大学教授と研究室
わけあって3年前、22年勤めた札幌の大学を「早期定年退職」しました。
退職前最後の教授会では、僕を含めた3人の退職教員が一人ずつ挨拶を求めらたのですが、この際、僕は、「大学を去るにあたっていかに戦略的に研究室を空っぽにしたか」と題した短いスピーチをしました。要は、長年使い続けた研究室を明け渡すことがいかに大変か、という話ですが、大学を離れたいまも元同僚の誰か彼かに、
「あれは思いのほか参考になった」
「自分が辞めるときも肝に銘じて実践した」
などと、わりと評判が良かったわけです。
「研究室を空っぽにする戦略」は、基本、次の5項目からなっていました。
①なんだかんだ1年かかる、と心得よ
②過去との訣別は「終活」を待つな
③誰よりも大切な「伴走者」はお掃除のおばさん
④蔵書の断捨離も「こんまりメソッド」で(=ときめかないならエイヤーと処分)
⑤空っぽになった研究室であなたはきっと着任したあの日の希望に満たされる
上記を手短かに解説するならば、たかが研究室ひとつのことですが、完全空っぽにして大学に返上するにはとにかく時間と労力がかかるので、退職に先立つ、少なくとも1年前から黙々と取り組もう、というのが①。加えて、残された人生の時間も決して長すぎることはないので、この際、単なる研究室の片づけと考えるのではなく、溜め込んだ人生のガラクタやクタクタなもの、今後もう2度と読まなさそうな蔵書も引っくるめて断捨離するに格好の機会と捉えよう、というのが②と④です。
また、これは大学によって多少の違いはあるのかもしれませんが、僕のいた大学ではウィークデーはほぼ毎日、午前中にお掃除の方が研究室のゴミを回収したり、定期的に雑巾掛けや掃除機掛けなどをしてくれたりしました。この「お掃除のおばさん」を味方につけることなくして、研究室空っぽ大作戦の成功はあり得ない。例えば、大量の廃棄図書などが出たよう場合、紐で結えた重たい本を台車に載せて、研究室とゴミ置き場の間を何往復もお願いすることになるわけです。感謝の気持ちを折々で伝えるべく、ときには簡単なメッセージを添えてクッキーなどを置いてみたりしよう、というのが③です。
そして、最後、⑤ですが、念願の大学教員になって、いくつかある嬉しい出来事のうち、自分だけの研究室の鍵を手渡されたあの日、その鍵を使って我が研究室に一歩、足を踏み入れたあのときの喜びといったら格別でした。
北海道旅行にかこつけて、はるばる郷里・福岡から半信半疑で大学に偵察にきた父親が、息子の研究室に迎え入れられて初めて、
「ここでまた、腰を据えて頑張るしかなかたいね」
と言ってくれたことは忘れ難い思い出です。——研究室終いをやり遂げ、改めて慣れ親しんだその場所を振り返るとき、着任初日の、えも言えぬ嬉しさ、懐かしさが込み上げてきたものでした。
では、そんな「大学教員になる」に付随するフリンジベネフィット中でも最たるモノのひとつ、「研究室の独占使用権」という特典の本質について、少し考えを巡らせてみようと思います。
なお、ここでいう「研究室」とは、理系学部における、大小さまざまな実験装置やヒエラルキー型の研究スタッフを束ねたかたちでの、文字通りのラボ、研究室ではなく、主には大学教員個人の執務室を念頭に置きたいと思います。例えば、アメリカやカナダでは、「研究室」のことをただ単にofficeと呼びますが、ここで言う「研究室」はこのofficeに近い感覚です。
さて、一口に「研究室」と言いますが、実はいくつかの異なる理解があろうかと思います。
具体的には、まず、研究室は「部屋」としての物理的な役割を担っています。その部屋としての研究室で、研究者は一人になって研究に没入することも、惰眠を貪ることもできるのです。その意味では、研究室は「部屋」であるとともに、さまざまな「機能」をも合わせ持っている、という言い方もできます。
そんな機能には——「研究ができる」や「惰眠が貪れる」の他にも——(少人数が相手なら)「授業ができる」や、「料理や食事ができる」も含まれましょう(知人の北大教授は、自身の研究室で自慢の中華鍋を駆使しながら、焼きそばからスパゲティまで見事にこしらえます。しかも旨い!)。
