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【小説】キヨメの慈雨 第十四話(あらすじのリンク付。これまでの話に飛べます)

↑あらすじの記事に第一~三話のリンクがあります。ジャンププラス原作大賞応募作品(四話以降は審査対象外)ですので規約違反になってしまうのではないかとビビっており、マガジンにまとめていません。続きが気になりましたら、お手数ですがスキとフォローをしていただけますと追いかけやすくなると思います。

↑前回の話です。




 恐ろしい豪雨から三日が経って、ようやく街から泥水が引いた。あの暴力的な大雨がどれだけの人達を殺したのか、若元小春わかもとこはるにはわからなかった。いくつの水死体が置き去りにされているか目の当たりにするのが怖くて、避難所となった小学校がある高台から下りられなかった。

 小春が感じていたのは、かえって吐き気がするほどの空腹だ。元々気候が良いこととこれまで地震でも台風でも大した被害を受けなかったことが相まって災害への意識が低かった天領市では、避難所に備蓄されている食料は少なく、小春が身を寄せている小学校でも全校生徒と職員を合わせた人数分の食料しかなかった。そこに周辺住民が押し寄せたため、最初の一日で備蓄は尽きた。食料を優先的にもらえるのは小学生以下の子どもと妊婦だった。四か月前まで小学生だった小春は、小さな良心に従い彼らを優先させて、水だけを口にして三日間の空腹を紛らわせていた。

「水が引いたから、炊き出しが始まるらしい」

 鮨詰め状態の夜の避難所の中で、誰かが言った。その噂は瞬く間に広がり、誰もが色めき立っているのを小春は肌で感じた。不確定なその噂は、やがて高台を下りてしばらく歩いた先にあるスーパーの駐車場で明日の朝からやるらしい、というところまで尾ひれが付いた。誰が誰から伝え聞いたのかもわからない幻のような情報に、誰もがすがっていた。

 豪雨当日、夫婦でベンチャー企業の共同代表を務める小春の両親は県外に出張しており、そのまま水が引くまで天領市外で足止めされていた。そのため、小春は空腹と不安と疲労だけでなく、孤独にも耐えなければならなかった。それは、たった十二歳の少女にはあまりにも過酷すぎた。

 一刻も早く水以外のものを口にしたいという切実な願望があったため、炊き出しが来ると思ったら胸が高鳴って寝られなかった。蒸し暑い体育館の隅で、夜が明けるのをひたすら待った。外がわずかに明るくなったのを感じると、誰も起こさないように静かに体育館を出発した。時計を見ると、まだ午前5時より前だった。

 高台の頂上からとぐろを巻くように続く道路を駆け下りた。こんな時間から炊き出しが始まる訳が無いと頭ではわかっていたが、弾む体を止めることはできなかった。だが、高台の麓の辺りまでやって来て、足が止まった。平地までは5メートルほどの高さがあるのに、泥水が坂を登ろうとした跡がくっきりとこびりついているのに気づいたからだ。そこから見渡せる家々は、皆肩まで泥水に浸かった痕跡があった。天領市は元来海抜が低く平地が続く地形であることに加えて、一級河川の天領川が氾濫したのだからおかしなことではないが、小春は初めて、自分は避難したのではなく被災したのだと実感した。涙が出そうになったが、誰も慰めてくれないので我慢した。

 意を決して浸水区域に足を踏み入れていくと、あちこちから、いや空気全体から肥料よりもさらに濃密なにおいがした。何が腐ったにおいなのかは、考えたくなかった。

 目指すスーパーの駐車場に近づくにつれ、当然市街地に入っていく。そこで、小春は異変に気づいた。

 天領市は確かに災害に襲われた。だがそれは豪雨であり、地震や台風ではない。建物が浸水することはあっても、倒壊することは無い。それなのに、無事でいる建物など皆無だった。屋根が、壁が、扉が。潰れ、削れ、破れていた。

「な、なに、何これ······」

 小春がつぶやいても、荒廃した早朝の街では誰も応えてくれない。代わりに聞こえてきたのは、目的地の方角からの喧騒だった。

(も、もしかしてもう炊き出し始まってるのかな)

 無理にでも呑気な方に思考をもっていき、元より限界を迎えていたくせに平静を保とうとした。腹が鳴り、それに後押しされて小春は再び歩きだした。

 そして、その光景が目に飛び込んできた。

 何人も、いや何十人もが入り乱れ、争っていた。老若男女関係なく、拳を握り、棒を振り回し、弓を引き絞っていた。それは、少女が生まれて初めて見る戦闘だった。

(ど、どう、どうして?こ、この人達は何なの?どうして戦ってるの?)

