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#27 美濃加茂市を焼け野原にしてやる。

毎日続く取調べ。
分かることや、思い出したことは積極的に話すようにしました。反対に記憶に無いこと、余計なことは話さないよう心掛けました。
なぜなら、刑事や検事は事件とは関係のないようなことを会話しながらも、引き出したい話や言葉を巧みに引き出そうとしてくるからです。

相手の作戦にまんまと乗らないように沈黙になる時間もしばしば訪れました。

それでも彼らは、集めた情報を小出しにしながら、家族や趣味、学生時代のことなど、話題を変えては、自分たちに有利な言葉を虎視眈々と狙っていました。
手を変え品を変え、無理だとわかると、あえて私を怒らせるようなことを平然と放ってきました。

■登場人物
私:藤井浩人

Y刑事:愛知県警刑事、任意同行から私を担当。逮捕前の取り調べから、積極的に恫喝。

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相変わらず強気なY刑事の口から、

「美濃加茂市を焼け野原にしてやる」

そんな暴言が放たれたのでした。

文字面だけ見ても、何を意味しているのか理解できません。
しかし、この暴言には、こんな意図がありました。

Y刑事は、市長選挙の際に後援会の中心となって活動してくれた人たちの名前を読み上げ、

「支援者のOさん、Hさん、Mさん、Tさん、Wさん・・・知ってるよね?」
「経営者には警察に聞かれて嫌なことの一つや二つは必ずあるはずだ。会社やお店にパトカーや捜査員が来ても嫌だよね。あんたが早く話さないから、どんどん関係者や市民のところに警察の捜査が行くことになるよ。」
「お前のせいで、多くの人がどんどん迷惑を被っていく。このまま、美濃加茂市を焼け野原にしてやってもいいんですよ。」
「藤井さん、学習塾(私が市長になる前に経営していた塾)の子どもたちのところにも警察が行っちゃいますよ。そんなことになってもいいんですか?心が痛みませんか?」

私は心のうちに激しく狼狽ろうばいしました。
後援会の皆さんは、それぞれが主に経営者として地域で活動されていました。批判や反対を受けながらも28歳の私を市長選挙の候補者として、一緒に選挙を戦ってくれた人たちでした。

また、小学生や中学生の子どもたちのところにまで、警察が訪ねて行くことは考えてもいませんでした。未熟な彼らに、先生だった私のことを犯罪者として警察が色々なことを聞く。生徒たちの心中いかばかりでしょうか。想像だにしないことで、背筋に冷たいものが走りました。

こんなことを言われて冷静でいられるわけがありません。
(ひとまず、私が嘘の"自白"をすることで、刑事の言い分を認め、捜査を止めさせることが選択すべき道なのでは無いだろうか。その後の裁判で無実を証明すれば、事件に関係の無い人たちを巻き込まずに済むのではないか)

このようなことを真剣に考えてしまい、言葉を失いました。

この時も弁護士の接見に救われました。
「それは刑事や検事の常套手段です。そんな取り調べに絶対に屈してはいけません。やってもいないことを認めてはならない。それこそ市民を裏切ることになる。地元の人とは連携を取っているので安心してください」

しかし、弁護団の数に比べ、捜査は圧倒的な数の力で進められていきました。
"焼け野原"は単なる脅しでは無く、実際に多くの警察、検察によって捜査が大規模に行われました。

家宅捜索は市役所、自宅、事務所登録をしていた親戚の家、市議時代に経営していた塾、後援会関係者の自宅など、いくつもの場所で、多くの物が、いくつもの段ボールに詰められ押収されました。
また、事情聴取は市役所職員をはじめ、後援会関係者、家族、友人、当時付き合っていた女性まで総勢数十人が警察署に呼び出されました。中には、数時間にわたる取調べを、連日行われ、体調を崩してしまう人もいたと聞きました。

このような捜査に対して弁護団は、ほとんどすべての関係者と連絡を取り合うことで、状況を把握し、法的な対応をはじめ、的確なフォローしてくれました。

心配していた塾の子どもたちのところにも、捜査の手が入ったと聞かされました。ここでは、塾の後任のN先生はじめ、若いスタッフの皆さんが、警察や検察からの執拗な捜査にもしっかり応じてくれたそうです。
子どもたちや保護者に対しては様々なケアをしてくれていたようで、
「塾も子どもたちも大丈夫です。藤井さんは、しっかり疑いを晴らしてきてください」
そんなメッセージをいただき、涙が出てきました。
多くの人たちの強い意思により、"焼け野原"とされる状況を乗り越えてもらいました。

刑事や検事は満足だったことでしょう。
しかし、その"焼け野原作戦"でいったい何の証拠が得られたというのでしょうか。

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