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きっといいことありそう

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ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
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最高の時間!5yearsのオフ会。ひとりで悩む必要ないって。ステキな時間共有できて、ただただうれしい。

過去を振り返っても、惨めで、情けなくて、根暗で、身勝手で、田舎者で、卑怯で、何もやってない、逃げてばかりいた自分しかいない。

3年後死ぬ時に過去を振り返っていたくない。明日のことを考えながら眠るように死んでいたい。嫌な情景が頭をよぎってばかり。身勝手な行動を悔いてばかり。残された時間、悔いても、嫌だと嘆いても無駄。気持ちを変えていくしかない。

3月22日最後の抗がん剤投与。主治医も看護師さんも皆が声をかけてくれた。イミフィンジは4、5回目でほとんどの人が肺炎を発症して中断になるのに、きっちりスケジュール通りに進みましたねwと、今だから言える話と言って教えてくれた。

3月8日。イミフィンジ投与もあと2回。ストレスが癌に与える影響はないらしい。癌であることを忘れて生活できることが一番の幸せなんだろうが、周りが癌であることを忘れていると、淋しい気持ちになるのも事実。その割に死を待つだけで全く行動しないところは、否定していた父と同じ道を辿っている。

2月22日。抗がん剤投与もあと3回。肺の中央と頭に痛みを感じる。来月のCT検査が怖い。

2月8日。今日を含めあと4回。今後の話。1月初めに腫瘍マーカーの数値が上がっていたらしく、来月中にCT撮って進行状況確認、治療方針を固める。イミフィンジの効力で転移の可能性は低い。とにかく頭が痛い。

1月25日。最近、鎖骨の下がつっぱる。肺に痛みもある。先日飲みに行った時の副流煙が気になる。主治医に聞くと数回くらいでは問題ないが、自分の肺は放射線で脆くなっているため、刺激を与えることは極めてよくないとのこと。例え話でタバコ一本寿命一日と言っていたが、それどころではないようだ。

先日、30年来の友人に会ってきた。20年前リンパ節に腫瘍ができ、10年かけて寛解した。ひとりでいることがとてつもなく寂しくて、癌を分かってもらえる人と話したかった。気が楽になった。

当たり前のことを忘れていた。死ぬとわかって、優しくしてもらって当然なのではなく、優しくしてくれない人を恨むのではなく、優しくしてほしいなら、まず自分が優しくなれ。なぜこんなことを忘れて、いや、認められないくらい、心が貧しくなってしまったのだろう。

この年末年始は5日間実家で過ごした。母親とゆっくり会話をすることができたと思う。世界三大珍味を食べたことないらしい。😊今度フランス料理を食べに行こう。心臓、肺が突っ張る。鈍い痛みも気になる。できれば、母より先に逝きたい。

1月11日。癌の診断を受けて、1年経った。昨晩からの頭痛と吐き気は治らない。イミフィンジも残すところあと5回となった。アストラゼネカから発表された、終了後4年生存率42.9%、OS中央値が47.5月という記事を見た。3〜5年の寿命か。残りを大切に生きたい。

12月28日。20回目、年内最後の抗がん剤投与。頭痛が治らない。自分が肺癌ステージ3Bであることを思い出す。自分は死なないんじゃないか、自分は寛解するんじゃないか、と勝手に思い込んでいた。

12月14日。19回目は午後からの診察。あいかわらず、薬を飲まないと精神が不安定なまま。気力も湧かない。自分が何者でもないことは理解している。死ぬことに甘えて、人に嫌がらせをして、わがまま放題で、残念な最期を迎えた父と、同じことをしている。