 その疑問はすぐに解けた。十人近くが一か所に一斉に飛びかかり、直後、爆発が起きてその衝撃波で全員が吹き飛んだ。爆発の中心にいたのは、茶髪を何本も編み込んだ線の細い女が立っていた。

「お前らのことはいったん後回しだ。今はこいつらを片付ける!」

 編み茶髪の女が声を張り上げると、少し離れた所で白髪の若い男が、

「そうした方がいいだろうね。各自、自分の身は自分で守らなければいけない」

 そう言って襲い来る人々に次々と掌底突きを喰らわせ、猛烈な勢いで吹き飛ばした。その内の一人が男の後方に飛ばされ、そこで戦っていた高校生ぐらいの黒髪の少女に激突しそうになる。

「身を守るフリしてこっちに攻撃してませんか!?」

 少女は言いながら、飛んでくる人物をボレーシュートのように蹴り飛ばした。少女の周りにはいくつもの水塊が浮かんでおり、少女の体術に合わせて動くそれは体一つで行うよりも何倍も多くの敵を打ちのめしていく。

 あまりにも異様な光景を前にして、小春はどうにか二つのことを理解した。

(お、大勢の人が互いに戦ってるんじゃなくて、あ、あの三人と他の人達が戦ってるんだ。でも、でも爆発とか、ものすごい勢いでぶっ飛ばす突きとか、浮かんで動く水とか、何なのあれ。ちょ、超能力······?何か超能力みたいなものをあの三人は使ってる。もし、もしかしたら、棒とか弓とかを持ってる人達もそういうものなのかもしれない) 

「······逃げ、て」

「············?」

 瓦礫の陰に隠れて戦いを見ていた小春の耳に、小さな声が届いた。周囲を見回すと、三メートルほど離れた所にある大きな瓦礫の下から、妙齢の女性がわずかに顔を出していた。その額からは血が流れており、両手足は見えないため動ける状態なのか判断できなかった。それでも、その眼だけははっきりと小春の方を見据えていた。

「あ、あの、だ、大丈夫ですか······?」

 小春は瓦礫の陰から顔だけ出して尋ねるが、女性は今度はより強い口調で、

「逃げて!早く!」

 小春は肩をびくつかせるが、瓦礫から離れて女性の元へ向かった。

「何してるの、来ちゃ駄目」

「で、でも、あなた、瓦礫に挟まれて、たす、助けないと······」

「この瓦礫は君一人じゃ動かせないよ。それよりここは危ないし、あいつらは不思議な能力を使って戦ってる。ここにいたら巻き込まれるから、早く逃げて」

「で、でも······」

「早く逃げて。今暴れてる人達はあの三人を狙ってるんじゃないの。自分達の手で人を殺すために暴れてるんだから。だから早く逃げて!」

 女性が言う間に、あの三人の誰かに吹っ飛ばされた男が転がってきた。呻き声を上げながら体を起こす男の手には、短刀が握られていた。その眼は、完全に小春を捉えていた。

「······ぇ」

 声にならない恐怖が込み上げてきた瞬間、男が短刀を振り回してきた。脚の力が抜けてぺたんと座り込んだのが功を奏し、短刀は空振りに終わった。だが小春は身動きが取れなくなってしまい、男が次擊を構えるのを呆然と眺めることしかできない。

 そのとき、男の体がかすかに瞬いた。直後、男は激しい炎に包まれ、苦悶の叫びを上げながらのたうち回る。壮絶な姿から、小春は目を離すことができなかった。

「チッ、殺してしまったか。まあいい、とりあえずこいつらを一人残らず戦闘不能にする」

 編み茶髪の女が忌々しそうに言うと、炎が消えた。短刀の男がどうなったかは明らかだった。人の形をした真っ黒な炭から、小型の哺乳類のような生物が煙が立つように現れ、どこかへ逃げ去ろうとする。しかしすぐに霧状の光の粒子になり、編み茶髪の女の背後にいつの間に現れていた巨大な赤い鳥に吸い込まれていった。

