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#29 耳を疑う21154人の署名

留置場から発信したメッセージや弁護団の活動が、どれほど市民の皆さんに届いているのか、全く分からない状態が続いていました。

(私の気持ちを折らないために、私にとって悪いニュースは聞かせないのかもしれない...)
(美濃加茂市では、多くの人が私の辞職を望んでいるのかもしれない...)

怖くて夜も眠れない日々が続きました。

そんな時に、署名活動をしてくれている仲間の姿、そして、耳を疑う数の署名の存在が私に伝えられました。

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任意同行の当日、テレビでは市長逮捕の速報が流されている頃。私の後援会役員は緊急で集まり、事実確認を急ぎました。

そもそも、私の選挙活動や政治活動の収支は、全て後援会の中で共有され、市長選挙ではスタッフの活動は全て"手弁当"でした。
揃いで買ったTシャツすら実費購入であるなど、"お金をかけない選挙"を徹底し、お茶1本、お菓子1つの差し入れを、その全てを事細かに記録していました。
このため、お金に関わる問題は何も無いことが確認されていました。
その後援会メンバーが中心となって、市民への呼びかけが行われました。その内容は、事実と異なる報道を一つずつ否定し、郷原弁護士のブログを拡散、私からのメッセージを口コミや携帯電話、インターネットを通じて届けるというものでした。

任意同行や逮捕の報道が流れた直後は、大きな混乱と動揺が広がっていたようです。しかし、こうした活動のおかげで、次第に多くの市民の皆さんの間に、警察の逮捕に対する疑問の声や、私を早期に釈放・復帰させるべきだという声が広がっていったということを、弁護士から聞かせていただいていました。

牢屋の中では独りでも、多くの市民の皆さんが私のそばにいてくれるような気がしました。

そして逮捕から数日後、有志による「早期釈放を求める」署名活動が始まりました。最初の署名活動は、友人のI氏がオンラインでの署名収集を始め、その数は3日で3300人を超えたということでした。
その後、7月6-7日の2日間に市民を対象に行われた署名活動では、1万5000人を超える署名が集まりました。
署名活動は決して簡単なものではありません。私も市議時代に署名活動を行ったことがありましたが、一人で100人、200人集めるだけでも大変でした。名前を書いてもらうこと自体も大変な作業ですが、これだけ多くの人に短期間で署名のお願い、回収、集計することは気が遠くなる作業です。当然、市民の中には逮捕された私を有罪視し、厳しいことを言われる方もいたに違いありません。

そんな果てしなく厳しい作業に、仕事の前に駅に立って呼びかけてくれた友人N氏、赤ちゃんを抱えながら暑い中で署名を呼びかけているRさんの姿が写った新聞記事を弁護士から見せてもらった時、私の胸が強く締め付けられました。
学生時代からの友人や、選挙で共に戦ってくれた人たちが私を信じて活動してくれていました。連日連夜、仕事の合間を縫って多くの人が署名活動に励んでくれているということを知りました。

署名活動を聞きつけて、わざわざ事務局を探して駆けつけてくれる人が何人もいたことも聞きました。本当に多くの人が、何かできることは無いかと、署名活動に尽力してくれていたことを、色々な場所でお聞きしました。
その時のことを思い出すだけで、いまにも涙が出る想いです。

勾留から20日となる満期前日の7月14日、美濃加茂市文化会館では郷原弁護士が私の潔白と事件の問題点を説明する報告会が開催され、1000人を超える人々が事件に関心を持ち、集まったということでした。署名活動は7月15日の起訴後、改めて、美濃加茂市の有権者だけを限定して行われました。一回目の1万5000人を大幅に超える、2万1154人分の署名が集まりました(当時、市内の有権者は4万5959人)。

その数の多さに、私は一瞬、耳を疑いました。

美濃加茂市内の有権者の半分にも迫る数の署名には、私への応援以上に、この理不尽な国家権力の乱用に対して、市民一人ひとりの怒りの抗議が込められているのだと感じました。

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