さて、「部屋としての研究室」、「機能としての研究室」にも増して大事なのは、僕は、「コモンズとしての研究室」ではないか、と半ば確信しています。
研究室のひとつの指向性として、僕は、研究室が学内の学生や他の教職員に開かれているのみならず、地域社会に開かれていることが望ましいと思うのです。
例えば、専門知をもった研究室の主(=研究者)のコメントを求めて、地元新聞社の記者やテレビ局の番組クルーが頻繁に出入りする、というのも地域社会に開かれた研究室の一面と言えましょうし、その部屋の主の発意で開催される自主ゼミや勉強会に、すでに大学を巣立った卒業生や、近くその大学を受験したいと考える「未来の学生」など、さまざまな地域社会の成員が出入りするというのも「コモンズとしての研究室」の大切な役割に思えてなりません。
その昔、刑務所での刑期を終え社会に復帰した人々を積極的に雇用する地元・札幌のとある工務店の社長さんが、いまや社員となった「出所者」を何人か引き連れて、僕の研究室にいらしたことがあります。社会復帰の難しさに直面する刑期明けの人々を支援するNPOを立ち上げたい、という相談でした。
もはやカタギとはいえ、独特のオーラを醸し出すみなさんと一緒に熱心に議論した時間の楽しかったこと。僕も含めた全員が、ぎゃーぎゃーと大声で笑ったり騒いだりするものですから、警備室から内線で、
「先生、大丈夫ですか!?」
様子窺いの電話がかかってきたほどです。(笑いころげて)「死にそう」とだけ答えました。
さて、大学の研究室は、その密室性ゆえに、パワハラ、セクハラ、アカハラ等、あらゆるハラスメントの温床になってきたのも事実。最近では、廊下側の壁やドアの一部をシースルーにして、トランスパレンシーを高めた設計も珍しくありません(なのに内側からポスターを貼ってその本来の機能が帳消しとなっているケースも散見しますが)。
例えば、北米の大学で学んだり、教えたりした経験からすると、アメリカやカナダでは、在室時はドアを半開きにするのが20年以上も前からの暗黙の了解事項。その部屋の主がハラスメントの加害者にも、被害者にもなり得る、という複雑な事情が研究室の「半開き」を「一定の効果ある保険」としてきたのでしょう。最近では日本もこれに追従する動きがあるように思いますが、その徹底ぶりはまだ北米の足下にも及びません。
中学3年のとある休みの日、誘われてクラスメイトの女子の家に一人で遊びに行ったことがあります。
「いらっしゃい」
とお茶とお菓子で歓待してくれたお母さまが、
「ドアは半分開けておくのがエチケット。分かるわよね」
とお茶目にウィンクしながら、振り返り振り返り女の子の勉強部屋を出ていかれたこと、いまもふとした拍子に思い出しては笑ってしまいます。まさにエチケットとしてのアカデミア・デファクトスタンダードです。
ならば、いっそのこと研究室のドアは、アメリカの西部劇の酒場のシーンなどでお馴染みの、保安官が押し入るスイングドアかなにかにしてはどうかと思うのですが。学生名簿といった個人情報や秘匿性の高い試験問題などを扱うことが多いのも事実。「いざとなれば施錠できる」は研究室の最低限の必須要件かもしれません。
パンデミック一色の時代を経て、オンライン会議や在宅勤務がすっかり働き方の一部として定着したいま、もちろん、大学での教え方、研究の仕方にも大きな変化が現出しています。しかしながら、大学教員にとっての研究室の重要性はいささかも揺るがないどころか、今後も研究環境のベンチマークとして優秀な研究者を集め、かつ長くとどめ置くために不可欠な装置であり続けるでしょう。
失くして分かる研究室の有り難さ。いまや東京のマンションの寝室に隣接した、3畳ほどのデンを「研究室」と呼称しては、なおも研究に没入……あ、いや、もっばら惰眠を貪っています。
※本note上、「大学教授と——」シリーズの既存の記事には以下もあります。よろしければ。