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文化というDNAが小さな会社にとって必要な理由

運営しているコミュニティマガジンの中で、下記のような投稿をしました。少し長いですが、これからの時代に対して小規模事業主であっても必要なことだと思い記してみました。

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『文化経営総研』は何のためにあるのか的な話にもつながるのだけど、少なくとも個人としては、この文脈での「文化」を考えることは、時代の波を1.5歩分だけ先を見越した、なかなか “筋のいいテーマ” だと思っています。

細かなことはこのSlack 全体やnote での発信に記述されつつあると思うのだけれど、

・自主自律組織につながる
・モノの売り方の変化
・ビジネスの存在意義

などなど、ぜったいに関係してくると信じていて、そういった空気感はすでに感度の高い領域の人たちにとっては当たり前中の当たり前になってる。

…という宣言をしてみました。

1.5歩の定義:『世間のトレンドになりそうでいて、自社にも数年以内に波が押し寄せるにもかかわからず、経営計画に入っていないようなもの。感度が高い人は外のトレンドに触れながら、自社の旧態依然とした文脈に絶望感を抱いている状態』(引用: VISION DRIVEN INNOVATION)

企業であれば「ヒト・モノ・カネ」的なリソースを割くイメージかもですが、まだまだ個人領域でのビジネスの場合には、日々追われる売上活動の中で、1~5% でいいからマインドシェアをこの分野、つまり文化経営に充てることで未来は大きく変わると思っています。

時間はかかるし、短期間で成果が出るものでもないけれど、こういった取り組みに投資していかないと長期的にやせ細ってしまう。

この手のテーマは本来、社員数が20-100人前後の創業者や社長が考えるべきものだと思いますが、これからはミレニアル世代が働き手の中心になるため、企業活動の意味に共感しつつ、自主自律的に動くため「遠心力」が働いてしまうため、組織がバラバラになる可能性があると思うのです。

そこで、それをつなぎとめるDNAこそが「文化経営」という概念になる。そう思うと、文化経営総研は個人事業主にとっても大切なのではないでしょうか。

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そこでここまでを踏まえ、現在の自分なりのミッションらしきものを記録してここに残したいと思います。

商材視点からのDNA

想いを持って活動しているにもかかわらず、「表現」が不器用だからこそ伝わっていない存在というものはたくさんあると思います。

モノかもしれないし、人、組織かもしれない。いずれにしてもその価値が届かなければ無いも同然なのが今の世の中です。

一方で見方を変えれば、注目が集まらなかったからこそ生き延びてきたような存在物があり、それがのちに価値として再定義され認知が広がるケースもあります。

知られてしまったことが良いことなのか不幸なことだったのかは場合により議論を呼ぶかもしれませんが、この地球上に存在する限り「認知され、解釈され、社会に溶け込む」ことはエコシステムとして大切なんじゃないかと考えています。

少なくともそれが、人の手によって生み出されたモノや組織であるのであれば尚更に。

私たちは、世の中の「面白い」を発掘し、再定義し、コミュニケーションしていくことに価値を見出します。

それがやがて、誰かにとっての『居場所』になることを願って。

採用視点からのDNA

抽象化が得意な私にとって、具体的なことを指示され、具体的に動くことが大切な学生時代のアルバイトというのは苦痛そのものでした。それは新入社員として働いていた頃も同じでした。

自分の資質が、なにかしらの理由により環境や時代にそぐわなかった場合、人はそこに対して居心地の悪さを感じ、ゆえに自身を失い、『居場所』を求めるようになるか、あきらめるという選択をするようになります。

そんな不器用な人たちが、小さく切り出した自分のスキルを小さな拠り所として、わらしべ長者のようにサクセスできる支援を、文化としての組織、ソリューションで解決していきたいと考えています。

ツールや機能、部品としか扱われてこなかった人たちが、ヒトに戻り、人間らしく在れる働き方の提供をスタンダードにするために。

AIやロボットが普及する時代において、人間だからこそできる意義や意思を用いたフレームワークを創造できる社会を目指して。

あるインフルエンサーは、ただの拡散要因としてではなく、自ら企画から携わり、自分の世界観、価値観、文化(=DNA)を伝えていける「ヒト」に戻りたいようにも感じました。

これらが解決された、自主自律的に動く、有機的で、生命を感じる社会の実現を目指します。

ヒトがメディアになり、思想を伝番する

世界観とは、とても曖昧です。

ゆるやかに描かれたビジョンの中に自分の価値観との共通項を見て、人はそこにコミュニティを形成します。

しかし本来的にヒトはそれぞれ個としての存在であり、言葉によって明確にそれぞれの価値観を語ることができるものです。

20世紀のビジネスが「トップの示したビジョンを実行する働き手たち」で埋め尽くされていたのに対し、同じ世界観を共有するコミュニティの中で、同じ方向性を示すミッションの中において、それぞれのビジョンを叶える。

そんな世界って素敵だなと思うのです。

ヒトはこれまで、ツールとして、機能として、部品としてのメディア(媒体)でしたが、これからは自分の持つ世界観を、自分のオリジナルで表現する媒体として自分を捉えることが必要になると思うのです。

その結果として、新たな組み合わせ、新たなエラー、新たな異常値を叩き出しながら、新たな存在として進化した、アップデートされた生き方を手にすることができるような。

そんな未来を描いているのです。



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