君の右腕が動かなくなった日から (1)

闘病が始まって一年が経ち、君は4歳になった。

あんなによく動いていた右腕はほとんど動かせなくなり、右足もおぼつかなくなった。てんかんの発作も出るようになった。

そしてこれからは半分の脳で生きていく。

これから大変なことはたくさんあるし、辛くなってどうしようもなくなる日が来るかもしれない。それでも希望を捨てないで生きてほしい。

今でも君が生まれた時のことはつい昨日のようによく覚えている。






当時僕は30歳。平日のお昼過ぎ、仕事中だった僕の携帯電話に里帰りしていた妻から陣痛が来たと連絡があった。僕の心はドキッと大きな音を立てた。

僕は当時の上司にすぐにこのことを報告をした後、仕事を切り上げ荷物を取りに一旦家に戻った。幸いその日は仕事も忙しくなく、すぐに帰る身支度ができた。

このときは内心相当慌ててたんだと思う。ずっと胸がドキドキしていた。初産だしそんなにすぐに産まれないとはわかっていたけど期待と不安その両方が入り混じって変な感じだった。

すぐに車に乗り込んで高速道路のインターへ向かった。よく晴れて暖かい日だったことを憶えている。


車を走らせ1時間、病院に着いた頃には近所の小学生たちが学校から家に帰るところだった。
それを見ながら僕もついに子どもを持つのかとしみじみ考えながら、車を駐車場に停め、妻の元へ向かった。


陣痛室には妻と義母がいた。妻の表情にはまだ余裕が見られた。

「陣痛は来たところだし、まだ余裕」

と妻は言う。

僕はほっとした。

ただたまにお腹が痛いとのことだ。18時になり、夕飯を取る妻。食欲もあり元気そうだ。

ただ段々と陣痛の間隔が短くなってきている気がする。時折苦悶の表情をする妻。

ベッドサイドには陣痛の波をモニターする機械がああり、ゲーゲーと紙を吐き出し続けている。ここにに表示される数値が陣痛の波と連動しており、高くなり始めると陣痛が来るよということだ。

しばらくして分娩室に移動した。立ち会い出産が希望だったので僕も妻と一緒に向かった。

もっと殺風景な部屋かと思っていたけど他の病室より少し広くて大きなソファが置いてあるぐらいだった。
好きな音楽をかけられるようにラジカセ?みたいなものも置いてあった。(そのあと音楽など聞く余裕はないことを思い知らされる)

時間と妻の体力にまだ余裕があるうちに僕は一旦病院を離れ、食事とシャワーを浴びに近くにある実家へ帰った。用事を済ませ病院に戻ると陣痛の間隔はさっきより短くなっていた。


病室に戻った僕に看護師さんからある紙が渡された。
緊急時に帝王切開になったときの同意・承諾書だった。

その書類の説明項目の中には命を落とすこともあると書かれていた。

この言葉を見た瞬間、僕の胸は強く締め付けられ一気に心が不安定になったことを憶えている。

ただ苦しかった。


子どもが誕生する喜びと生まれるまでのプロセスとのギャップの大きさにただ打ちのめされた。

そう、これは妻とこれから生まれてくる子どもにとって

命をかけた行為

なのだと再認識した瞬間だった。

時計の短針が頂上を指し始めた頃、さらに陣痛の間隔は短くなり、その度に大きく苦しむ妻。
陣痛の間隔が短くなっているということは子宮口が開いてきているという証らしい。通常はだいたい1時間に1cmの速さで開いていくものらしい。

この感じだと朝方には生まれるだろうと助産師さんから聞いた。

陣痛がくるたびに妻に言われるがままに体を押し痛みを和らげてあげる。今の僕がしてあげられることは悲しいけどこれぐらいだ。

しばらくすると妻に異変が起こった。頭が痛いらしい。これは血圧上昇によるものだと聞かされ、血圧を下げるために点滴の管が繋がれていく妻。母体の血圧が上がると胎内の子どもの血圧も上がってしまうため下げなければ危険だそうだ。

ここから長い闘いが始まる。

朝を迎えるまで義母と交代で1時間ほど仮眠をし起きるとまた妻の側で手を握る。ときたま看護師さんが様子を見に来てくれるがなかなか子宮口が開かないらしい。
このままでは朝方には生まれないだろうとのこと。しかしまだなにか処置をするというほどでもないので様子を見ることになった。

陣痛が来るたびに体力を消耗する妻。なかなか開かない子宮口。着々と時間は流れているのだが途方もない時間のように感じる。

苦しむ妻を横目に時折居た堪れなくなって部屋を出て、廊下のベンチに座ったり、廊下を歩いたり、窓の外を見つめる。こうでもしないと不安で気がおかしくなりそうだった。

妻になにかあったらどうしよう。子どもも無事に生まれてくるだろうか。このときばかりは素直に神様に祈りを捧げた。

時間は一刻一刻と流れていく。

カーテンの縁から漏れた明かりを見て太陽が登り始めたことを知る。

朝が来た。


窓から差し込んだオレンジ色の光が廊下を明るく照らしていく。しばらくして廊下の電気がついたことで病院内は完全に朝を迎えた。

子どもはまだ生まれない。
妻はたまにもう生まれそうな感覚があると申告するが助産師さんはまだまだと首を横に振る。

陣痛は繰り返され、一刻一刻と時が過ぎる。

正午が過ぎたころ、妻が

そろそろ本当に生まれそう!!

と言った。

助産師さんはまだ産まれるはずがないだろうと余裕を持ちながら様子を見に来た。

しかし助産師さんが確認をしたところ、少し頭が出てきているとのこと。一気に慌ただしくなる分娩室。
部屋の中は医師や助産師さんや看護師さんたちでたちまち埋め尽くされ、いろいろと器具が準備された。

そしてあれよあれよとしているうちに頭が出てきて、最後の力が振り絞られ娘は生まれた。

気づくと僕は泣いていた。

僕は昔から人前で泣くことがとても恥ずかしいと思っていたので今回も絶対に泣くのは堪えようと思っていた。それは無駄だった。

ようやく生まれたという嬉しさや苦しみから解放された妻への安堵感、今までエコーでしか見れなかった我が子の本当の姿。生まれたことを心から喜んでくれる助産師さんたち。
いろんな想いが部屋の中を包んでいた。
僕は宝物を手に入れた気分だった。

初めて娘の産声を聴いたとき、この世にはこんなに尊い気持ちにさせる声があるのかと感じた。

そういえば生まれてきた娘を見て助産師の第一声が「鼻が高いな!笑」だったなぁ。

たしかに娘は鼻が高かった。生まれたての子どもは大抵はお猿さんのような顔をしていて鼻も低いものだと思っていたが、顔のむくみもあまりなく鼻筋の通ったスッキリとした顔で生まれてきた。

とてもかわいい。テレビなどでもよく新生児を見てかわいいなと普通に思っていたが実の子どもを目の当たりにしたのとではまったく感じ方が違う。本当にとても可愛かった。愛おしいとはこのことだ。

娘は妻に抱かれたあとしばらくして新生児室に連れて行かれた。

あれ?

僕娘抱いてないんですけど…
ふつうここで抱っこさせてくれるものじゃないの?笑
と不思議に思いながら娘を見送った。

そのあと新生児の前で窓越しに娘を見ていたら、看護師さんが気を利かせて初抱っこさせてくれた。良かった笑

こうして時間はかかったが娘は無事産まれた。

このときは幸せな未来しか想像できなかった。



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