「······ここは危ないから、早く逃げて」

 もう一度額から流血した妙齢の女性に言われ、小春は立ち上がるより先に走り出した。何度も躓きながら、鈍足なりに必死に走った。あんな危険な場所に、自分のように精神的な理由ではなく物理的に身動きの取れない人を置いていく。そのひどさを考える余裕は、全く無かった。訳がわからなかった。恐ろしかった。空っぽの胃袋から不快感がせり上がってきたが、立ち止まってはいけないと思い無視して走り続けた。泥まみれの市街地から離れ、脚の疲労にも構わずに山道を駆け上がり、こじんまりとした小学校に辿り着いた。時計を見るとまだ午前5時30分を過ぎたばかりで、小春は目を疑った。だが、彼女の目は事実をしっかりと映していた。恐ろしいものを見てしまったことは、紛れもない事実だった。ふらふらと体育館に帰り着き、気絶するように眠りに落ちた。

 目が覚めたのは昼過ぎだった。周囲から中学生の食欲をそそる、脂っぽいにおいがした。避難所の人々はカップラーメンを食べていた。涙を流している人もいた。どうやら校庭に支援物資を積んだトラックが到着しているらしく、小春はすぐに受け取りに行った。カップラーメンは一人一個で、他にも水や着替えや生理用品をひとまず二日分受け取った。持ち込まれた電気ポットからお湯を注ぎ、三分間待ってからカップラーメンを食べた。あまりにも美味くて、真夏でも関係ないほど温かかった。しかし、あっという間に完食してしまった。スープまで飲んでも足りなかった。

「············」

 午後2時を過ぎると、配給に並ぶ人は途切れた。皆街へ下りて、荒れ果てた自宅と対峙しようとしているのだろう。小春の両親はまだここには来ていなかった。小春は風通しのいい日陰で柱にもたれかかりながら、トラックの荷台に積まれているカップラーメンの箱を眺めていた。

(······ひと、一人一個。み、みんなそれを守ってるんだから、我慢しなきゃ)

 それでも、腹の虫は鳴りやまない。

(さ、さっき食べたばっかなんだから、駄目だよ)

 それでも、腹の虫は鳴りやまない。

(よ、夜になれば、また、また何かもらえるんだから、我慢)

 それでも、腹の虫は鳴りやまない。

 そのときだった。

「······お腹、空いてるんでしょ?だったら取っちゃいなさいよ」

 少しだけ色気のある、女性の声がした。

「え、だ、誰······?」

「わたしよわたし。シーズよ」

 気がつくと小春の目の前に、小型犬のような不思議な生物がいた。あの戦いを見た後だったため、人の言葉を喋ることなど今さら気にならなかった。

「し、シーズ、っていうの······?」

「そうよ。あなたは?」

「え、わ、わか、若元小春です」

「そう。小春ちゃん、お腹空いてるなら、取っちゃいなさいよ、もう一個」

 シーズの言葉に、小春の心は揺らいだ。それでも、良心にすがって必死に反論しようとする。

「だ、だけど誰が見てるかわからないよ。だから······」

「あらそう。じゃあ、誰の目にも触れなければいいのね。箱の中から直接小春ちゃんの手の中に移動させればいいのね」

「そ、そんなことできるの······?だれ、誰の目にも触れずに、箱から直接取るなんて」

 訊いてから、小春は自分の良心の脆さを悟った。そして、もはやどうでも良くなってしまった。

「できるわよ。小春ちゃんが望むなら、小春ちゃんは特別な力をもつことができる」

「と、特別な力······」

 真っ先に思い浮かべたのは、先ほどの三人だった。特別な力をもった彼女達は、自分を守ることなど当たり前で、片手間で小春の命と短刀の男の命を左右することもできた。小春は誰かの命を握りたいなどとは思わないが、せめて空腹を満たす程度の特別な力が欲しい。

 言葉に出さなくても、小春は特別な力を望んでいた。トラックの荷台に積まれた箱は、まだ開封されていない。けれども小春の手の中には、カップラーメンが握られていた。恐怖に呑まれた訳ではなかった。小春の良心は、砕け散っていた。

 小春は二杯目のカップラーメンをすすった。シーズは慰め、肯定してくれた。

 豪雨の後で初めて、小春は泣いた。

 


 ところで、小春は知る由も無いが、もし暴徒達と戦う三人を目撃したのが現在の御槌意澄みづちいずみだったら、こう思っただろう。

 額から流血した妙齢の女性は御槌凪沙みづちなぎさだ、と。

 あるいは、編み茶髪の女は花村はなむらのぞみだ、と。

 ないし、白髪の若い男は日尻ひじりあきらだ、と。

 もしくは、黒髪の少女は江西えにしゆいに似ている、と。

 そして、彼女の能力は自分と同じだ、と。



〈つづく〉

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