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#86 突然の連絡。市長辞職。

残された望みは最高裁。
憲法によって設置された我が国における、唯一かつ最高の裁判所。

判断を待つ間も、私は市長。
全力で市政運営に取り組みました。

しかし、いつも不安から解き放たれることはありません。
生きた心地がしないまま、ある日、結末を迎えました。

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2017年5月14日、無投票で3度目の当選。

その2日後、5月16日。
東京の最高裁判所第三小法廷に上告趣意書を提出しました。上告にあたって、元東京高等裁判所裁判長の原田國男弁護士、民事・刑事裁判で多くの実績を残されている喜田村洋一弁護士、吉峯耕平弁護士の3名に新たに加わっていただき、万全の態勢で臨みました。

弁護団や司法関係者の見解では、一審と二審の判断が分かれた裁判であるため、上告の判断までには少なくとも1年は要するだろうということでした。

しかし、その連絡は突然でした...
12月12日。13時を少し過ぎた頃、郷原弁護士から私のスマホに着信。
その日は市議会の本会議があったため、会議終了後にスマホを開くとメッセージが残されていました。

『至急電話をください』

これはただ事ではない。
市長室のベランダに出ると、外は肌寒く、夕暮れの空はどんよりとしていました。

電話越しに聞く声は、いつもの力強い郷原弁護士とは別人のようでした。

郷原弁護士「大変、残念なんだけども、上告棄却決定の連絡がありました」
私「そうですか。もうこれで、有罪は確定ですか?」
郷原弁護士「異議申立ができるが、過去に異議申立で決定が覆ったことはなく、確定を1、2週間先延ばしする意味しかないです」

裁判はここで、終わりました。

棄却の理由は、たった三行半。

私は、でたらめな裁判に負けました。

事実が認められない、もどかしさ。
こんな理不尽がまかり通る、現代社会へのやるせなさ。
こみ上げる感情はあれど、残された時間にできることをやらねばなりません。

伊藤副市長に市長室に来てもらい、上告が棄却されたことを伝えました。
暖かい笑顔とポジティブ思考が持ち味の伊藤さんは、無言で崩れ落ちていました。
副市長に就任していただいて、まだ2ヵ月。
私は、もう少し一緒に仕事ができると思っていました。いくつもの歯車が回り始めている実感があり、もう少しだけ、時間が欲しかった。

「異議申立が可能で、確定するまでには1、2週間時間がある」
市長としての立場を、長く続けることは可能でした。
しかし、「過去に異議で決定が覆ったことはない」以上は、少しでも早く市長の立場を退くことが最善の策だと判断しました。

伊藤副市長には、
「これからマスコミの執拗な取材や、批判の声が出てくることは間違いない。市政の混乱を避けるために、少しでも早く辞職するべきだと思っています。私が最後に果たすべき仕事を洗い出してください。完了次第、副市長に辞表を預けさせていただきます。最後まで宜しくお願いします」
と伝えました。その他にも、いくつか伊藤さんと会話を交わしました。
わずかな時間でしたが、とてもいい時間でした。
そして、険しい表情に変わった副市長は市長室を出ていきました。

その後、幹部職員に集まっていただき、上告棄却と辞職の意向を伝えました。既に、ことの成り行きは伝わっており、皆さんが優しい声をかけてくれました。泣いてくれる人もいました。本当に良い人たちに囲まれて仕事ができていたことに、心から感謝し、自然と涙が出てきました。

連絡の翌日、2017年12月13日。
最後に、市役所の館内放送を借りて挨拶をさせてもらいました。

2013年、鳴り物入りの全国最年少市長として注目を受けながら、無理難題な政策や事業を提案。その上、逮捕、起訴までされ、無罪判決、逆転有罪判決、出直し選挙。この数年で、何もなければ平和だったはずの市役所を大きく波立たせてしまっていました。
そして結局、裁判に敗れての辞職。
無罪を信じて、一緒に頑張ってきてくれた人も多くいた中で、本当に悔しく、申し訳ない気持ちで一杯でした・・・。

「これからも心の通った美濃加茂市にしてほしい」

その言葉を最後のお願いとして申し上げました。

私物をまとめ、市長室を出ると、秘書課の皆さんが花束を用意していてくれました。

12月14日。辞表が市議会で受理され、私は市長ではなくなりました。
無投票当選を決めて、まだ半年と少しでした。

『必ず戻って来る』
歴史ある市役所庁舎に一礼し、誓いました。

秘書を務めてくれたKくん、Mくんが明るく見送ってくれました。
大変だった時、若手の有志が送ってくれた寄せ書きの詰まったサッカーボールを抱え、帰路につきました。

登庁最後の日、急遽決まった辞任劇の夜、こっそりと激励会をしてくださった人たちがいました。
こうした心の通った方々のおかげで、崩れ落ちそうだった私は、何とか持ちこたえることができました。


現在、こちらの"note"を再編集した上で、
本として出版するためのクラウドファンディングを行っています。
間も無く終了!ネクストゴールに挑戦中です!
2014年の事件から7年が経過しました。
私にとっては思い出したくないような辛い経験でしたが、この事件を風化させてはいけないと考えています。このような事件を生み出してしまう社会を変え、同じような冤罪事件が2度と起こらないように、社会課題と向き合っていきたいと思います。
ご支援、また一人でも多くの方に拡散していただきますよう、よろしくお願いいたします。


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