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#32 蘇る記憶、無実の確信。

連日の取調べで、示される資料は増えていきました。
そして、その資料の数々を見れば見るほど、私への嫌疑がいかに間違っているのか、確信が深まりました。

それと同時に、
「あの人(中森氏)が本当に私に賄賂を渡したなんて言っていたのか?」
そんな大きな疑問が生まれました。

■登場人物
私:藤井浩人

中森氏:詐欺師。私に浄水プラントを提案しながら、その裏で数億円の融資詐欺を実行。私に30万円の賄賂を渡したと証言。

T氏:私に中森氏を紹介した人物。

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取調べにおいて、聞かれるポイントが絞られてきました。

・私と中森氏の関係及び中森氏と会う時に必ず同席した政策コンサルタントT氏との関係
・10万円を受け取ったとされるファミレスでの様子や会話
・20万円を受け取ったとされる居酒屋での様子や会話
・上記2回以外に3人で会って話をした時の様子や会話
・会う前後に行ったメールのやり取り

刑事も検事も、何度も同じような質問をしていました。

日が経つごとにメールの内容やスケジュール帳の記録が少しずつ示されるようになり、私の記憶が蘇ってきました。
私の記憶にある現場の様子はこのようなものでした。

初めて会ったのは2013年3月7日。
T氏の紹介により、名古屋市内の飲食店にて中森氏と初めて会いました。
そこで浄水プラントの説明を受け、その後、資料を市役所職員へ渡しました。正確には、担当課長が不在だったため担当職員へ預けました。

2回目は3月22日。名古屋駅の飲食店にて、この時も3人でランチを食べながら話をしました。この日のことは、記録を見ることによって思い出すことができました。人生の中のたった1日は、よほど印象深くないと容易に思い出せないものだと思いました。

3回目は4月2日。美濃加茂市内のファミレスでした。私の前後の予定が埋まっていたため、30分という短い時間で食事をとりながら説明を受けました。
このほかにも幾度か会い、事業説明を聞いていたため、どの内容がどこで聞いたものなのか、どの資料がいつもらったものなのかは明確に思い出せませんでした。そういったものは、示された資料から推察できることを一つ一つ認めていきました。刑事によると、ファミレスで資料を受け取っていたとのことでした。

資料の話ははっきりと覚えていませんが、断固として、どの場面でも賄賂については何の話もしていないことは記憶していました。ですが、捜査機関のシナリオとしては、ファミレスでのランチの際に1回目の収賄・10万円の受取があったことにしたいようでした。
しかし、この捜査はあまりにも杜撰ずさんであったことが後に明るみになることになります。

4回目は4月25日。名古屋の居酒屋とのことでした。ここで、二度目の収賄があったとされています。この日の記憶については取調べの早い段階でも話をしており、現金を受け取ったこと以外、否定することは何もありませんでした。示されたメールのやり取り、残った伝票などにより、鮮明に思い出すことができました。

当時のことをいくつか思い出すことで、私は改めて現金は一切受け取っていないことを確信することができました。
資料を見せられ、記憶が蘇ることにより、この事件が創り上げられたものであると、断定することができました。

そして、その全ての発端である、「私に賄賂を渡した」という証言。これが一体どこから生まれたのか、疑問は大きくなる一方でした。

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