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【エッセイ】『知らぬが仏』←これはガチ


 こんにちは。中山翼飛です。

 エッセイと呼ぶのはおこがましいほどどうでもいい話なんですが、お付き合いいただけますと嬉しいです。

 『知らぬが仏』という言葉がありますが、皆さんはこれについてどう思いますでしょうか。

 「○○ちゃんがあんたのことムカつくって言ってたよ!」とかいう話を、てめえ以外誰も幸せにならないというのにわざわざ教えてくれる人っていますよね。

 私は、「○○が中山のこと、こういう風に言ってたよ~!」というような話を他者から聞いて、「そんな話でも知らないよりマシだ」と思っていました。

 ここで大事なのはその内容ではなく、『他者から聞いた』という部分だったんです。

 人間の感性なんて人それぞれです。発言者の感性と私の感性はもちろん違いますし、発言者と伝達者の感性も違います。

 つまり、ハナから感性が違う人の考えを、その人とも私とも感性が違う人を介して私が知ることになる訳です。

 どうせ真意が伝わっていない話なんだから、俺に伝わるまでにどれだけ歪められているかを確かめてえなぁ。

 こんなことを考えて、面白半分で聞いていたんですね。

 ところが先日、この『知らぬが仏否定論』が崩される出来事が起きました。

 友人達とファミレスに行き、テーブル席に案内されました。傘付き電球の真下にある席です。

 着席してしばらく喋ってたんですが、ふと上を見ると、そこはこのような光景でした。


タイトル画像と同一のものです。

 パッと見ではわかりにくいんですが、拡大してみるとうっすらおわかりになると思います。

 電球の傘に、びっしりとクモの巣が張られているではありませんか!

 飲食店、しかもよく行くファミレス、しかもガッツリ食事をした席の真上にクモの巣。

 毒グモ以外のクモは益虫であるとわかってはいますが、やはり不快害虫に分類されているだけあっていい気はしません。

 うわ、これは『知らぬが仏』だわ。

 人間の解釈が介在しない『単なる嫌な事実』に自分で気づいてしまったことで、私はそのように思いました。

 こんな感じのこと、皆さんも思い当たるのではないでしょうか。

 築年数も新しいしまだ大丈夫だと思っていたら同じ階の廊下にGの死体が転がっていた、とか。

 部活かなんかで表彰されてて国体県代表にも選ばれてる人が好きな女の子の元カレだった、とか。

 久しぶりに実家に帰ったら親が明らかに衰えていた、とか。

 感性がどうだの他人が言ってるだけだのといった慰めが通用しないことにぶち当たってしまったとき、我々はきっと思うことでしょう。


 ああ、知らなきゃ良かったな。


 これが『知らぬが仏』。知らない方がマシなこともあるという格言。

 情報化がどんどん進み、スマホさえあれば大抵のことを知ることができるようになったこの時代。

 それでも、知らない方がマシなことがそこら中に転がっていることを忘れてはいけませんね。

 最後まで読んでくださりありがとうございました。また何かの作品を通じてお会いしましょう。


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