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きっといいことありそう

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ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
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#肺がん

4月14日。改めて肺癌であることに恐怖を感じる日々。無意識に肺癌について調べてしまう習慣。ふと、今までは素通りしていたゲノム治療に目が止まった。順天堂病院はゲノム治療ができる数少ない病院らしく、入院中もポスターを見た記憶はあるが、遺伝的な治療だと思い気にも留めていなかった。

昔味わった感覚を思い出すことはこれだけでない。元来自分の中にあった都会へのコンプレックス、恥ずかしい発言や行動などを延々と後悔する思考と、時代を先取っていたような、カルチャーの中心にいると思っていたころを美化して比較してネガティブになる。

4月13日。2回目のイミフィンジ投与は初めての通院によるもの。前回投与後に足のムズムズ、イライラ感があったが今回は投与中から嫌悪感があり、ちょっとでも気を抜くと精神的に落ちそうになった。この時に決まってムズムズ感が現れる。この感覚、小学生のころ寝てるときに味わったものと一緒だ。

あるブログでは、ご主人が告知を受けてからおよそ2年弱、イミフィンジ投与が終わって数か月後に息を引き取った様子がつづられていた。またある薬剤師のブログではイミフィンジについて詳細に説明がされており、5年以上長期生存率は5~6割との論文発表があった。

3月28日。昨日はあまり気にも留めなかったが、ふと副作用について知りたくなった。Google検索すると色々出てきたがどれも信ぴょう性に欠ける。ただひとつだけ気になったのは、イミフィンジ投与中は劇的に症状が緩和するが、1年が限度のためそれ以降に転移や再発することがあるようだ。

何事もなく1時間ほどで点滴は終了。主治医もこのまま何もなければ火曜日に退院と軽く告げられた。そういえば朝、研修医2人と担当医とも3月でいなくなるらしい。「異動ですか?」「いえ、わたしたち(研修医)は別の病院へ、担当医はがん専門病院へ」とのこと。こんな重要なことが初耳だった。

ところが、いつもは冗談ばかりいう看護師が副作用について説明受けたが執拗に確認してきた。さらにRも副作用について説明があったか聞いてくる。実は隣のベッドがまったく同じ診断名、治療段階で一日違いだったのでほぼ同じ説明になる。すると別の看護師も隣の人に副作用の確認を執拗にしていた。

PPTで作った簡易資料を2枚持参し副作用についての説明が始まった。上から順に読むだけで何を言いたいのかはっきりしないまま、最終的には出る人と出ない人に分かれていて、重篤なものは糖尿病のような症状とのこと。それもほとんど出ないらしい。以前研修医から受けた説明と大差ない。

「髪型かわったぁ、誰だかわかんなかったよw」「こっちのほうがいいよw」看護師さんたちが親しげに話しかけてくれる。明日から始まる抗がん剤の検査入院であることを忘れて笑いのあふれた時間を過ごす。

3月26日。入院当日。昼前にRが子供と部屋にやってくる。マックを買って束の間の幸せな時間を過ごす。「今度の入院はすぐ帰ってくるからね」満面の笑みでぼくの腕を力いっぱい握りしめる小さな手をぎゅっと握りかえす。玄関で手を振って別れた後、手続きに向かうと前回と同じ病棟だった。

3月25日。銀行、SB、年金など実家にいろいろ手紙が届いているらしいので、急遽実家へ帰省。こんな日に限って雨が降り出す。実家に着くと老人会の定期会合の最中で、なかなか喧々諤々盛り上がっていた。終わった頃には帰宅時間が迫っており、ほとんど会話をすることなく後にする。

3月23日。昨年末に近所を散歩していた時に見つけた床屋「DIME」。想像通りとてもいい雰囲気で理容師さんの腕も抜群。とても満足している。

3月21日。千葉県知事選。以前の住所で投票案内が来たので妙典だった。投票に行きたかったが雨と風が強く、まだ体調が万全ではないので今回は辞退した。退院以来、頚椎症がひどくなっている。特に今日は雨が一日中降っていることも影響している。

3月20日。昨晩から二日酔いで夜中に目覚める。そのままダラダラしながら朝マック。夕方Rが煮物を持ってきてくれた。毎日少しでも時間があれば会いに来てくれる。本当に感謝しかない。