようになった。

現在36歳の私だからこそ、そういった表現が目につくようになったのかもしれない。まるで当たり前の日常だが、ふと立ち止まると、世界はもの凄いスピードで進化していることに驚かされる。


英語にしてもコーチングにしても、"ネイティブ"と呼ばれる人間にはなかなかノンネイティブが勝てるものではない。

ネイティブコーチ、という表現にはあまりなじみがないかもしれないが、そもそも自然と無意識にコーチングをしている人のことを言う。

厳密には、相手の成果を引き出す力に元々長けている人を研究し、それを再現させた技術がコーチングである、ということ。後発組みがそもそもの天才に勝つのは容易ではない。


そう考えた時、IT革命に続き、仮想通貨革命という大きな波にギリギリ乗れる年齢だったのは幸いしたと思った。

同時に、私たちはいつまでも時代の波に乗り続けないと生き残れないのか、それとも普遍的な別の生き残り方があるのか、疑問が生まれた。

たとえば、読み書きの技術が普及する前や、紙に印刷する技術が生まれる前、その膨大で重要な記録は、一部の人間の脳内に記憶されることで知恵や知識を伝承してきたという。

それがいつしか、誰もが読み書きを行い、紙が普及し、印刷技術も一般に広がり、今ではインターネット上にそれらは蓄積されている。

果たしてかつての村長や長老のような、脳内に記録する役割を持つ人たちは必要だろうか?

それと同じようなインパクトが、時代に取り残されたこれからの人たちには襲い掛かってくるような気がしてならない。

つまり、仮想通貨、フィンテック、シェアリングエコノミー、というようなテクノロジーにまったくついていけない人は、今後どうなってしまうのだろう?と考えてしまう。


これは金融的な変化だけのことを言っているのではなく、生き方や働き方に直結する内容だと思っている。

フリーターという言葉が誕生し、派遣社員という働き方は選択肢の常識になり、在宅ワーク、リモートワーク、フリーランス、個人起業家、アフィリエーター、ブロガー、ユーチューバー、実業家、投資家、ビジネスオーナー、ネットアイドル…という、多様な働き方が次々に生まれている。


これまでは、働き方こそ多様になれど、日本円という法定通貨によってつながっていたことに統一感があった。

それが仮想通貨がスタンダードになることで、もはや通貨さえも多様になり、すべてがバラバラになって一切のつながりのない経済が誕生しようとしている。

そこに、唯一の軸を提唱したのが『お金2.0』に書かれている “価値” という基準なんだと思う。

働き方もお金もバラバラに分散したこれからの世の中を、唯一つなげる役割を持つものが “価値” という正体。

思考を巡らせれば巡らせるほど、いま世界が向かっている方向は “それ” なんだと思わせるし、ということは、時代の流れにうまく乗れても乗れなくても、”それ” さえ外さなければ大丈夫、ということなのかもしれないと合点がいった。

そして、その "価値" というものは、信用や信頼という、目に見えないもので構築され、少しずつ、SNSのフォロワーやイイね!という指標で可視化され始め、VALUやタイムバンクというような仕組みによって経済的な価値を持つようになっている。

「これがこれからの時代なのか」と、ワクワクするような、不安でドキドキするようなめまいに襲われる。


時代の残党になるもならないも、私次第。

このタイトルが頭に浮かんだとき、時代に必死についていくもいかないも自分次第。時代の流れに乗ることからドロップアウトした時点で人生は終わり。そう考えていた。

だが、ここまで記事を書きながら頭の中はまとまった。


時代の残党になるもならないも、私次第。

これは、時代の流れに乗る、乗らないの話ではない。

本質的なもの、ここでは信用や信頼という “価値” を作り続けるか否か、というシンプルな答えこそがこのタイトルの回答となる。

だからこそ、自分にしか生み出せない “価値” が何なのかを追及する必要があるし、それを可視化させて、独自の経済圏としなければならない。

そう思ったら、ふと心がラクになった。


これまで私はスモールビジネスという領域で自分の事業を展開してきて、特に資格や技術をビジネス的な価値に昇華させ、売上へとつなげることを支援してきた。

小さなプチ起業とはいえど、それを生活費に困らなくなるぐらいまでのビジネスに育てることはかんたんなことではないし、スタッフを雇って事業にしていける人は本当に限られたごく一部の人間だけなのが現実。

そんな低い確率の世界へ導くこの仕事は、果たして本当に世の中に必要なのかと自分にギモンをなげかけることは多々あった。

ギモンが頭をよぎるたび、この仕事をしていることが苦しくなった。

だけど、刻一刻と時代が変化する中で、自らの価値に気づき、その価値をさらに高める努力ができない人間は、これから確実に淘汰される。

そう思ったとき、変化しようと決意した人間の背中を押すことは、決して悪いことではないと思えるようになった。


みんな、意識的にせよ無意識的にせよ、これからは自分独自の経済圏を作っていかないと生きていけなくなることを肌で実感している。

だからこそ、私も私の価値を見つめ直し、さらに磨き、それを必要としている人に届け、価値の循環を起こしていく必要がある。

単純にそういうことじゃないかと思えたとき、私の心は不思議とラクになったのだ。

お金を稼ぐためでも儲けるためでもなく、自分を生かし、自分の価値を磨き、独自の経済圏を作り上げ、世の中を循環する生態系(エコシステム)の一員になることをする。

そういうシンプルなものごとだったのだと、やっと、やっとのこと、腑に落とすことができた。

さあ、価値を磨き、価値を届ける旅に、再び出発だ──。


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