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#93 これから

本日、この後、再審請求を行います。

2020年12月27日に執行猶予満了。
公民権は既に復活し、選挙権、被選挙権を取り戻しました。

執行猶予が満期となった翌日、美濃加茂市内のスターバックスに立ち寄ると、10代か20代前半の店員さんから、
「良かったです。おめでとうございます。私も嬉しいです。これからも応援しています」
そんな言葉をかけてもらいました。

スタバの定員さんは、どんなお客が相手でも、的確な声かけをしてくれますが、流石にこの時は驚きました。当然、嬉しかった。

市長を辞めて3年が経過し、特に若い人の多くは私の事件を知らないでしょう。そもそも、まだ市長だと思って会話をしてくださる方も居たりします。
愛称で「市長さん」と呼ばれることもありますが、これには少し困ってしまいます。
それでも、この一件を知っている人が1人でもいる限り、私の役割はまだ終わってはいないと思っています。

「未来のために、子どもたちのいしずえとなるような行動をしたい」
そんな思いで、政治の道を志し、あっという間に過ぎた10年。当時"子ども"だった彼らは、もう立派な大人になっています。
「まだ37歳」と言われることもありますが、「もう37歳」です。

自分にはこの先、何ができるのか分かりません。しかし確実に、若い人たちの躍動、次の世代の息吹が、すぐそこまで来ていることだけは感じています。

私たち、先に生きる者の役割は、次の世代が歩む道を照らし、決して希望の光を絶やさないことです。

変化の早い現在にあっては、次世代が放つ、斬新な発想や、想像を超える勢いに脅威を感じることもあります。
そんな時に、年上の私たちが自らを守るために、新たな芽を踏みにじるようなことは、あってはなりません。

今回の事件、詐欺師という存在を見抜けなかった私の大きな落ち度は否めません。ただ、当事者として、あまりにも酷い捜査機関の捜査、取調べ、裁判における立証。勾留手続きから始まる司法の杜撰な対応。公正とは呼べない高裁判決。そして、最高裁判所の決定。
事実を認めること、「たったそれだけのこと」さえできない事情は何なのか。
私は、自分自身の無実を証明すると同時に、社会に巣食う冤罪を生む体質、"司法の闇"と闘い続けたいと思っています。

後もう一つ、自分は決して、事実を事実として向き合えない、他人を簡単に踏みにじるような組織にくみしない生き方を選択したいと思います。

このnoteを読んでくださった読者の皆さん、私の事件のことは読み物として頭の片隅に追いやってください。ただ、この事件から垣間見える現代社会の抱える問題の本質に向き合っていただけたらと願っています。
この事件は氷山の単なる一角です。

多くの社会システムが機能していないと感じます。その原因は、やはり私たち一人ひとりにあります。

私たちが生きている社会、それを支える制度や法は、神様が創り出したモノでは決してなく、その時代、その時代に、生きてきた人々が妥協を繰り返しながら創ってきたモノです。その歴史の延長線上に私たちは生きています。
私たちは、それらのモノが存在することを当たり前だと盲信することなく、その時代の価値観や科学、哲学といった人々の叡智えいちを結集させ、常にアップデートを繰り返さなければならないことを忘れてはいけません。

それが、
『現在を生きる私たちが背負う、未来への責任』
ではないでしょうか。

最後に、いくつもの困難な状況があった中で、ここまで歩み続けることができたのは、多くの人たち一人ひとりのおかげです。
心から感謝を申し上げます。

全国最年少市長となって、多くの知人ができましたが、逮捕された途端、多くの人が離れていきました。
そして、無罪判決と共に、私を信じていたという人が突然たくさん現れ、美辞麗句を並べ立てた。
そうかと思ったら、逆転有罪判決と共に顔を見なくなりました。

そのような中でも、暑い日差しの中、私の無実を信じて、署名活動をしてくれた人たち、署名に名を連ねてくれた人たち、このように私の言葉を受け取ってくれる皆さん一人ひとりに、私は恩返しがしたい。

組織の都合や大人の事情のために、たったの一人も犠牲にしてはなりません。
これからを生きる世代には、私と同じような経験をさせるわけにはいきません。
大きな理想を追いかけながらも、「一つ一つの現実」と「一人一人の価値観」に向き合った政治を実現するために、私はこれからも闘います。

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